ペンタプリズム 鏡の中の共犯者
気づかれないように
心の一部を 置き去りにしたまま
僕は今日も「またね」と言った
誰かの推しになるって、こんなにも
自分を削ることだったのだろうか
心を込めるたびに
境界線が曖昧になっていく
優しくしたつもりが
誰かを傷つけていた
頑張ったつもりが
誰かに媚びていると言われた
僕はただ
話したかっただけなんだ
誰かとちゃんと
居たかっただけなのに
見られることで
壊れていく関係があることを
愛されることで
見失うことがあるなんて
知らなかったんだ
鏡の向こう
あの日の僕は
まだ笑えてるだろうか?
第一章<昼下がりの部屋>
午後一時。
うっすらと曇った空の下
窓を閉めた部屋の中は静かだった。
冷蔵庫のモーター音と、パソコンの駆動音。
たったそれだけの生活音が、空気の隙間を埋めている。
「こんにちは、緊張する」
スイッチを入れて、配信画面を開く。
5日 — いつかは、画面に映る自分の姿に一瞬だけ視線を落とした。
少し気怠げに整えたワイシャツといつものネクタイ。
腕には伸びた後ろ髪を結ぶための黒いヘアゴム。
推しと同じデザインのリング。
5日はこのスタイルで配信している。
配信者5日は、昼過ぎにしか現れない。
それは彼の中にあるルールのようなもので
もはや習慣と呼べるほど染みついていた。
「こんにちは、いつかです。来てくれてありがとう」
言葉とともに、画面の下にコメントが流れ始める。
「こんにちは」
「初見です」
「声が超好きです」
「そのネクタイお似合いですね」
「私の癒しいつかさん」
5日は、エフェクトを付けた手をほんの少し上げて
スマホの向こうにいる誰かに手をふる。
心は少しだけ遠くにあった。
けれど、その距離感が心地よかった。
「じゃあ今日は、ちょっとだけ弾いてみます」
コメント欄が一瞬だけざわつく。
「え、ギター?」
「まじで!?」
「やったー」
「いつかさんの歌大好き」
5日は小さく笑って
椅子の横に立てかけてあった
お気に入りのギターを手にとり
カポを探していた。
生配信の音質なんて本当は大したことないのに
不思議と静かな時間が張り詰めていくように感じた。
ギターを膝にのせ
軽くコードを鳴らす。
G。
いつものはじまり。
「最近、思うんだけどさ」
ぽつりと漏れた声は
演技ではない。
昼下がりの部屋に響く
ほんの独り言だった。
「たまに、誰かに言葉がちゃんと届いた気がしてさ。でも、それがどうしてなのかは、わかんないんだよね」
画面の向こうから
応える声はない。
あるのは
流れ続ける文字の波。
「不思議ですね」
「私にも届けて」
「今日も素敵ですよ」
それらがまるで
コメントの中に埋もれた
救命信号のように見えた。
誰に言ったかはわからない。
でも、そこに誰かはいる。
画面の中の5日は
今日も顔出しはしていない。
上半身、手元だけがフレームに収まっている。
ストロークが軽やかに始まる。
オー・シャンゼリゼ
音が流れ出すと
コメント欄が一気に色づいた。
「うわ、素敵!」
「カッコいい」
「いい選曲ですね」
「なんか泣けてきた」
「本当はね、こういうの弾いてる方が気楽なんだ。自分の話しって、なんか、どこまでいっても嘘みたいで」
ギターに向かって、ぼそっとつぶやく。
「顔をあまり出さないねって、たまに言われるけど、僕は出さないんじゃなくて、すぐに見せられる顔を、まだ持ってないだけなんだと思う」
明るい曲調のまま
コードを繰り返しながら
彼の声は少しだけ低くなった。
「でもさ、笑ってくれる誰かがいると、なんかちょっと、騙されていられるんだ。このままでも、平気かもって。たぶん、それってすごくズルいんだけど」
やがて演奏が終わり
コメントが小さな拍手で埋め尽くされる。
5日はその波をじっと見つめたまま、何も言わなかった。
その沈黙さえも
5日には声に聞こえていた。
第二章<鏡越しの会話>
配信を切ると
部屋が一気に静かになる。
外からの音も
時計の針の進む音も
まるでマイク越しのフィルターを
失ったかのように急に現実的になる。
「やっぱり、疲れるなー」
5日は椅子をくるりと回して
後ろの壁にかけられた鏡に目をやる。
そこに映るのは、ワイシャツの男。
無精ひげはうっすら
髪は寝癖交じり
ネクタイは少し曲がっていた。
「おまえ、うまくやってるつもりか?」
誰にともなくそう言って
鏡の自分に目を細める。
その表情は
どこかで見たことがある
配信中に浮かぶ
自分の笑顔と同じだった。
5日を演じる自分
そしてそれを傍観するもうひとり。
どちらが本当かなんて
もう分からなかった。
「みんな『素敵ですね』って、僕のどこを見て言ってるんだろう」
語りかける相手はいない。
ただ、鏡の中の彼だけが
すべてを聞いている。
「でもまあ、悪くなかったよな今日の配信。ちょっと浮かれた歌も歌っちゃって」
鏡の中の彼が
にやりと笑った気がした。
その瞬間だけ
現実と虚構の境目が曖昧になる。
ペンタプリズムのように光を屈折させ
自分を多面体のように映し続ける配信という世界。
誰かの理想の自分になっていくうちに
本当の自分がわからなくなる。
それでもまた金曜日
昼過ぎには定期配信をする。
第三章<5日という人>
5日 — いつか、という名前で呼ばれている。
ずっと前からそうだったような気がするし
昨日思いついたばかりのような気もする。
画面の向こうからは、いつだって
「おつかれさま」
「今日も来たよ」
「手が綺麗ですね」
「カッコいいですね」
そんな言葉が流れてくる。
けれど彼は
顔を見せることはほとんどしない。
昼過ぎ、光がまだ柔らかい頃
少しだけ開けた窓の隙間から
優しい風が入ってきて
ブラインドカーテンを揺らし
ギターの音が部屋に滲む。
音が鳴って、言葉が落ちる。
それだけで成り立つ空間。
それだけで
どこかの誰かと繋がれる気がした。
本名なんて、誰も知らない。
でも「いつかさん」って名前は
確かに何人かの心に残っているらしい。
それだけでいい、と思っていた。
何かを説明するでもなく
深く踏み込ませるでもなく。
アイコンだけ置いて
音を流して
言葉をこぼして
それで時間が進むなら
それで十分だった。
弦を弾く音に
微かに自分の呼吸が混じる。
音と音の隙間に
沈黙を許すのがうまくなった。
