タイトル未定2026/01/04 19:29
翌日マスターは、ベッドの中で目を覚ました。
昨夜のことは、夢?
マスターはしばらく、布団の中でぼんやりしていた。
昨夜のことを振り返り、突然若菜がキスをしてきたことをマスターは思い出した。
また何か余計なことをして、キスなんてされたのだろうか。
マスターは、頭をかきながらうなだれた。
その時寝室のドアをノックする音が聞こえ、マスターは飛び上がりそうになった。
「は……はい!」
「失礼します」
寝室に入ってきたのは、家政婦のまちこだった。
「まぁ、坊っちゃん。まだ、そんな格好をしていたんですか」
「はぁ……」
「今日が、何の日かわかっていますよね?」
「今日……?」
しばらく考えていたマスターだったがやっと思い出し、慌ててベッドを抜け出し、寝室を出て行った。
そんな姿をまちこは呆れながらも、微笑ましく見つめていた。
四月穏やかな月曜日。
この日は、大門の小学校入学式の日だった。
マスターは、大門と一緒に早めにマンションを出た。
マンションを出る前、マスターは緑の携帯に電話をかけた。
「大門、学校に行く前に、少し寄り道をします」
「寄り道?何処へ行くの?」
マスターは何も言わず、大門と手を繋いで歩いた。
学校に行く前に、マスターは実家の診療所の駐車場に行った。
駐車場で、緑と会う約束を携帯で話したのだった。
マスターが昼間、実家の診療所勤務をしていることを、大門は何も知らない。
マスターはそのことを緑に、念を押すように強く言った。
大門の母親のことや、昼間実家の診療所勤務をしていることは、自分の口から伝えたいと思っていた。
緑の車は駐車場に既に止まっていて、車から緑が出てきた。
「おはようございます」
マスターと緑は、それぞれ言った。
「大門君、大きくなったわね!」
緑が大門を見たのは、マスターと瞳と大門の三人が公園にいた時と、瞳が自ら命をたった時だった。
大門はマスターを見あげながら、聞いてきた。
「ねぇ、誰?」
「おまちさんの友達の緑さん」
「おまちさんの、お友達?」
「そうですよ」
「入学式に、大門君が着る服を見たくて」
大門は黒に近い紺色のスーツを着ていた。 白い襟のシャツには、えんじ色のネクタイを締めていた。
マスターはグレーのスーツに、胸元には大門と同じえんじ色のネクタイを締めていた。
「大門君、スーツ姿かっこいいよ。先……」
「先生」と言いかけた緑は、慌てて言い直した。
「麻生君と、お揃いのネクタイだね」
「うん!おまちさんが、選んでくれたんだ」
誇らしげに、大門は言った。
「大門、緑さんと少し話があるので、ここで待っていてください」
そう言ったマスターは、緑を連れて大門から離れた。
「入学おめでとう」
緑が言うと、少し照れながら「ありがとうございます」と、マスターが言った。
「で、話って」
「緑さんには、伝えなくてはいけなくて」
「深刻な話?」
「瞳ちゃんが、亡くなりました」
緑は息をのんで、マスターを見つめていた。
「ずっと微熱が続いていて、肺炎を起こしました」
「先生、彼女を看取ったの?」
「看取っていません。大門と一緒に、病院に行ったのが最後です。その時、初めて大門に瞳ちゃんを……母親を会わせました。それだけが、救いです」
「そう……彼女、亡くなったんだ。先生」
「はい」
「先生は、大丈夫?」
「瞳ちゃんが亡くなった知らせを携帯で受けた後、たくさん泣きました……もう大丈夫です」
「そう。それで、仕事中ぼんやりしていたんだ」
マスターは緑から離れ、大門と手を繋いで歩き出した。
先生……先生の大丈夫は、大丈夫じゃないよ。
二代目頑固親父、行ってこい!
小さくなっていく二人の背中を、緑は見守っていた。
小学校体育館では、入学式が始まっていた。
式の前、新一年生は名前を呼ばれたら大きな声で返事をして、起立して、頭を下げたら着席をする練習を行った。
そして、その時が訪れた。
名前の順番で呼ばれるので、大門はトップバッターで呼ばれる。
教頭が、大門の名前を呼んだ。
大門の名前が、体育館に響き渡る。
「麻生大門君」
「はいっ!」
大門は大きな声で返事をして、起立をして頭を下げ、着席をした。
練習通りに、しっかりできていた。
新一年生の後ろの保護者席に座っているマスターは笑顔で、大きな拍手を送った。




