12(最終話) 少年と天使
教室の外に彼女が待っていてくれて、そのまま二人で遊びにいくらしい。
週に一度か二度、そんなことがあって鴨井においていかれたアキヤは、一人で帰る。
もちろん、他に同じ方向へ帰る友達はいる。
が、別にアキヤはいつも誰かと一緒にいたいタイプではない。
一人で帰ることにして、今日は帰ったら何しよっかなー、などと考えながらチャリを走らせる。
そういえば、庭月サンから本貸してもらったんだっけ。
難しそうだけど、あれ読んでみようか。
この本、彼が自発的に借りたかというと、そうではない。
ほどよく暖かい教室で、先生のヨクワカラナイ話を聞き流しているうちにがっつり寝てしまい、ノート真っ白状態のアキヤを初めから終わりまで見ていた庭月がキレイな字でとったノートと一緒に貸してくれたのだ。
八敷くん、本でも読んだらあなたも少しは変わるかも。
ていうか、変わったほうがいい。
と言って。
要するに、少々バカにされているワケだが、アキヤは笑って、お、サンキュ、と受け取った。
本読んでる俺=頭よさげでカッコイイ。
という図式が浮かんだせいだ。
この二人のやりとりも、その本が実は八敷が思うほど難しいものでなく、あまり本を読まない彼にあわせて庭月がわざわざ選んだ読みやすい内容であることも、これから起こる出来事とはあまり関係がない。
ただただ、何もない帰り道の風景なのである。
どうでもいい考えごとに気をとられていたアキヤは、慣れたはずの帰り道で、曲がる道を一本間違えた。
あーっと、戻らなきゃ。
と、思ったのだが、Uターンがなんだかめんどくさい。
んー、そういやこの道あんま入ったコトねぇな。
ちょっと進んでみることにしてしまった。
◆
声が聞こえた。
何を言っているのかまでは判然としない、吐き捨てるような、それでいてすがりつくような響き。
どうしたの。
何か、辛いの?
思ったと同時に、どこと指し示すことのできない胸の奥深くに痛みが走った。
誰なのかもわからない、その相手の悲しみが、たった今までピクリとも動かなかったスズキの意識を呼び戻したのだった。
僕は、どうしたんだろう。
目を開く前に、腹部に激痛が走った。
「・・・っく・・・ぁ・・・?」
何かが、身体にめり込んでいるらしい。
身体全体が冷たい汗にまみれ、べたつく。
さらに、どこといわずあちこちから熱く焼けつく何かが絶えず突き刺さってくる。
熱さは、感じた次の瞬間にはぞわりと冷える感覚に変わる。
その間にも、腹や胸に走る激痛は次々と位置を変え、時には別々の場所を同時に襲いながら、彼の体の中をまさぐるように、ぞぶぞぶと食い込み、擦れ、滑っていく。
そこからまた熱さがあふれ、瞬時に冷たさへと変わり、自分の意識とは無関係に幾度も身体はケイレンした。
それは、解剖にも似ていた。
大勢の女たちが、彼にむらがり、口々にその想いを吐き出しながら、それぞれにカッターナイフだの包丁だのを持ち、彼の身体に熱心に自分の証を刻み込んでいるのだった。
もしも彼が人間であったならば、とっくに息絶えているであろうほど、その身体はぐちゃぐちゃに壊されていた。
最初に出会ったあの少女が、内臓のむり出た腹部に手首までうずめて、うっとりした目つきでそこを探っている。
およそ自分と認識できる全てを、感じ取れる限界以上の痛みにさらされている彼の意識はおぼろげで、そのために視界もかすんだりブレたりしていた。
その、とぎれそうな意識のなかでやっととらえたのが、この現状だった。
どの傷も、つけられるそばから、魔物である彼の身体が勝手に修復しようとするが、治る前にまたあらたな傷が増えていく。
喉も、一度ならず裂かれたようで、まともにしゃべることもできない。
常人の想像を絶する苦痛の中にありながら、叫ぶこともかなわず、彼に許されるのは低いうめきだけだった。
「・・・ァうっ・・・ぐ、ひゅっ・・・・くはっ・・・」
これではさすがに死んでしまう、と思ったが、身体はどんどん自分の意思から切り離されていく感覚しかなく、今の彼が自由にできるのは、思考くらいなものだった。
正気をたもつことすら、もうあやうかったが。
とにかく、痛みだけでも感じないように、彼は感覚を遮断しようとした。
しようと思えば、彼らにとってはいつでもできるソレを、彼は途中で思いとどまった。
流れ込んできた彼女たちの想いが、彼の心を凍らせたせいだった。
好きだったのに。
あんたが悪いんだよ。
こんなに辛いのに、わかってくれないなんて。
切ない感情たちが、彼を飲み込む。
そうだ、僕がいけないんだ。
思い知る、己が罪。
けれど、こんなつもりじゃなかった。
いつだって、みんなすぐに自分のことなど忘れて、それぞれにもっと別の大切なものを見つけていたハズなのに。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
どうして、気づいてあげられなかったんだろう。
こんな、誰にとっても悲しい結果になる前に。
「・・・そ・・・ぁ・・・・ぅそ・・・だ・・・・」
こんなの、誰か、嘘だと言ってくれ。
不意に、丸くてちいさな りあん の顔がスズキの胸にうかぶと、ほっこりと笑った。
そしてよみがえる、明るく可愛らしい声。
『スズキさんは、あたしたちのキューピッドだよ。』
恋を成就させる天使。
自分のなりたかったもの。
あの娘は、そう言ってくれた。
けど現実はどうだ。
すぐに忘れるからと、受けとめる事も、あきらめさせる事もしなかった恋心たちは、皆ゆがんでしまった。
自分が、そうさせた。
僕が、汚してしまった。
あんなにキレイだったキモチを。
可愛らしかった想いを。
なら、今こそ受け止めるべきだ。
この悪意も、痛みも、全て自分が生み出したのだから。
この、愛の成れの果てを。
新たな、愛の成れの果てが、また彼の身体にくいこんだ。
瞬間、自嘲の笑みをかすかに浮かべると、彼の意識は再び闇へ沈んでいった。
(続)