ギターのコードも
コメントの読み方も
間の取り方も
少しずつ「5日」のものになっていった。
第四章<昼過ぎ繋ぐペンタプリズム>
今日も昼過ぎの配信。
「月の爆撃機、弾きまーす」
そう、つぶやいて指を動かすと
コメント欄がぽつぽつと微笑んだように反応する。
「なんか心に響く」「大好きな曲」とか。
あるいは、無言の絵文字だけ。
それが嬉しかった。
と同時に、どこか怖くもあった。
画面には、ギターと指先しか映っていない。
その先にあるはずの「顔」は、いつも隠れている。
「昼の配信って、なんか、落ち着いていて好きです」
ぽろっとこぼした言葉に
またいくつかの反応が返ってきた。
「わかる」
「安心する」
「声が心地いい」
コメントひとつひとつ
確かに胸に届くのに
なぜかどこか
すり抜けてしまうような気もしていた。
ペンタプリズムみたいだと思う。
本当の姿は映さずに
光の角度だけで色を変える。
そこにいるけど
全部は見せない。
透明なようで、全部嘘。
でも、その嘘に救われている人も
きっとどこかにいる。
5日は、それを信じたかった。
第五章<記号とアイコン>
「あの、スマホがちょっと、最近バグってるかもです」
配信の冒頭で、いつかはそんなふうにつぶやいた。
特に意味はなかった。
少し開けた窓の隙間から
気持ちのいい風が入ってくる。
ギターにはまだ触れられず
画面は静かだった。
「今日はスマホがいまいちなので静止画で雑談だけにします」
「興味ない人は、抜けてもらってもいいです、寂しいけど」
その声に、いくつかのコメントが
ゆっくりと流れていく。
「昼休みです」
「いい声してますね」
「抜けませんよ」
「会いたかった」
画面に、アイコンと文字。
それだけで成立する会話。
そこには本当の温度は要らない。
それでも
寂しいとは思わなかった。
むしろ、これ以上近づけない距離感が
心地よい時もある。
「愛されたいとか、思ってた時期もあったかもです」
「今は、別にただ、話したくなる時があるっていうだけで」
一瞬、指先がギターに触れたが、
何も弾かないまま、手は離れた。
やりとりを何度も重ねながら
5日は少しずつ
自分のシルエットを作ってきた。
だけど、それが誰かの記憶に
残るほどの強さを持つとは限らない。
彼はそれでも、配信開始ボタンを押す。
第六章<始めた理由は言えなかった>
最初の配信は
たしか冬の終わりだった。
吐く息が白くて
手の指が思うように
動かなかったのを覚えている。
当時のアカウント名は
今の「5日」ではなかった。
読みも綴りも
よくある言葉の変形だったが
それさえも人に見せるのが怖くて
しばらくは非公開にしていた。
誰かに聞いてほしい
でも、知られたくない。
その矛盾を抱えたまま
彼は配信を始めた。
誰も見ていない時間の中で
ただギターを弾いたり
静かな部屋で
本の一節を読み上げたり。
「今日の配信、0人。笑える」
マイク越しにそう呟いて
自分の声の寂しさに驚いた。
でも、その静けさが彼を救った。
誰にも見られていないことは
彼にとって誰にも
否定されないという意味だった。
何かが壊れていたわけじゃない。
ただ、うまく生きられなかった。
誰かと深く繋がることが
いつもどこかで怖かった。
だから、最初のうちは
名前すら出さなかった。
「こんばんは」も「ありがとう」も言わず
ただ音だけを流し続けた。
声を出すようになったのは
それからずいぶん経ってからのことだった。
その時、彼はもうすでに「5日」だった。
それは、自分を名乗るための名前ではなく
誰かと関わるためだけの
最小限の呼吸のようなものだった。
第七章<名前を呼ばれること>
その日、「5日」の配信には
見慣れたアイコンがいた。
たまたま、何度かコメントを
してくれていたリスナー。
名前を呼ぶようになったのは
ほんの小さなきっかけだった。
「ちいかさん、こんにちは」
そんな一言を口にした瞬間
自分の中で、何かがこちら側へ傾いた気がした。
いつのまにか、相手も
「いつかさん」と呼び返してくれるようになっていた。
画面越しに名前を呼び合うことが
こんなにも脆くて
それでいて温かいものだとは知らなかった。
けれど、それは同時に
「期待されること」でもあった。
待ってくれる人がいる、ということ。
忘れられない限り
名前が存在し続けるということ。
配信の数が増えるにつれて
コメントも少しずつ賑やかになっていった。
アイコンが並び
短い言葉が画面を横切る。
「今日も声が落ち着く」
「この前のギター、よかったです」
そんな些細な言葉が、不意に胸を突く。
「ありがとう」
その一言に、心のどこかがざらつく。
ありがとうなんて言葉は
日常ではほとんど使わなかった。
いつのまにか、「5日」としての僕が
本来の自分を超えていくような
そんな錯覚があった。
「今日、顔出すかちょっと迷ったんですけど、あんまり寝てなくて」
冗談めかして言うと
いくつかのコメントが返ってくる。
「いつかくんの顔、また見たいな」
「笑顔がかわいいんだよな」
「前回の配信かっこよかったよ」
そういう言葉に、まだうまく返せない。
けれど、たまに見せるという距離感は
自分にとってちょうどいい
仮面のようなものだった。
顔出ししようか迷った日。
アプリをオンにして
エフェクトを調整しながらふと思う。
「この顔のまま、何かを伝えられるだろうか」
配信者としての表情と
画面の向こうから見える印象。
そこに本当の自分を置いてくるのは
まだ少し怖い。
だから、いつも通り声だけで始める。
それでも誰かはそこにいて
名前を呼べば
ちゃんと応えてくれる。
「この前の歌、凄くよかったよ」
「いつかくんの声、安心する」
そんな言葉のひとつひとつが
知らないうちに深く沈んでいく。
画面に「顔出しまだ?」というコメントが
浮かんで、5日は少しだけ笑った。
「そのうち、気が向いたら」
ほんとうは出すつもりで、少し準備していたが
今日は見せないで、またねすることを選択した。
また来てくれることを信じて。
第八章<きみの顔を見た夜>
ある日、5日は本当に気まぐれで
配信冒頭から顔出しをした。
恥ずかしかった。
髪の癖もついたまま、服装も推しのTシャツだったけど
「今日はこのままでいっか」と、思えた。
