【完結記念・特別番外編】オクノリキューの追憶
「……おかしい。何度数えても、計算が合いませんな」
世界のどこかにある、静寂に包まれた茶室。 オクノリキューは、モノクルを光らせながら、誰もいない客席を見つめていた。
一周目のあの時。 弱々しく震える手で、しかし伝説の『神の撹拌』を繰り出したあの少年――ヒイロ。 リキューは彼の「危ういまでの揺らぎ」に究極の『わびさび』を感じ、彼を『菓子聖カシノリキュー』と呼び、その才能に惚れ込んでいた。
だが、二周目の世界では、待てど暮らせど彼からの招待状が届かない。 それどころか、風の噂で聞こえてくるヒイロ・ロードの噂は、リキューの知る彼とはあまりにかけ離れていた。
「……槍を背負い、魔王軍を率いて、神の力を振るう? ……今の彼は、そんな『安定』した存在になってしまったのですか」
リキューが淹れる紅茶は、繊細な「揺らぎ」を好む。 一周目のヒイロ君は、いつ死ぬかわからない最弱の存在であり、その「恐怖による震え」こそが、ケーキに奇跡の気泡を生み出していた。
しかし、二周目のヒイロ君は、強くなりすぎてしまったのだ。
「……震えていない。今の彼の腕は、岩のように動じない。……それでは、あのケーキは焼けません」
リキューが二周目に姿を現さなかった最大の理由。 それは、ヒイロ君が**「怯える最弱のパティシエ」から「毅然とした最強の勇者」へと脱皮してしまったから。**
あの日、厨房で四天王をピットクルーのように従えていた「ほのぼのした魔王軍」は、二周目では「世界を救うための精鋭軍」へと変貌した。 ヴォルグはオーブンの予熱ではなく敵を焼く火力に、ミゼリアはバターの温度管理ではなく絶対零度の結界に、その力を注ぎ込んだ。
「……菓子聖なき魔界に、私が淹れるべき茶はありません」
リキューは寂しげに茶碗を置いた。 ヒイロが手に入れた「強さ」と「平和」。それは世界にとっては救いだが、一人の変人茶人にとっては、至高の『マリアージュ』を失うことを意味していた。
「……まぁ、良いでしょう。……震えが止まったということは、彼がもう、恐怖に怯える必要がなくなったということですからな」
リキューは、自分が二周目の歴史に刻まれるのを潔く諦めた。 彼が姿を消したのは、ヒイロ君が勝ち取った「揺るぎない平和」への、彼なりの祝福だったのかもしれない。
「さらばです、菓子聖。……貴方のその震えない手で、今度は世界を平和に導きなされ」
こうして、伝説の茶聖は二周目の歴史から静かにフェードアウトしていった。 ……ただ、たまにヒイロ君が寝不足で少しだけ手が震えたりすると、世界のどこかでリキューが「おっ、復活の兆しかな!?」とモノクルを光らせていたとかいないとか。




