第3話 聖女は甘い匂いを嗅ぎつける
魔王城での生活が始まって、三日目。 僕、ヒイロの日常は、意外にも平和だった。
「ヒイロ、今日の『おやつ』はなんだ?」 「今日はマドレーヌです、リディア様」 「ほう……また新しい味か。殊勝な心がけだ」
玉座に座るリディア様の機嫌は上々。 魔族たちも、僕が厨房を通るたびに「あ、マドレーヌの兄ちゃんだ」「お疲れ様です!」と挨拶してくる。 どうやら僕は『魔王の愛人(兼 餌係)』として、確固たる地位を築きつつあるようだ。
平和だ。 元の世界でブラック企業に勤めていた頃より、よっぽどホワイトな職場環境かもしれない。
ズドォォォォォン!!
そんな僕の現実逃避は、城門を吹き飛ばす爆音によって打ち砕かれた。
「敵襲か!?」 「いや、あれは……『聖なる光』だ!」
魔族たちが慌てふためく。 聖なる光? まさか、人間軍が僕を助けに来てくれたのか? いや、そんなはずはない。村の人たちは僕を笑顔で見送った(厄介払いした)んだから。
轟音とともに、玉座の間の扉が蹴破られた。 土煙の中から現れたのは、純白の法衣をまとった一人の少女。 金色の髪、透き通るような青い瞳。 誰もが振り返るような美少女――僕の幼馴染、アンナだった。
「みーつけた♡」
アンナは瓦礫の上で、可憐に微笑んだ。 その手には、不釣り合いなほど巨大な『聖なるメイス(モーニングスター)』が握られている。
「ヒイロくん! やっと会えたね! 探したよぉ!」 「ア、アンナ……ちゃん?」 「何者だ、貴様」
リディア様が不愉快そうに眉を寄せる。 空気が凍りつく。魔王と聖女。本来なら、世界を賭けた死闘が始まるところだ。
アンナはリディア様を睨みつけると、一歩も引かずに言い放った。
「そこをどいてください、泥棒猫さん。そのヒイロくんは、私のものです」
「……なんだと?」 「ヒイロくんが焼く『ふわふわシフォンケーキ』の摂取が三日も途絶えているんです! 禁断症状で手が震えて、うっかり城門を二、三個壊しちゃったじゃないですか!」
……うん、ごめん。それ禁断症状じゃなくて、ただの破壊活動だね。
アンナは聖女だ。 歴代最強の『聖女の力』を持って生まれた天才。 でも、その行動原理のすべては「食欲」と「ヒイロへの執着」でできている。 彼女は僕の家の隣に住んでいた頃から、毎朝僕の部屋に不法侵入しては、朝ごはんを要求してくるような子だった。
「ヒイロくんの匂いは、三キロ先からでもわかります。……さあ、帰りましょう? 私のためにアップルパイを焼く時間ですよ?」
アンナがうっとりとした目で、僕に手を伸ばす。 その目は、完全に獲物を狙う肉食獣のそれだ。怖い。魔王様より目が笑ってない。
しかし、リディア様が僕の前に立ち塞がった。
「断る」 「……はい?」 「この男は、私の『専属』だと言ったはずだ。その甘い菓子も、その身も、すべて私が管理している」
リディア様の手から、漆黒の魔力が立ち昇る。 対するアンナも、聖なるオーラ(と食い意地)を全開にする。
「へぇ……? 幼馴染の私を差し置いて、ぽっと出の魔王さんが独占しようだなんて……」 「貴様こそ。過去の女がいつまでも付きまとうな」
バチバチバチッ! 二人の視線の間で、火花が散った。
(やめて! 僕のために争わないで! ……いや、僕じゃなくてお菓子のために争わないで!)
「勝負よ、魔王!」 「望むところだ、聖女!」
「勝った方が、ヒイロくんの一生分のお菓子を独り占めできる権利をもらうわ!」 「面白い! その権利、受けて立とう!」
置いてけぼりの僕。 どうしよう。 最弱の僕を巡って、最強の魔王と最強の聖女が開戦しちゃった。
「あのぉ、僕の意見は……」 「「ヒイロは黙ってて(黙っていろ)!!」」
……はい。 僕はすごすごと厨房へ戻り、とりあえず二人を鎮めるための特大パフェを作り始めるのだった。