いつもよりコメントは控えめだった。
きっと画面の向こうも
こちらの様子を伺っているのだろう。
まるで、誰かと目が合ってしまったときのような
妙な緊張感があった。
配信の最後にはギターを手に取った。
少し弦が古くなっていたけど
『オー・シャンゼリゼ』のコードは
指先が覚えていた。
いつも何か すてきなことが
あなたを待つよ シャンゼリゼ
淡々と、だけど優しく歌った。
「なんか、見せすぎた気がして」
そう言って、次回の配信から
また顔出しは止めた。
数日後、DMが届いた。
差出人は配信によく来ているリスナー。
長いメッセージのなかに
こんな一節があった。
「あの日、いつかさんが、顔を出してた配信、実は泣きながら見てました。知らない誰かの顔が、こんなにやさしく見える日が来るんだなーて思いました。」
スクロールしてもスクロールしても
綴られていたのは記号ではない言葉だった。
乱れた文面も、不器用な言い回しも、まっすぐだった。
5日はしばらくスマホを見つめて
それから、ゆっくりとギターを手に取った。
「ちゃんと、見てたんだな」
ぽつりとつぶやいて
照明を落とした部屋で
オー・シャンゼリゼのコードを弾いた。
それは配信ではなかった。
誰にも届けない音だったけれど
その晩、彼はいつになく
まっすぐに歌った。
第九章<向こう側にきみがいた>
こんな夜は
決まって眠れない。
眠れないまま、ぼんやりと
自分のことを思い出す。
配信を始めた理由なんて
はっきりとは覚えていない。
けれど、あのとき何かから
逃げたかったのは確かだった。
現実で誰かと顔を合わせるのがしんどくて
音だけの世界に身を置いてみたくなった。
声だけなら
言葉だけなら
少しはうまくやれる気がした。
最初の配信は
機材も頼りなくて
誰も来ないまま時間だけが過ぎた。
それでも不思議と
やめようとは思わなかった。
誰もいないことが
あのときは心地よかった。
むしろ、それが希望だった。
そのうち、ぽつりぽつりと誰かがやってきて
「初見です」
「手、綺麗ですね」
「優しそうな感じがします」
なんてありふれた言葉が
思いがけず胸に響いた。
名前も顔も知らない誰かと
たったひとつの言葉でつながれること。
それが思ったより、ずっと温かかった。
あの日から今日まで。
週2回の配信を続けている。
不安なときも
うまく笑えない日も。
誰にも会いたくない日でさえ
配信の「開始」ボタンだけは押せた。
自分を必要以上に語らなくてもいい。
声だけで、メッセージのひとつで
伝えられるものがあるのだと信じたかった。
「あの人、また見に来てくれるかな」
独り言のようにつぶやいて
またギターを手に取る。
今日は少しだけ早い時間に
配信を始めてみようかと思った。
何も言わずに、ただ少しだけ音を鳴らして。
そうすれば、あの人がこっそり
アイコンを灯してくれる気がした。
第十章<灯りつづけるアイコンの下で>
その夜は、珍しくスタジオから
ギター練習の配信だった。
「こんばんは。気が向いたので」
それだけを言って
5日はギターの音に身を任せた。
画面のコメント欄には最初、反応がなかった。
数人の常連が
「こんばんは」
「これました」
「珍しい時間ですね」
と挨拶をしてくれる。
けれど、あの人のアイコンは見つからない。
ほんの少し
胸の奥が空っぽになるような感覚。
でもそれもすぐに押し込めた。
期待しすぎるのは、良くないから。
ギターの音が一巡したころだった。
「来ちゃいました」
短くて、なんてことのないそのコメントが
突然、画面の下に現れた。
思わず手が止まる。
ほんの一拍
間が空いた。
そして5日は笑った。
誰にも見えないのに
見られてるような気がして
笑ってしまった。
「うれしいです、来てくれて」
たったそれだけの返事。
そのあと視聴者欄に
彼女のアイコンが灯り続けていた。
「今日は、マリア弾きます」
そう言って、5日は久しぶりに
オリジナルの曲を弾いた。
言葉にならなかった思いを
旋律の間に挟み込むように。
コメントは増えなかった。
けれど、それでよかった。
灯り続けるその小さな存在が
この夜のすべてを埋めていた。
第十一章<たった一通のたしかなこと>
翌日。午後の光が窓に差し込むころ。
5日はいつものように
アーカイブのコメント欄を開いた。
前夜の配信は、特に大きな反響が
あったわけではなかった。
視聴者数も
見慣れた数値の範囲内だった。
ただひとつ見慣れない名前の
長いコメントが目に入った。
「少し泣きそうになりました」
「あなたが何を思って弾いてたかなんて分からないけど」
「それでも、私にはちゃんと響いてました」
「言葉がなくても、そういうのって伝わるんですね」
「勝手に共犯者みたいな気持ちになってました。すみません」
そこまで読んだところで
5日は思わず指を止めた。
共犯者という言葉。
それは、どこか自分の中にあったもの。
鏡に映る共犯者とはまた別の、寄り添う共犯者。
胸の奥の、暗くて静かな部分に
沈んでいた感情。
声を届けることで
どこかの誰かと
同じものを見ているという感覚。
本当は誰かに、そう思っていて
ほしかったのかもしれない。
ずっと知らないふりをしていた。
リスナーも、ただの他人だと思い込むようにして。
「ありがとう」
小さな声でつぶやいて、画面を閉じた。
返信はしなかった。
そのコメントは
いつもの午後の空気の中に消えていった。
昨夜のギターの音だけはまだ指に残っていた。
伝わるかわからない旋律を、また紡いでみようと思った。
第十二章<昼の光と、輪郭>
午後二時。
音を吸うような静けさが漂う中
5日は配信を立ち上げる。
少し遅めのスタートだった。
いつものBGMはオフ。
マイクはオン。
エフェクト設定のタブに
しばらく指を置いたまま動けずにいた。
「ちょっとだけ」
画面の端にぼんやりと映る輪郭
ギターを構えた腕のラインと
ねじねじのままのイヤホン
頬の一部が光に溶け込むように見える。
「こんにちは、お昼ですね。おつかれさまです」
声を出すと、やっぱり空気が変わる。
画面越しのリスナーも気づいたのか
コメント欄がすぐに反応した。
「あれ、顔少し映ってる?」
「この雰囲気は、レアすぎる」
「光、きれいですね」
その中に、見覚えのある名前の方が一言。
