第7話 伝説の茶人、オクノリキュー
「ヴォルグ、オーブンの予熱は?」 「完璧だ、ヒイロ様! いつでもいける!」 「ミゼリア、バターの状態は?」 「冷えすぎず、溶けすぎず。常温に戻しておいたわ」 「シルイド、薄力粉のふるいは?」 「終わってるよー。三回ふるって空気を含ませた!」 「ネクロラ、配合計算は?」 「完璧だ。湿度に合わせて水分量を0.5%調整した」
魔王城の厨房は、今やF1のピットクルー並みの連携を見せていた。 かつて世界を震え上がらせた四天王が、今は僕の指示一つで動く優秀なパティシエ集団になっている。 ……慣れって怖い。
今日は特別な日だ。 魔族の貴族たちが集まる『魔界の大茶会』。 そのメインスイーツを任された僕は、朝から戦場に立っていた。
ガチャリ。 重厚な扉が開き、リディア様とアンナが入ってきた。 そして、その後ろに――一人の老紳士が続いていた。
背筋の伸びた執事服。 モノクルをかけた鋭い眼光。 そして何より特徴的なのは、彼の周囲だけ時間がゆっくり流れているような、静謐な空気感だ。
「ヒイロ、紹介しよう。彼が今回の茶会の要だ」 「お初にお目にかかります。……紅茶の魔族、オクノリキューと申します」
オクノリキュー。 その名を聞いた瞬間、作業をしていた四天王たちが全員、直立不動になった。
「オ、オクノリキュー様!? まさか伝説の……!」 「千年に一度しか茶を淹れないという、幻の茶聖……!」
えっ、そんなすごい人なの? 僕はビクビクしながら頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします、ヒイロです……」
リキューさんは僕をジロリと見た。 その眼光は、まるで魂の品質を鑑定するようだ。
「……ふむ。魔王様から『専属』と伺っておりましたが……随分と頼りない(・・・・)揺らぎを持ったお方ですな」
バレた! 最弱だってバレた! リキューさんはため息交じりに、手元のティーカップを優雅に回した。
「私が淹れるのは『天空のダージリン・ファーストフラッシュ』。その香りは繊細にして至高。……半端な菓子では、私の紅茶が泣きますぞ?」
遠回しに「お前の菓子じゃ釣り合わん」と言われた。 胃が痛い。 でも、ここで逃げたらリディア様の機嫌を損ねて、もっと怖いことになる。
(やるしかない……! 紅茶に合う最高のお菓子を!)
僕は震える手で、ボウルを掴んだ。 作るの決めている。紅茶の香りを邪魔せず、かつ引き立てる、シンプルにして王道の焼き菓子。 『ヴィクトリア・サンドイッチ・ケーキ』だ。
「……始めます」
僕が呟くと、四天王たちが一斉に動いた。
「卵、投入!」 「砂糖、撹拌開始!」
僕の体は恐怖でガタガタ震えている。 泡立て器を持つ手も、小刻みに振動している。 傍から見れば、ただ怯えているだけの小動物だ。
しかし、リキューさんの目が大きく見開かれた。
「ほぅ……!?」
リキューさんには、その「震え」が別次元の技に見えていた。
(なんという……『微振動』! 手首のスナップではなく、全身の震えを指先に伝え、極小の気泡を生地に送り込んでいるのか!?)
「こ、これは……『神の撹拌』……!」
「え?」 「いや、続けてくだされ! そのリズム、その揺らぎ……まさに『わびさび』!」
なんか褒められた? よくわからないけど、僕は無心で生地を混ぜ、焼き上げた。 ふっくらと膨らんだスポンジに、甘酸っぱいラズベリージャムと、濃厚なバタークリームを挟む。
完成したケーキが、ガーデンテラスへと運ばれる。 魔界の貴族たちが注目する中、リキューさんが紅茶を淹れ、僕のケーキが添えられた。
「……実食」
リキューさんが、紅茶を一口。 そして、ケーキを一口。
静寂が流れる。 僕は生きた心地がしない。 リキューさんはゆっくりと目を開き、震える声で言った。
「…………マリアージュ(結婚)だ」
「はい?」
「私の紅茶の渋みと、このケーキの素朴な甘みが……口の中で永遠の愛を誓い合っている! これぞ運命の出会い!」
ドォォォォン!!(謎の衝撃波)
「す、素晴らしいぞヒイロ殿! 貴方のその『震え』が生み出した食感、まさに見事!」
リキューさんが僕の手をガシッと握りしめた。
「貴方を『菓子聖』と呼ぼう!」 「嫌です、変な名前つけないでください!」
会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。 リディア様は鼻高々、アンナは「私のヒイロくんですから!」とドヤ顔でケーキを貪っている。
こうして、伝説の茶人さえも陥落させた僕。 魔界の大茶会は、僕の作ったケーキとリキューさんの紅茶で、歴史に残る大成功を収めたのだった。
……ただ、その日からリキューさんが「究極の茶葉が見つかりました」と言って、僕の部屋に入り浸るようになったのは、また別の話。




