続き
声も出なかった。
赤い唇は動いていないのに、耳元で声が響く。
今日は 助けなど来ない 報いを受けろ クソガキ
今まで聞いたこともないくらい低い、からみつくような男の声。
報い、とは何かを考えることはなかった。
もちろん、今見ているモノを、以前庭月にまとわりついていた“よくないもの”と結びつけて考えることも。
幽霊を見た、声を聞いたショックで動転していて、それどころではない。
宙にうかんでいる白い顔、開いているのか閉じているのかもわからないその細い目は、しかし自分を見ている気がした。
目をそらしたいのに、恐怖でカラダが動かせない。
この声は、あの顔か?
まわりのみんなは、“顔”に気づいていない。
そのハズなのに、悲鳴が聞こえた。
「きゃぁあーっ!」
その声にかき消されるように“顔”が見えなくなり、アキヤのこわばっていたカラダが動くようになった。
悲鳴のあがったほうを見る。
いま幽霊を見たばかりだと思っていたら、そこにも幽霊がいた。
身体の一部分がぺしゃんこになった男が、足をくねらせ、腕を使ってこちらへはいずってくる。
おぁああがはあぁあああああああ!
ああぁああーーーぁああ!
妙な響き方をする声で、苦しそうに叫びながらずるずると近づく。
「きゃーっきゃああああ!」
「ぁーーーっあーーーー!!」
「ぅわっ、っちいけよ!くんなよ!」
恐怖で冷静さを欠いているのか、みんな悲鳴をあげるばかりで逃げることを思いつかないようだった。
あるいは、幽霊の持つなにかの力が働いて、逃げられないのか。
この場で、自分の意思を持って冷静に動けそうなのは、アキヤだけだ。
「みんな、逃げろよ!」
その声にも、反応が返ることはなく、悲鳴は入り乱れ続ける。
「ぃやー!やぁあー!!」
声をかけてもラチがあかないなら、とアキヤは幽霊とみんなの間に入った。
「しっかりしろって!」
蒼子の腕をつかんで身体をゆすると、けたたましい悲鳴とともに彼女は走り出す。
刺激をあたえられてやっと、恐怖に身体が反応したようだ。
「ほら、アマちゃんも、逃げっぞ!」
「ぁ、あーくん!あーくん!」
「りあん!」
りあんは、とっさに鴨井の腕につかまり、それで我に帰った鴨井が、彼女の手を取って走り出した。
アキヤもそれを追おうとした。
そのハズなのに右足が、動かない。
だ ぅ げ で く どぅ ぢぃ いだ ぁい
濁った、聞き取りづらい声が聞こえる。
見下ろした足元に、頭があった。
ところどころ血のついた手に、足首をつかまれている。
頭が動いて、こちらを見ようとした。
恐怖が、限界を超えそうだ。
何も考えられず、視界が白く薄れていく。
頭の中が熱く、なのに身体は凍えそうに冷たい感じがする。
ゆっくりと、足元にある顔がこちらをむく。
何か黒い汚れと血とがこびりつき、苦しみ、痛み、悔しさにゆがんだ表情、恨みに満ちた瞳。
助けて 苦しい 痛い 痛いぃ 痛いいいい!!