「共犯者 笑 また来ました」
5日はその名前を見て
ほんの少しだけ視線を落とした。
何も言わずに、ギターを手に取る。
弾いたのは、一昨夜の配信とは違うメロディ。
でも、ところどころにあの旋律が混ざっていた。
それは、昼下がりの光に似合うように
やさしく、かすかに揺れる音。
「ねえ、誰かが言ってた。昼の光って、夜よりも色々と隠せないって。僕はそれを信じてみようと思います。バレてもいいかなって」
コメント欄が再び動き出すまでの間に
なにかが 確か にあった。
第十三章<共犯者からのメッセージ>
配信が終わって数時間後。
5日はいつものように
スマホを眺めていた。
けれど、さっきの空気が
まだ部屋に残っているような気がして
画面に映る文字たちも
どこか静かな光をまとって見えた。
そこへ、DMが届く。
「今日の配信、すごく素敵でした」
「あのギターの音も、ちょっとだけ見えた横顔も、わたしにはすごくうれしかった」
5日はスクロールを止めた。
画面の向こうの誰かの手が
直接自分の胸に触れてきたような感覚。
「共犯者って書いたの、覚えてますか?」
「あれは、ちょっとした冗談みたいな気持ちだったんですけど」
「あなたの歌に、あなたの声に、私は何度も助けられてきたから」
「共犯者でいさせてほしいって、そう思ってしまって」
「あなたが顔を出さなくても、名前を忘れても、私はあなたを覚えていると思います」
「大げさかもしれないけど、世界のどこかに、あなたみたいな人が生きてるって思えるだけで」
「わたしには少し強くなれる理由になります」
5日は、DMを読み終えて
ふと部屋の窓を見た。
空は、お昼よりも少しだけ色を落とし始めていた。
夕方が来る前の、灰色と金色が混じった光。
手がほんの少しだけ震えていた。
「共犯者、ねー」
そうつぶやいた自分の声が
ギターのボディに反射して
かすかに返ってきた。
第十四章<昼の声、影のかたち>
「配信って、嘘つけない気がしてさ」
「言い訳がしにくいっていうか、ね」
5日の声は、少しかすれていた。
午前中に弾いていたギターのなごりが
声の奥に滲んでいる。
「ちょい顔出し配信のコメント全部読ませてもらいました。ありがとう」
その一言の間に、静かな息遣いが入る。
「嬉しかったです。驚いたし、正直ちょっと、照れちゃいました」
コメント欄には昼らしい、穏やかな反応が並んでいた。
「今日は、顔出しは無しでやりたいなって思ってます。その方が落ち着いてお話しできますからね」
目を閉じて、言葉をひとつずつ
選ぶように話すその声は
まるで透明な空気の中を漂っているようだった。
とりとめのない話で進んでいく時間は
心地が良く、少し眠くなるように流れていった。
「共犯者って言ってくれた人がいたんだよね。あれ、すごく残ってて」
ほんの少し、笑う気配がマイクに滲む。
「たぶん、僕はずっと誰かに気づいてほしかったのかも。何かを隠すことで、気づいてほしかった。わかりにくい愛情表現ってやつですね」
コメント欄にはまた、静かな文字が流れる。
「ちゃんと届いてますよ」
「ここにいます」
「愛情表現かー」
5日はギターに手を伸ばす。
でも、弾かなかった。
ただネックに触れて
弦を軽く押さえる。
「今日はこれで終わりにしますね。お付き合いいただき、ありがとうございました。2時間もやってた気がする。いっぱいしゃべってくれてありがとう」
切断音の代わりに
しばらくの沈黙。
そして、ふっと配信は終わった。
外では、午後の風が少し強くなっていた。
けれど、その風音もどこか優しく聴こえた。
第十五章<もうひとつのペンタプリズム>
通知音が鳴ったのは午後1時の少し前だった。
スマホの画面には
「5日さんが配信を始めました」の表示。
彼女はソファに座ったまま
音だけを聴く準備をした。
「今日は、顔出しは無しでやりたいなって思ってます」
その第一声で
彼女は息を吸い込んだ。
きっと、昨日のことを
話すだろうと予想していた。
昨日少し映った、あの人の横顔。
その表情の曖昧さ。画面越しの距離。
それでも、心の奥でふいに生まれた「何か」
共犯者と、コメントしたのは少し前の配信だった。
軽い気持ちで書いた言葉じゃなかった。
彼の作る空気の中に
なぜだかずっと自分がいる気がしていた。
誰かに見られているのではなく
見られることを許されている感覚。
そして、それが共有されているという錯覚。
「たぶん、僕はずっと誰かに気づいてほしかったのかも」
スマホのスピーカーから届くその声は
今日もまた少しだけ遠かった。
でも、存在を近くに感じるのはなぜだろう。
まるで、こっそり名前を呼ばれているような。
彼女はスマホに向かって小さくつぶやく。
「こちらこそ、ありがとうございます、大好き」
誰にも聞こえない音量だったけど
きっと彼には届いている気がした。
第十六章<肯定、曖昧、願望>
毎回、配信を切った後の部屋は
予想以上に静か。
窓の外では、昼の光が
壁を伝ってずれていく。
その影の速度に気づくと
不意に「時間って優しいな」と思う。
共犯者
あの言葉は、思った以上に心に残っていた。
コメントの中の、たったひとつ。
ただ、それを目にしたとき
自分の中で何かが肯定された気がした。
言葉を飾るのが得意になった。
配信者としての声色も
空気の作り方も。
ギターの音すら
自分を曖昧にするためのツールになった。
だけど最近、少しずつ
その曖昧さが苦しくなってきていた。
顔を出すかどうか。
それは、きっとただのきっかけだった。
「伝えたい」という気持ちが
「見られたい」という願望と
ゆっくり混ざってきている。
誰かに気づかれることが、こわい。
でも、気づかれないまま終わるのは
もっとこわい。
スマホにDMの通知が届いた。
不意打ちのように震えた画面に
見覚えのあるアイコンがひとつ。
「今日の配信、すごく良かったです。優しい空間に浮かぶ声、ちゃんとそこにいたよ」
5日はその文章を何度も読み返した。
名前は出ていなかった。
けれど、あの人だとわかった。
昼の光はまだ、ぎりぎり部屋の奥まで届いていた。
「そこにいるって思えるなんて、どうしてだろうね」
誰にも聞こえない声で、そうつぶやいた。
第十七章<無理数の追跡者とリアル>
昼の配信が終わって
