2 見ようとしなければ、それは見えない
生きることに執着なんてない。
いつからか、もうずいぶん長いこと、そう思っていた。
朝のニュースを見ていると、たいしたことのない理由で人が殺された、芸能人の誰と誰が熱愛、でもすぐ破局した、権力を持った誰かのつまらない欲のために沢山の人が踏みにじられた、うんざりする話題ばかりが毎日毎日溢れている。
以前は、そういったことの一つひとつに、関心を持ったり、怒りや悲しみを感じていた。
そのうち、呆れた。
同じようなことの繰り返しに、全てがくだらなく感じるようになった。
みんな勝手で、人のことなんか考えてない。
殺す方も、殺される原因を作る方も、好きになってはすぐ心変わりする方も、カンタンに受け入れる方も、権力者も、その権力を与えた人々も。
誰もが、人に迷惑をかけてそれを意識せずに生きている。
毎日毎日、動植物の命をつみとって生きていながら、何をするわけでなく、ただただお互い傷つけあうだけ。
だったら、生きることになんの意味があるというのだろう。
身支度を整えながら、毎朝同じことを思い、そして同じ時間に
「いってきます」
学校へと向かう。
それも、とても虚しいくりかえし。
見知った顔。
「おはよ。」
声をかけられれば同じように返事をかえす。
とても虚しい、くりかえし。
敵ではないことを示すためのくりかえし。
だけれど、それも一瞬後にはわからない。
敵ではないけれど味方なんていないのだ。
それはみんな同じことで、利害のバランスがちょっとくずれただけで、人はつい一瞬前まで親友と呼んだ相手をあっさり殺してしまうことだってある。
たとえば、今声をかけてきた、八敷阿輝矢という男子。
たまに話はするし、愛想もいい。
でも彼が私をどう思っているか、本当のところなど彼自身の他に誰も知りはしない。
たとえば、天才秀才というほどではないが、私は成績がいいほうだ。それも、学年でかなり上位に入る。
それだけでも、十分嫉妬は買ってしまう。
大した努力もせずに、みんな、ただねたむ。
暗い、冷たい、果ては本を読んでいただけでオタクよばわり。
彼も同じ考えでない保証など、ない。
友情も愛情も、それを望む弱い人間の妄想の産物。
そんなもの、最初からありはしないのだ。
現実は、ただただ汚く、うんざりすることのくりかえし。
そんな全てを、受け入れて生きている。
デモ、モウ、ツカレタ。
そう、疲れた。
誰かの声が聞こえた気がする。
それとも、私の本心は・・・。
ああ・・・疲れた。
明日も私は生きているの?
今夜眠って、そのまま目が覚めなければいいと、何度思っただろう。
自分で死のうとは、思わなくとも。
朝だ・・・、いつものように、目覚ましの前に目が覚める。
死ぬ夢ばかりを見る。
死に方は、いろいろ。だけど死後の魅力的な世界はいつも同じ。
澄み渡る空の下、花のじゅうたんのような大地、重力から翼によって開放された天使が私に微笑む。
彼らの歌声はこの上なく甘美で、その響きは私を安らぎで包んでくれる。死後の、この楽園。
私は、死にたいの?
そんなことない、まだ、大丈夫なはず。
ベッドから身を起こす。
気のせいか、このところ部屋が薄暗く感じる。
蛍光灯が古いのかな・・・。
かわりばえのしない朝のニュースを見て、ゆううつな気分で今日も家を出る。
楽しいことなんてない。
やりたいこともない。
死にたくないから生きている。
ソウダッタッケ?
信号を待つ私の前を、車が通り過ぎる。
すこし、踏み出したら。
あの車の前に体を投げ出したら、私は、私は粉々になって、砕け散ってこの沈んだ気分もくだらない世界も嘘も偽善もタテマエも絶望さえもみんなみんな赤い海に洗い流されて私は自由にあの美しい世界へ手招かれて天使の笑う顔あの一面の花の大地へ。
信号が、かわった。
歩き出す。
今考えたことは、私の願望なのだろうか。
この一歩をふみだすように、自然に車の前へ飛び出してしまいそうだった。
怖い・・・。
死ヌコトガ?
そうだろうか。
誰かの声が聞こえた気がする。
それとも、問うたのは自分自身か。
視界の端に、また黒いもやが見える。
今日は休んだ方がよかっただろうか。
疲れて、何もまともに考えられない気がする。
ただ、繰り返し頭に浮かぶことがある。
楽ニ ナリタイ
視界がどんどん暗くなっていくのは、貧血を起こしているのだろうか。
一日が終わり、みんなが帰っていくのに、私は立ち上がる気力さえない。
唐突に、体が動き私は席を立った。
自分の意思ではないかのように。
そんなはずはない、けど、どこへ行こうとしているのだろう。
ドウデモイイ
そう、どうでもいい・・・こんな世界も、そこに生まれた私も。
ふらふらと、屋上へむかっているようだ。
そうか、やっぱり私死にたいんだ。
途中、誰かとすれ違った気がする。
アッシュブラウン・・・あの髪、八敷君。
階段を上り、屋上にでる。
ドアの手前に立っていた黒い影は、人にしては異様に細く、背が高い。
今は、あれがなにかわかる。
さっきまでわからなかった黒いもやも、声も、全部あいつ。
死神なんだ。
思い通りになったから、あんなにニヤニヤしてるんだ。
デモ、ソレデイインダロウ?
そうだ、もういい、それでいいの。
影の横のドアを通り、屋上に立った。
校舎は4階建て。
それって死ねるの?
ダイジョウブ
さっき通った扉のこちら側に影が出てきていた。
振り向くと、真っ赤な唇の両端をひときわつりあげて満足げに笑うのが一瞬だけ見えて、影は消えた。
タバコの煙が空気にとけていくように。
死ななきゃ。
フェンス越しに、下をのぞく。
地面が、少し遠くに見える。
あそこへ向かって飛べば、もう迷うことも苦しむことも無く、私はこれ以上この汚い世界に染まらないで済むんだ。
確かにそれは、私の望み。
これは、正しい決断で、逃げるわけじゃない。
今なら、飛べる。
もう一度、地面をのぞきこむ。
瞬間、「やめろ!」後ろからの声とともに、強い光と風が下から
”降って”きた。
正確には昇ってきたのだが、感覚的には”降って”きたのだ。
光は彼女を突き抜け、影のいたほうへ消えていった。
そして、風にフェンスの内側へと押しもどされた彼女は少しよろけ、その腕を誰かがつかみ、支えた。
光のなかに、誰かが見えた気がしたのは、幻か。
うっすらと見えた姿は、金色の髪、悲しげな色の瞳、水色か、淡い緑色。それから、抱きとめるかのように広げた腕と、背に翼のようなシルエット。
天使・・・
「大丈夫かよ!」
彼女の体を支えていた男が声をかけた。
彼女は、体をひねるようにしてその相手を確かめた。
「八敷くん・・・」
今の光は、なんだったのだ
ろう。
声は彼のものだった。
なら、あの光も、彼?
(続)