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『「勘弁してください(結婚してください)」 ~殺されるかと思ったら、一生お菓子を焼くことになりました~』  作者: 沼口ちるの


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第15話 5歳、塩対応の聖女と出会う

5歳になった。 この2年間、僕は死に物狂いで『魔力枯渇トレーニング』を続けてきた。 その成果は、少しずつだけど確実に出ている。


「……『多重洗浄マルチ・クリーン』」


僕が小さく呟くと、部屋中に散らばっていた積み木やおもちゃが、ふわりと浮き上がり、それぞれの箱へと自動的に吸い込まれていった。 同時に、床の埃も、窓の汚れも一瞬で消滅。


生活魔法の応用。 前世では一つずつしか洗えなかったけど、今の僕は同時に50個の対象を操作できる。 魔力の「器」は、前世の18歳の頃をすでに超えているかもしれない。 (……まだまだ。ナンジャモンを倒すには、これの1万倍は必要だ)


そんなある日のこと。 隣の空き家に、新しい家族が引っ越してきた。


「ヒイロ、ご挨拶に行くわよ」 「はーい」


母さんに手を引かれて隣の家へ向かう。 心臓がうるさいくらいに鳴っている。 わかっているんだ。そこに誰がいるのか。


「あら、こんにちは。同い年くらいかしら?」


玄関から出てきたのは、優しそうなご両婦人と……その後ろに隠れるように立っている、一人の少女。 透き通るような金色の髪に、意志の強そうな青い瞳。 天使のような愛らしさを持つ、5歳のアンナだった。


(あぁ……アンナちゃんだ。生きてる、ちっちゃいアンナちゃんだ……!)


涙が出そうになるのを必死で堪える。 未来で、彼女は僕を庇ってボロボロになって死んだ。 その彼女が今、五体満足で、綺麗な服を着て立っている。


「ほら、アンナ。ご挨拶なさい」 「……」


アンナは母親に促され、渋々といった様子で前に出た。 僕は精一杯の笑顔を作る。 中身は20歳(前世18歳+今生2歳)だ。子供相手に緊張してどうする。


「はじめまして、僕はヒイロ。よろしくね、アンナちゃん」


僕は手を差し出した。 未来の彼女なら、奇声を上げて抱きついてくるところだ。 でも、5歳の彼女は違った。


アンナは僕の手をチラリと見て、フンと鼻を鳴らしたのだ。


「……子供っぽくて、嫌い」


「えっ」


「私、精神年齢が高いの。鼻水を垂らした同年代ガキと遊ぶ趣味はないわ」


ピシャリ。 完璧な拒絶。氷点下の塩対応。 差し出した僕の手が、空中で寂しく彷徨う。


(そ、そうだった……! 子供の頃のアンナちゃん、めっちゃマセてて性格キツかったんだ!)


忘れていた。 未来の「ヒイロくん大好き♡」な彼女は、僕のお菓子に餌付けされた後の姿だ。 本来の彼女は、聖女としての才能ゆえに周囲を見下し、孤独を愛するクールビューティー(幼女)だったのだ。


「も、もう! アンナったら! ごめんなさいねヒイロちゃん」 「う、ううん。大丈夫です……」


バタン、と容赦なく閉められるドア。 僕は呆然と立ち尽くした。


   ◇


その日の夕方。 僕は自宅のキッチンに立っていた。 母さんの手伝いという名目で、あるものを作る。


「待ってろよ、アンナちゃん……」


塩対応? 上等だ。 前世の記憶通りなら、彼女はこの頃から無類の「甘党」のはず。 まだ覚醒していないその欲望を、僕がこの手で引きずり出してやる。


オーブンから漂う、芳醇なバターの香り。 焼き上がったのは、王道の『型抜きクッキー』だ。 ただし、ただのクッキーじゃない。 前世のパティシエ級の技術と、今の僕の魔力制御(火加減調節)を駆使した、5歳児には到底作れない至高の一品。


僕はそれを小袋に包み、庭の柵越しに隣家を覗いた。 いた。 アンナが一人で、庭のベンチで難しそうな本を読んでいる。


「……アンナちゃん」 「何? まだ何か用?」


アンナは本から目を離さずに冷たく答える。 僕はその鼻先に、クッキーの入った袋をぶら下げた。


「これ、作りすぎちゃったから。……迷惑なら捨てるけど?」


フワッ。 焼きたての香ばしい匂いが、アンナの鼻腔をくすぐる。 ピクリ、と本のページを捲る手が止まった。


「……何それ」 「クッキー。母さんと一緒に焼いたんだ(嘘)」 「ふん。子供の粘土細工みたいな味なんでしょ。いらない」


アンナは強がって顔を背ける。 でも、その青い瞳は、袋の中身に釘付けだった。 喉がゴクリと鳴る音が聞こえる。


「そっか。残念だなー。美味しいのに」


僕は袋から一枚取り出し、わざとらしく「サクッ」と音を立てて齧った。


「んー! バターが濃厚! サクサクホロホロで最高!」 「っ……!」


アンナの本を持つ手が震え出した。 プライドと食欲の壮絶な戦い。 5歳児の理性なんて、プロの焼き菓子の前では紙屑同然だ。


「……ひとつだけ」


アンナが蚊の鳴くような声で言った。 バッと本を閉じ、真っ赤な顔で僕を睨む。


「味見してあげるって言ってるの! 毒見よ、毒見!」 「はいはい、どうぞ」


アンナはおずおずとクッキーを手に取り、パクリと口に入れた。


サクッ。 ホロリ。 口いっぱいに広がる、幸せの味。


「…………ッ!!」


アンナの目が、驚愕に見開かれた。 塩対応だった表情が崩壊し、とろけるような恍惚の表情へと変わっていく。


「なにこれ……! お店で売ってるのより、ずっと……!」


「どう? 美味しい?」 「……く、悔しいけど……美味しい……」


アンナは残りのクッキーを大事そうに抱きしめると、上目遣いで僕を見た。 さっきまでの冷徹さはどこへやら。そこには、ただの「餌付けされた小動物」がいた。


「……また、作ってくれる?」 「うん。毎日でもいいよ」 「……約束よ。破ったら、聖女の権限で天罰を下すから」


そう言って、アンナは少しだけ笑った。 生意気だけど、可愛い笑顔。 あぁ、懐かしい。これだ。 ここから始まるんだ。


僕とアンナの、甘くて長い関係が。 そして今度こそ、この笑顔を曇らせたりはしない。


僕は心の中でガッツポーズをした。 第一関門突破。 次は、この「聖女様」を立派に育て上げつつ、僕自身も最強にならなくちゃいけない。


「(待っててね、リディア様。君にもいつか、必ず会いに行くから)」


5歳の夕暮れ。 クッキーの香りと共に、僕の計画は順調に滑り出したのだった。

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