コメントのひとつひとつが
いつまでも頭の中で響いていた。
「きっと、分かり合えない」
誰かがそうコメントした瞬間があった。
一瞬だけ流れて、すぐに
別の言葉に飲まれていった。
画面越しのアイコンの叫びは
意外にも核心を突いていた。
僕たちは、理解し合うためにここにいるんじゃない。
ただ、触れることを許し合っているだけだ。
アイコン、記号、名前のない言葉。
それらが彼を支えてきた。
ニコチン代わりに吸って、吐いて
やがて何も残らなくなるもの。
それでも、画面の向こうには誰かがいた。
無数の視線があるはずなのに、
ときどき、一人とだけ繋がっているような錯覚が訪れる。
その誰かと、言葉を交わさなくても
同じものを見ていたような。
そんな奇跡。
「無理数って、さー」
ぽつりと、5日は口に出した。
ただの独り言。
「割り切れないってだけで、ずっと不完全扱いされる。でもさ、正しさだけじゃ語れないことって、沢山あるんだよね」
部屋の中で、そっと目を閉じた。
「分かり合えない誰かへ。もし、また聞いてくれるなら、次はお話ししようね」
夜は孤独を包み込むけど
昼は孤独を照らし出す。
その違いを、最近ようやく自覚するようになった。
「今日は、どうしようかな」
声を持つこと。
それだけが、今の彼にとって唯一の
「リアル」だった。
第十八章<ランデブー>
「聞こえてるかな?」
「誰か教えて」
いつも通りの昼過ぎ。
声は小さめだけれど
マイクにはしっかり届くように。
配信が始まった瞬間
5日はいつものように
首から下だけの自分を
画面越しに浮かび上がらせた。
「昼はさ、気持ちが透けるから苦手って言ってた人がいたんだ。でも今の僕はこっちのほうが好きかな。なんか、うまく嘘つけないから、楽になれるっていうか」
画面にコメントが流れ始める。
いつもの挨拶、絵文字、日常の断片。
時折、ギターに対するリクエストも混じる。
「今日もありがとう」
「わたしもお昼が好きです」
「あの曲また聴きたいな」
顔を見せた日のこと。
思いがけない反応に驚き
画面の向こう側と近づけた気がした。
今日はただ、ギターを鳴らす日。
「じゃあ、昨日よりちょっとだけマイナーコード多めで弾くね」
そう言って、5日はコードをひとつ刻む。
Aマイナー。
音が昼下がりの時間のなかに溶けていく。
そのとき、コメント欄にひとつの言葉が落ちた。
「また、会えたね」
誰のコメントか、分からない。
でもその言葉は
やけに静かに胸に残った。
「また、会えたね」
それは、誰かに向けた言葉なのか。
それとも、僕に向けたものだったのか。
5日は答えを求めず
ただ次のコードを鳴らした。
音は言葉のかわりになる。
音は、記憶の中に灯るペンタプリズム。
ここで、また、会えた。
それだけで、今日は十分だった。
第十九章<またね、オフラインの余白>
窓辺の時計が
14時を少し過ぎた頃を示している。
「そろそろ、終わりかな」
5日の声は、静かだった。
はじめたときと同じ、いや
それより少しだけ深い温度を帯びていた。
「もう終わり?」
「お疲れ様でした」
「またやってね」
「今日もギターが沁みました」
「いつかくん、ありがとう」
「また、会えたねって言ってた人居たね」
最後のそのコメントに
少しだけ目が止まる。
けれど、それを読むことはしなかった。
たぶん読まないことで
守れる何かがあると思った。
「音が届くぶん、気持ちも透けてくる。でも、こうして何かが響いてくれたなら、それだけで今日の配信は、、、」
言いかけて、笑った。
まとまった言葉を最後に置くのは
まだ少し照れくさい。
「じゃあ、『またね』また来てくれるって信じてるから」
言葉を残して
配信画面を閉じる。
「配信終了」ボタンを押したあとの
静けさはたしかに何かを失ったようで
それと同時に、どこか救われたようでもあった。
部屋の中には、誰もいない。
けれど5日は、たしかに誰かと会話していた。
自分の存在が、画面の向こうで
誰かの記号になっている。
部屋に戻ったという感覚はなかった。
正確には、ずっとこの部屋にいたのに
「戻った」と感じたのだ。
パソコンのモニターは
黒い反射のなかに彼の顔を映している。
そこにはもう、誰もいない。
コメントも、絵文字も、通知の音も。
ただ、自分だけ。
「またね、か」
小さくつぶやく。
配信ではそれが結びの言葉だった。
何度も使っている癖に
いつも言ったあとで胸の奥に引っかかる。
またねが、永遠にこない日があることを彼は知っていた。
マグカップの底には
冷めたコーヒーが残っていた。
DMの通知が点滅した。
また、会えたね。
その言葉に
画面を閉じたはずの空間が
ほんの一瞬だけ揺れた気がした。
記号でも、アイコンでもない。
誰かの言葉が
昼下がりの余白に染み込んでいた。
第二十章<言葉を使いこなせなかったあの頃>
昔。
それは「5日」ではなく
ただの自分だった頃。
言葉を口にすることが、ひどく苦手だった。
正しいことを言おうとすれば、舌がもつれた。
気持ちを伝えようとすれば、声が震えた。
言いたいことは
いつも一歩遅れて喉の奥に引っかかった。
でも、音楽なら言えた。
文章なら逃げずに済んだ。
誰にも見られないところでなら
素直に弱音を吐けた。
だから、名前を変えた。
顔をあまり出さないことにした。
そうやってようやく
誰かと繋がるための言葉を持てるようになった。
5日という名前は、ただの「仮面」ではなかった。
あれは自分に代わって
代弁してくれるもう一人の存在だった。
だからこそ
画面の向こうにいるリスナーの事も
5日はいつしか「お友達(共犯者)」
と呼ぶようになったのかもしれない。
彼らもまた、自分をさらけ出さずに
アイコンの向こうで何かを吐き出している。
「お友達(共犯者)って、なんですか?」
それは、配信中にコメントで寄せられた質問だった。
シンプルな言葉だったけれど
5日は答えるのに少し詰まった。
なんでだろう。
ただの言葉なのに
そのときは息が少し浅くなった。
結局、笑ってごまかして、こう答えた。
「一緒に馬鹿をしてくれる人かな。たぶん」
リスナーの何人かが「笑」と返し
また何人かは「わかる」とだけ言った。
けれど5日にとっては、それ以上の意味があった。
第二十一章<変わってしまうアイコンの中身>
