第4話 蜃気楼
20XX年7月5日 13:36 JST
東京都内 某所 ─ 官邸へ向かうタクシーの車内
窓の外で、景色がゆらいでいた。
アスファルトの照り返しが、蜃気楼のように車列を歪ませる。
真夏の午後、気温は39度。
風間隆一はワイシャツの襟元を緩め、額の汗をハンカチでぬぐった。
「まるで都市が発熱してるな」
車内の冷房は十分に効いている──にもかかわらず、じっとりと嫌な汗が滲む。
ハイブリッドのタクシーは静かに停車したまま、ほとんど動く気配がない。
カーナビはすでにフリーズし、スマホの地図アプリは“位置情報を取得できません”のまま固まっている。
ドライバーが苦笑まじりに言った。
「すみませんね、目的地まではあと10キロちょっとなんすけど……この先、渋滞が何キロ続いてるかわかりません」
背広の内ポケットでスマホが振動する。
風間はすぐさま取って応答した。
『風間さん、今どこです?』
「市ヶ谷の交差点あたりだ。完全に止まってる」
『官邸前、入口封鎖されました。警視庁と警備局が警戒モードに入ったそうです』
「封鎖?……なぜ?」
『……Googleの障害に関連して、各国のクラウド環境で大規模な不具合が。SNSと決済が一部停止、金融庁からも問い合わせが来てます』
「通信遮断か?」
『通信自体は生きてますが、データベース応答がないようでして。“トークン無効”という報告が相次いでいます』
風間は視線をフロントモニターに移した。ドライバーがNHKのニュースをつけている。
『アメリカ中西部アイオワ州のデータセンターで発生したシステム障害について──』
画面のテロップには「Googleの米国拠点、原因不明のサービス停止」とある。
画面下の株価帯は生きているのに、画面右のライブ地図が固まったままだ。音声は繋がる、映像も出る。だが、認証が要る系統だけが落ちている——そう見えた。
(通信は生きているのに信頼連鎖だけが落とされている……)
「……これは、ただのサーバートラブルじゃないな」
『政府内でも、通常の障害ではないという認識に変わりつつあります。AWS、GCP、SNS、決済、すべてに影響が出ているようです』
「となると、単一の攻撃元じゃないな。ウイルスの可能性が高いか」
『ええ、その方向で現在NISCと警察庁のCSIRTが調査中です。』
「わかった。NISCと警察庁のサイバー班、内閣サイバーセキュリティセンター、全員集めろ。今から緊急会議だ」
『了解です。有識者の招集は?』
「そうだな……。分野は問わない。コンピュータウイルス、量子通信、AI、インフラ防災……何でもいい。ウイルスやコンピュータ関連でピンと来る連中を全員当たれ。それと──」
風間は一呼吸おいた。
「……この件は災害ではない。我々は“攻撃”を受けている。初動から、そう考えて動け」
電話を切ると、風間は助手席の背に手をかけ運転手に声をかけた。
「すみません、ここで止めてもらえますか。歩いた方が早い」
ドライバーが苦笑する。
「お客さん、もう止まってますよ」