表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/9

第1話 伊鶴と深鷹

 雨音の途切れぬ日だった。町のとある喫茶店、窓辺の席に二人の少女が向かい合い座る。

「いい曲だ」

 カップの中で黒々と回るコーヒーの香りを味わいながら伊鶴は零した。チクチクと刺さりそうなほど硬質な髪がすこし揺れる。暗いアメシストの瞳がゆっくりと閉じられた。

「ふうん」

 それを聞きながら、深鷹は金色に光る視線をわずかに伏せる。瞳より薄い色をした髪がわずかな晴れ間をうけて輝く。頬から顎を滴る水滴が服に跡を残した。

「私にはいいとは思えないな。キイキイと耳障りなヴァイオリンが喧しい」

「そうかい、価値観の相違というものだね」

 コーヒーを一口飲み込めば、深煎りされた豆の香りと熱にうなされたような苦味が伊鶴の脳に響いた。

「よくそんなものが飲めるな」

 その言葉に伊鶴は少し肩をすくめて笑った。

 ……深鷹曰く、キイキイと煩わしいヴァイオリンの音がしばらく響く。

「それで」

 伊鶴はカップをソーサーに戻し、視線を深鷹に合わせる。

「話とはなにかな」

「わかるだろう?」

「なにが」

「見えてるはずだ、これが……」

 忌々しさを抑えきれない声を漏らしながら、深鷹はテーブルの上を指さした。

 そこにはぼうと薄暗く蠢く小さな黒いものがいた。

 埃、とは見間違えない。黒いそれには目がある。口がある。小さく細い手と足がある。その目は深鷹を見ていた。その口は深鷹に話しかけていた。その手足は深鷹に縋ろうとしていた。それを見た深鷹は眉を潜ませ奥歯を食いしばり、心底嫌悪するような顔をしてそれをテーブルから払い落とした。

「嫉妬」

 伊鶴は呟いた。

「妬み、嫉み、僻んだ羨望、やっかみ。心当たりは?」

「ありすぎるほど」

 ふん、と鼻を鳴らし、深鷹はまた湧き出してきた黒いものを指ではじく。

「第一に私は美人だ。家はお金持ちで、勉強もできた。運動の成績はよかったし。非の打ち所がない」

「相変わらずまあ、君という人は」

「ただこれらをどうこうしてやることは私にはできない」

「そうだね」

 コーヒーの最後の一口を飲み干し、伊鶴は首をかしげる。

「君を妬む人間すべての息の根を止めるのが一番早いが」

「君が捕まるのは避けたいな」

「そう思ってくれて嬉しいよ。あとはまあ、みんなが君のことを忘れるかだね」

「……忘れてくれるだろうか」

「忘れるさ。人間なんて勝手で曖昧なものだから」

「君は……」

「覚えているよ。君がいたこと、ずっと覚えている」

 伊鶴は深鷹をまっすぐな視線でとらえて離さない。深鷹は半分だけになった頭からこぼれ落ちそうになる脳を押さえ、困ったように笑った。

「でもいつか忘れるだろう。君だって勝手で曖昧な人間なんだから」

「そう、勝手だから、私が忘れるまで付き合ってもらうよ」

 伊鶴は伝票を手に取り、席を立った。深鷹もそれに続く。勘定を払い、コロンコロンとドアベルが音をたてるのをくぐる。

「それで、私の仕事は君を妬む者から君の記憶を消すことだけれど、君はどうやって対価を払うんだい」

「君の手伝いをしよう。君の手足となって、君の望むままに動き、君の望むことを成す」

「友人にそんなことさせたくなかったんだけどね」

 伊鶴は溜息をついて空を見あげ、傘を広げる。

 雨はまだ止まないようだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