深夜に5日はぼんやりとアーカイブを眺めていた。
過去のコメントがひとつひとつ流れていく。
見慣れたユーザー名、アイコン、絵文字。
その中に、お友達の名前を見つけた。
アイコンは変わっていなかったけど
以前と比べて言葉がよそよそしい。
最近は、他の配信者の話ばかり
自分のストーリーに投稿している。
「あの人の話し方が好き」
「あの人の枠にいる人達は本当に優しい」
「彼の声が落ち着く」
まるで、昔自分に向けられていた言葉たち。
ふと、別の配信者のライブで
その人の名前を見つけたとき
何とも言えない感情が胸の奥でにじんだ。
そっか
それだけのことなのに
息が少しだけ詰まった。
応援は自由だ。
分かっている。
自分だって
誰かの代わりだったかもしれない。
でも、名前を呼ばれたときの
あの嬉しさを知ってしまったから。
軽率に羨ましくなった。
沢山のギフトで愛を伝えてくれたあの人。
優しいコメントを残してくれたあの人。
「今日もありがとうね」
「また声に救われたよ」
「あなたが一番大好きだからね」
そういう言葉は
今はもう見かけなくなった。
記号とアイコンは、変わらないのに。
中にいる人の心だけが、少しずつ離れていく。
「僕が何か変わってしまったのかな」
泣きながら、そうつぶやいてみても
答えは返ってこなかった。
第二十二章<ギフトの向こう側>
配信を始めたころは
数字なんて見ていなかった。
フォロワーの数も、同接も、ギフトも。
ただ、自分の声を、思いを
音楽を、誰かが聞いてくれている。
それだけで嬉しかった。
昼間の、誰もいない部屋の中で
ぽつぽつ話す自分の声に
「こんにちは」
「素敵な声ですね」
「今日もきたよ」
って、返してくれる人がいる。
それが奇跡のようだった。
でも、気づいたらギフトの数を数えていた。
「投げてくれたら嬉しいな」
そんな言葉を口にするようになった。
いや、言わないようにはしていた。
でも、態度に出ていたのだと思う。
お友達の一人がコメントした。
「最近、ちょっと変わっちゃったね」って。
刺さった。
自分では隠してるつもりだったから、余計に。
変わったのかもしれない。
いや、変わってしまったんだ。
ギフトをもらえば嬉しい。
同接が多いと安心する。
けれどその分、なにかを置いてきた気がする。
昼過ぎに語り合ったあの空気。
冗談みたいなコメントの応酬。
誰かの生活の一部になれた、あの実感。
今は、見えない競争の中にいる。
他の配信者の名前が
ストーリーに上がると、胸がざわつく。
悔しいと思ってしまう。
誰かの成功が、素直に喜べない。
「どうして、こうなったんだろう」
画面越しの笑顔の裏で
自分はずっと迷っている。
それでも「ありがとう」って
口に出している。
心のどこかで
まだ信じたくて。
「昼過ぎ繋ぐペンタプリズム」
それが、5日の居場所だった。
けれど今、その光は少し歪んで見える
第二十三章<独りぼっちのペンタプリズム>
僕に集まって来てくれた人たちが
今は、僕抜きで笑い合っている気がしてしまった。
自分の枠なのに、なぜか孤独だった。
「@キイちゃん 昨日ありがとうね!」
「まささん後でDMするね」
「コインありがとう」
「ダンスめちゃくちゃ楽しそう」
そんなやり取り、メンションが
コメント欄を流れていく。
自分の声が、歌が
誰かと誰かを繋いだんだ。
それはきっと、誇っていいことだ。
嬉しい、そう思うべきだ。
だけど
どこか、ぽっかりとした感情が残る。
嫉妬している。
仲良くしてる皆が、羨ましい。
自然にコメントできて
楽しそうで
分かり合ってて
どうして自分は
こんなにも不器用なんだろう。
ちょっとした一言で
空気を壊す気がして。
仲良くなりたいって言うのも
変に思われる気がして。
気づけば、ただ見つめてるだけになっていた。
「ねえ、いつかさんはどうですか?」
誰かが気を使ってコメントしてくれた。
僕は、君たちの間に入る資格があるのか
ただの居場所でいた方がいいと思ってしまう。
でも、ほんとは。
ほんとは、もっと仲良くなりたい。
とりとめのない話をずっとしてたい。
誰かとして関わってみたい。
「君たちが仲良くしてるのを、見ているのが嬉しいよ」
言葉にしたのは、正直な気持ちの半分だけ。
その半分が嘘じゃないことも、たしかだった。
第二十四章<凶器が見える優しさ>
スマホの通知が一件
DMのアイコンを光らせた。
「お疲れさまでした。久しぶりにコメントしたんですけど、気づかなかったみたいですね」
初期からずっと応援してくれていたお友達のひとり
いや、支えてくれていた人だった。
続くメッセージは、静かな言葉で始まり
でも確かな温度で責められていた。
「なんで、あの子にはあんなに優しい言葉をかけていたのに、私には冷たく挨拶程度なのですか?おばさんの私はもう来たら駄目ですか?」
「前は、名前を呼んでくれていました。長く応援してる人ほど、損してる気分になります。差をつけないでって言ったこと覚えてますか?」
読み進めるたびに
喉が詰まっていく感覚がした。
たしかに最近は、コメント欄に並ぶ
アイコンも入れ替わりが増えた。
話題も、空気も、新しい風に寄っていた。
けれど、それは自然な流れだと
どこかで思い込んでいた。
「あなたの声が好きだった。あなたの歌も。『お仕事頑張ろうね』って言ってくれた配信が忘れられない。でももう、そういうのも、誰か別の子のために言ってるみたいで、見ていてちょっと辛いです」
思い出していく。
彼女が「仕事で疲れてたけど癒された」と言ってくれた日。
誕生日に「今日も来てくれてありがとう、お誕生日おめでとう」と言ったら泣いてくれた日。
小さな画面越しのやりとりだったけれど
確かにそこにあった繋がり。
それを、いつからか、見失っていた。
自分は変わっていないつもりだった。
でも、配信の中で少しずつ
ギフトを意識するようになっていた。
コメントも反応の強いものから拾っていた。
「ごめん」
スマホに向かって、ただつぶやいた。
返信を打つ指が、何度も止まった。
軽々しく謝っていいのかも分からなかった。
けれど、彼女がこんなふうに言葉を送ってくれたのは
きっと、まだ自分に何かを期待してくれているからだ。
だから、思ったことを、そのまま返した。
