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なろう系のおかしな点

コピー販売しかしない、とあるなろう主人公

作者: 虎臼歩尾麻
掲載日:2026/07/17

とある作品では、主人公が師匠の発明品をコピーして販売するという描写がある。しかし、この一連の流れを見ていて、どうしても違和感を拭えない。


 作品ではこれを主人公の自立や成功として描いているが、そうは見えない。


 なぜなら、この一件には主人公自身の努力も才能もほとんど存在しないからだ。


 主人公がやったことは極めて単純である。


 師匠の家にある実物や設計図を持ち出し、それを職人のところへ持っていき、「これを作ってください」と依頼しただけだ。


 商品の発想は師匠、設計も師匠、製作も師匠。商品として成立するまで積み上げた経験も師匠のものである。


 主人公は、その完成した成果物を横流ししているだけにしか見えない。


 もちろん、師匠が許可しているという設定なのかもしれない。しかし、許可されているかどうかと、「誰の功績なのか」はまったく別の話だ。


 設計図一枚には、膨大な試行錯誤が詰め込まれている。


 最初から完成品など存在しない。


 材料選びから始まり、形状を工夫し、失敗し、壊れ、改良し、それを何度も繰り返してようやく一つの商品が完成する。つまり価値があるのは紙そのものではなく、その紙に至るまで積み重ねられた時間と知識である。


 主人公は、その最も重要な部分を一切経験していない。にもかかわらず、その図面を職人へ持ち込むだけで、自分が何か大きな仕事を成し遂げたかのように描かれている。


 これでは努力の描写とは到底思えない。


 さらに違和感を覚えるのが、職人たちの反応だ。


 主人公は次々と図面を持ち込み、「まだまだあります」と当然のように言う。


 普通なら真っ先に思うのは、


「そんなに設計図を持ち出していいのか。」


「本当にお前が扱っていいものなのか。」


 という疑問ではないか。


 ところが作品中では誰もそこを気にしない。


 むしろ「そんなに発明できる師匠はすごいな」と感心するだけである。


 いや、問題はそこではない。


 確かに師匠が大量の発明をしていることはすごい。しかし、それ以上に気になるのは、その設計図を当然のように持ち歩き、商品化を進める主人公の姿である。


 現実なら、「それ、本当にお前の仕事なのか」と聞かれても何ら不思議ではない。


 特に職人とは、自らの技術で物を作ることに誇りを持つ存在だ。


 だからこそ、設計者への敬意も人一倍強いはずである。


 設計図を書くことの大変さを誰より理解しているからだ。


 その職人たちが設計者本人ではなく、図面を運んできただけの人物を何の疑問もなく受け入れる構図は、あまりにも不自然である。


 さらに不可解なのは、その後の展開だ。


 主人公はコピー商品を売るだけでは満足せず、自分のブランド名を付け始める。


 つまり、師匠が開発した商品でありながら、自分のブランドとして市場へ送り出すのである。


 もちろん、現実でもOEMやライセンス販売という仕組みは存在する。他社が開発した製品を自社ブランドとして販売すること自体は珍しい話ではない。


 しかし、その場合でも開発者への敬意や契約関係は存在し、「自分が発明しました」とは言わない。


 ブランドは販売者を示すものであって、発明者をすり替えるものではないからだ。


 ところが、この作品ではブランドだけが一人歩きし、読者に「主人公が作った商品」であるかのような印象を与えている。


 そこに大きな違和感がある。


 さらに主人公は、自分のブランドが売れたことを自分の成功として喜ぶ。


 しかし、その商品の価値は何によって生まれたのか。


 優れた性能があったから売れたのである。


 その性能を生み出したのは誰か。


 師匠だ。


 ならば、その商品の評価の大半は本来師匠へ向けられるべきである。


 ブランド名だけ変えても、中身まで主人公の功績になるわけではない。


 それなのに、作品はその点にほとんど触れない。


 ここでさらに疑問になるのが、主人公の「自分の場所を作った」という発言だ。


 店を構え、自分の居場所ができた、自分の店を持ったと誇らしげに語る。


 しかし、その店に並んでいる商品は何か。


 ほぼすべてが師匠の発明品である。人気の理由も師匠の技術だ。


 主人公は販売しているだけである。


 もちろん、商売そのものには接客や在庫管理、宣伝などの努力がある。


 しかし、この作品ではそれらの苦労はほとんど描かれない。


 描かれるのは「商品が売れた」「ブランドが広まった」「店が繁盛した」という結果ばかりだ。


 その結果だけを見せられても、「それだけ魅力的な商品なら売れるだろう」としか思えない。


 商品の価値が高い理由は師匠の発明だからだ。


 もし主人公がゼロから商品を開発し、何度も失敗しながら完成させていたのであれば、努力や成長として素直に評価できたはずだ。


 しかし、完成済みの商品を持ち込んでいるだけでは、努力は見えてこない。


 努力とは、他人の成果を利用することではない。


 自分で考え、自分で挑戦し、自分で責任を負うことである。


 完成した答えを書き写すことではない。


 しかし、この主人公がしていることは、師匠が積み上げた成果を利用しているだけである。


 それを「努力」と呼んでしまえば、その言葉そのものが軽くなってしまう。


 努力する過程を飛ばし、完成した設計図を使って商売を始め、自分のブランドを付け、自分の店を持ち、自分の成功として描いている。


 この作品を読んでいて最も疑問だったのは、「この主人公は何を誇っているのだろう」という点だった。


 師匠を土台にして商売をしているだけなのに、自分のブランド、自分の店、自分の居場所、自分の成功と語られても、共感することはできない。


 少なくとも、師匠への感謝や、「自分はまだ師匠の技術を借りている立場だ」という自覚が描かれていれば印象は違ったはずだ。


 しかし作品では、その部分があまりにも薄い。


 結果として、師匠の手柄が主人公の手柄へと置き換えられているような印象を受ける。


 だからこそ、この作品の主人公が自分の店やブランドを誇る場面を見ても、「それは本当に主人公自身の成果なのか」という疑問が最後まで消えることはなかった。

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