幽霊と目が合うと、とたんにその声はクリアになる。
心がつながって、直接頭に思考が流れ込んできたかのように。
目が合った瞬間に、終わった、とアキヤは思っていた。
しかし、彼は気絶することも、その場で死んでしまうこともなかった。
苦痛を訴え、幽霊はなおも叫び続ける。
そして、突然。
なぜか当然のようにそれを、助けなきゃ、というキモチがどこからか生まれてきた。
同時に、それをおかしいと感じる、冷静なもう一人の自分もいた。
それでも、なんの根拠もないのに、自分にはそれができる気がして、アキヤは幽霊に語りかける。
「大丈夫、もう終わってるんだ。」
自分じゃない誰かが、自分の口を通してしゃべっているような感覚だった。
その言葉を聞くと、幽霊は叫ぶことをやめ、ただアキヤの目を見た。
「もう苦しいハズない、痛くもない。・・・目を、閉じろよ。」
ゆっくりと、幽霊が目を閉じる。
なぜおとなしく従うのか、アキヤ自身にもわからない。
「どうだ?光が見えてくるハズだ、そこへ行けばいい。高い高い、空だ。」
見 え る そうか そこだったのか
部分的に潰れていた彼の身体は、知らぬうち正常な人間のカタチに変わっていた。
恨みでギラついていた瞳も、ふたたび開かれ、今はおだやかな色をしている。
「どこに行けばいいのか、わかったよな?」
アキヤは確認してみる。
あのおだやかな目は、それを物語っていると感じながら。
アキヤの足から手を離し立ち上がると、幽霊はコクリとうなずいた。
「ありがとう」
そう言ったその声は、頭の中に直接響いてきたような気がした。
と同時に、水面に映った影が風でゆらぐように、幽霊の身体はカタチをくずす。
空に向かって、彼という風が吹き上がっていく。
それは、人間には、アキヤには感じることのできない風。
そして、アキヤは自分自身の背に淡く光が生じていることもまた、感じていなかった。
そんなアキヤを、少し離れた場所から消えたハズのあの白い顔が、ずっと見ていた。
顔は、かすかに不愉快さのにじんだ表情を浮かべると、今度こそ、本当にかき消えた。
◆
俺って、レーノーシャかもしんね。
と言って、アキヤが話したのがそれだった。
ブレイブにいたのはヒサシとスズキで、二人はアキヤと仲がいい。
それでも。
「マンガ読みすぎ。」
「作りすぎだろ。」
冷ややかなまなざしで返された。
「マージーだって!成仏さしたんだから、俺が!」
彼らなら信じてくれると思って話した、というワケでもなく、庭月にも同じような反応を返されていた。
その場で幽霊の片割れを一緒に見た蒼子、りあんも、さすがに全部は信じてくれず、結局鴨井だけがアキヤのたった一人の味方だった。
何でも信じる、というより、考えるということをしない男だった。
「悪霊バスター、って、マジだったらカッコいいけどさー、アキヤだろ?」
お前じゃムリ、といいたげなヒサシ。
ねー、とヒサシに笑いながら同意するスズキ。
「っだよ!お前らトモダチだろ?信じねーのかよ!」
特に、スズキなどは“そういう”力を持っているのだから、わかってくれてもいいはずだ、と、むくれるアキヤ。
ただ、スズキは人前でそれを自分から語らない。
だからアキヤも、なんとなくそこはいわないでおいた。
ふと、スズキが真顔に戻る。
「ねえアキヤ、そんな力、本当に欲しい?」
「は?」
「そんな力があったとして、悪霊っていうのを退治できたとして、やっつけ続けて、でもいつか、キミより強い悪霊が現れて危険な目にあうかもしれない。それでも、そんな力、欲しい?」
少し叱るような口調で、けれど瞳は切なげに。
「や・・・欲しいとか、じゃなく、なんで怒るかな。」
急に雰囲気が変わってしまったスズキに、戸惑うアキヤ。
ヒサシも、きょとんとしている。
「アキヤが、オトナゲないから。ちょっと叱ってあげただけだよ。」
不自然に、スズキが笑う。
「何だよ、何か、ヘンじゃね?」
不審がるアキヤ。
「スズキさん、どーかした?マジなんか怒った?」
ヒサシも気遣う。
「んん・・・、ホント、へーき。とにかく、そんな力あっても怖いだけだよ。きっとさ、怖すぎて気絶でもしちゃったんじゃない?夢みたんだよ、きみは。」
ぎこちないスズキの笑顔が、なぜだか痛々しくてアキヤもヒサシも黙ってしまう。
「夢だよ、ぜんぶ夢。」
明け方の夢のように、彼自身がはかなく消えてしまいそうな笑顔。
届かなくなる前に、つなぎとめておきたくて、笑った。
「・・・かもな、っはは!」
「だろ、あはは!」
笑っているうちに、本当にただのオオゲサなカン違いのような気がしてきて、アキヤは照れ隠しにさらに笑う。
「そぉだよ、あっははは!」
そうやってみんなで笑ううちに、いつのまにかスズキはいつもの顔に戻っていた。
そうだよな、俺があんなことできるわけない。
きっとみんなで見た幽霊以外は、自分の気のせいなのだと、アキヤは思った。