「DMありがとう。気づけてなかったこと、本当にごめんなさい。ちゃんと、全部読ませてもらったよ。また、覗いてもらえるように、頑張る。ほんとにありがとう。」
送信ボタンを押したあと
いつもより長く画面を見つめていた。
本当に言いたかったことは
グッと我慢したまま。
第二十五章<静かに何かが削られる>
透明な空気の中を漂って
お話していたあの時間。
とりとめのない話が心地よく
少し眠るように流れていたあの時間。
しかし、時が過ぎるのは残酷で
寝つけなくなるようなメッセージで
心が満たされてしまう時間もやってくる。
「最近ぶりっこしていませんか?」
「ギフト乞食にしか見えないよ」
「配信者のくせに人の気持ちわからないよね」
文面は短く、冷たい。
感情をぶつけるような乱暴な言葉もあれば
一見礼儀正しい風を装った、刺すような言い回しもあった。
「前はもっと人に優しかったのにね」
「あの子には反応してたのに、私のコメントはスルーだった。もう推すのやめます」
「自分だけが特別って思ってるんでしょ?」
そんな風に思わせてしまったのは、自分のせいだ。
でも、全部に応えることはできない。
配信の向こうには、たくさんの人がいる。
誰かに寄り添えば、誰かが置いていかれる。
「君だけには分かって欲しい」
そんな気持ちが、涙に変わっていく。
ギターの弦を一本切った。
新しい弦に張り替える手も重かった。
画面を見ることが
少しずつ苦しくなっていた。
昼の光がまぶしくて、
5日の笑顔が、自分の顔じゃないように思えた。
「それでも、待ってくれてる人がいる」
その想いだけが、かろうじて
5日を配信の前に立たせていた。
でも言葉が
出なくなる日も
近づいていた。
第二十六章<お気に入りは昔の話>
配信の初期。
誰も見ていない時間帯に
たまたまコメントをくれたひとりの名前を
彼は今でも覚えている。
その人は、いつも同じ時間に来て
いつも少しだけ毒を吐いた。
「わかんないくせに、わかるふりしてる」
「正しさとかどうでもいいでしょ?」
「君の声、きれいだけど、少しだけ寂しそうだね」
それを読んだとき
彼はなぜだか少しだけ安心した。
隠しているはずの何かが
見抜かれた気がして。
それを責めるでも
慰めるでもない言葉だったから。
その人は、ある日突然来なくなった。
理由も何もわからない。
ブロックされたわけでもない。
連絡もなかった。
ただ、消えただけ。
正しさでも、癒しでも、承認でもなく
そんな存在を、彼はずっと
探していたのかもしれない。
ある日5日は
いつも通りの配信をしていた。
軽くギターを弾いて、近況を語って
質問を拾っていく。
けれど、その「日常」をわずかに乱したのは
一つのコメントだった。
「お久しぶり」
記号めいた英字の名前と
あの頃と同じ星のアイコン。
まさか、と思った。
でも、忘れていなかった。
忘れられるはずがなかった。
5日の心の奥を見透かして
何も言わずにいなくなったその人。
口の中が少しだけ苦くなった。
けれど、態度には出さない。出せない。
「お久しぶりの方だ」
それだけつぶやいて
5日は次のコメントに視線を移した。
第二十七章<好きな人がいた>
「今日さ、実はすごく懐かしい名前の方、見たんだよね」
コメント欄がざわつく。
誰?誰?って。
でも5日は、誰の名前も出さなかった。
「なんかこう、思い出しちゃった。昔のこと」
それは、まだリスナーが
十人もいなかった頃。
何かを話しても
何も返ってこないような日々。
でも、その人はいた。
いつもじゃないけど
不思議なタイミングで現れて
ぽつりと言葉を置いていく。
その言葉が、どれだけ救いだったか
当時はまったく気づかなかった。
「好きな人がいたんだ。僕」
画面の向こうが
一瞬静かになった気がした。
「恋とか愛とか、そういうんじゃない。もっと、名前のつけにくい、でも確かに特別だった」
それは、声を聞かせる関係でもなく
顔を知る関係でもない。
けれど、配信という鏡を通して
何かを共鳴させていた。
「その人のことは何も知らない。でも、僕、今でもその人に話しかけてる気がするんだ」
配信は、今日もいつものように終わった。
でも、心の奥では、静かに何かがほどけていった。
好きな人がいた。
それは、過去形だけどずっと続いている現在進行形。
第二十八章<息苦しい偽りフリークス>
スマホの中の世界は変わらず
今日も明るく見えた。
画面に映る自分の姿だけが
どこか置き去りのようで
どこかうすく透けて見える。
DMは今日も届いていた。
「あの人には優しくするのに、なんで私はダメなの?」
「リスナーの間で差、つけてるよね?」
「最近つまらないよ。前のほうが好きだった」
それが全部本心なのかは分からなかった。
でも、5日の心には真っ直ぐ刺さった。
言葉をくれる人がいるという事実の裏で
その言葉が自分のシルエットを
削いでいくこともあるのだと
ようやく知った。
機械仕掛けに騙されて。
メンバーレベル、ギフト、いいねの数。
愛されていると錯覚させてくれる
舞台装置に、ずっと踊らされていた。
初めて配信を始めたあの日は
ただ話せる場所が欲しかっただけだった。
お友達と笑い合い
悩みを聞いたり
くだらない話をしたり
それだけで、生きている気がしていた。
でも、いつしかギフトの数に怯え
「次はどれだけ投げてもらえるだろう」
と考える自分に気づいた。
数字に心が追いつけなくなる
そんな日が来るなんて思ってもいなかった。
お友達は画面の向こうで仲良くなり
グループを作り、独自の文化を築いていった。
それが嬉しくて、寂しかった。
「誰かに必要とされたい」と願ったはずなのに
自分だけが、その輪の外にいる気がしてしまった。
人間関係が苦手で配信の世界に逃げてきたのに
配信の世界でも人間関係に疲弊するなんて。
「陽キャの人達と楽しそうですね」
「私だけを見てほしいです」
「もっと私にも優しくしてよ」
嫉妬、誤解、期待、裏切り、そして、沈黙。
そのすべてが
メッセージという名の凶器で飛んでくる。
けれどその攻撃の間にも、ささやかな優しい言葉も届いた。
「今日もありがとう」
「あなたに支えられてます」
「感性とセンスが大好きです」
「いつかくんの配信が最高ですよ」
「元気、もらってるからね」
「愛してます」
その言葉だけを信じて、今までやってこれた。
だからこそ、崩れかける今が余計に苦しかった。
生憎気を付けてね
割り切ったフリして信じてた、また
息苦しい偽りフリークス
まるで、自分自身が自分自身の言葉の中に
閉じ込められているようだった。
次の配信開始ボタンに、手が届かない。
ボタンを押せば、また誰かに見られて
比べられて、好きになられて、傷つけられる。
それでも、心のどこかで
今日も「誰かに気づいてほしい」と願ってしまう。
ギターの弦に触れる指先が、やけに重たかった。
押さえるコードが、何度やってもずれてしまう。
何も弾きたくないわけじゃない。
けれど、もう「音」がみんなに届く気がしなかった。
第二十九章<結構がんばったほうでしょう>
お昼の配信は、今日も予定していた。
なのに。
「もう、無理かもしれないな」
そうつぶやいた声はまるで
別人のものみたいに冷たく、乾いていた。
いつからか
「ギフトが投げられない=自分に価値がない」と思うようになっていた。
ギフトを求める自分が嫌いだった。
なのに、ギフトがないと不安で仕方がなかった。
楽しかったはずのやりとりも
今では少し警戒してしまう。
「あの人は、今日どんな顔で来るだろう」
「自分の言葉でまた誰かを傷つけないだろうか」
そんなことばかり考えて、言葉が重くなった。
DMの通知音が連続して鳴った。
「推し変しました、もう見ないかも」
「ゆーさんとだけ絡んでるの、見てて辛い」
わかってる。全部に答えるなんて無理だ。
それでも、「5日」は、優しくしたいと思っていた。
全員を笑わせたいし、寄り添いたい。
結局、画面の向こう側との
距離は埋まらなかった。
愛されたいと願った気持ちはいつの間にか
誰かの怒りや寂しさを背負う器になっていた。
「もうやめようかな」
それは、悲しみでも怒りでもなく
ただ静かな選択として、胸の中に落ちてきた。
鏡に映る自分は
知らない誰かみたいだった。
眠っているような目で
ただ前を見ていた。
この部屋には、誰もいない。
笑い声も、コメントも、音もない。
「配信はしばらくお休、、、」
下書きの中に、そう打ちかけて
やめた文章だけが残っていた。
第三十章<嘘でいいよ正しさも>
別の配信者がまた
新しい動画を出していた。
編集もうまくて
話し方も洗練されている。
「勝てないな」
思わずつぶやいた。
もちろんギフトのためだけに
配信してるわけじゃない。
でも、やっぱり、悔しかった。
比べてしまう。見てしまう。
置いていかれるような焦りが
昼の光すらも、かすませてしまう。
コメントで見かけた名前が今日はなかった。
お友達やアイコンの人たちは気まぐれに流れていく。
それは分かっている。
それでも、心のどこかでは
期待してしまっていた。
ギターを弾いた。
オー・シャンゼリゼ
軽やかな旋律のはずなのに、どこか寂しげで
途中から自分でも泣きそうになった。
それでも、最後まで弾ききった。
聞いている人がいるかどうかもわからないまま。
配信が終わると、画面が真っ暗になる。
その中にぼんやり映る自分の顔。
その顔に、かつての自信はなかった。
それでも、誰かに何かを届けようとした
自分だけがそこにいた。
第三十一章<優しさの重さ>
今日は配信をしない。
そんな日はこれまでにも何度かあった。
けれど、今のこれは、たぶん違う。
たとえるなら、心の中に張っていた細い糸が
静かに、切れた。
ひとつのDMを見つめていた。
「ギフト贈る人ばかり大事にして、若くて可愛い子ばかり仲良くして、初めからそういう、やらしい目的だったんですね」
そのメッセージを見た瞬間
なにかが胸の奥で静かに崩れた。
自分ではそんなつもりじゃなかった。
でも、きっと、そう見えたんだ。
そう感じた人がいるなら
それが正解なんだと思った。
ギフトに笑ってしまった瞬間。
声のトーンを上げた瞬間。
特定の名前だけを呼んでいた瞬間。
どれも「配信者としての自分」を守るためだった。
でも、それは、優しさを手放す
選択でもあったのかもしれない。
画面越しの誰かが、たった一言
「大好き」と打ってくれるだけで救われた日々。
それを思い出すと
たまらなく泣きたくなった。
でももう、ここで誰かに
「ただの自分」を差し出す勇気は
残っていなかった。
思わずつぶやいた。
「愛っていうか、ささやかな優しさ? だったんだよね、ほんとは」
誰に向けてでもなく、けれど誰にでも届くように。
「大事なものは君の中にあるから。大丈夫、またね」
そのまま、ゆっくりと目を閉じた。
本当の優しさって
侵入することはせずに待っていてくれる。
尊厳を守って余白を残してくれる。
成果や配慮は求めずそのままを受け入れてくれる。
時には否定してくれる、嫌われても止めてくれる。
そういうものだと、思っていた。
けれど、いつからか
関係を壊したくないだけの優しさ。
自分を守るための偽善な思いやり。
大丈夫で隠した、置いていかれたくない気持ち。
そんな間違った優しさに、包まれていたのかもしれない。
最終章<鏡の中の共犯者>
「僕が頑張ったら、誰かを嫌な気持ちにさせてしまうのかな?」
努力は、報われるためにあると思っていた。
喜ばせたくて
笑顔にしたくて
ほんの少しでも
「気づいてほしい」って
毎日手を振っていた。
なのに、僕の頑張りは誰かの
寂しさや怒りや嫉妬を照らしてしまった。
本当はずっと怖かった。
配信の光のなかで
見て見ぬふりをしてきた。
昼過ぎの、静かな部屋。
ひとり、パソコンの前に座って目を閉じる。
そこに流れたのは
初めて自分のことを「共犯者」だと認めるような、心の声。
――――
鏡の中の共犯者
臆病者の僕の代わり
私は言わばロマンチスト
きらびやかな言葉を諳んじるの
曖昧気ままな逃避行
理想はボニーとのアバンチュール
だいたいいつものランデブー
倦んでいく分かっている
器用に吸い込む
1人淡い余韻
ニコチン代わりの
記号とアイコン
畢竟、愛されたいんだろう
もう本当面倒
きっと、分かり合えない
今はただまだまだ
生憎生かされてる
割り切るフリまだ信じてる、また
昼過ぎ繋ぐペンタプリズム
追求してた無理数
自分は認められなくて
思考は不安に流されて
機械仕掛けに騙されて
楽しいだけでいられなくて
会えなくなってもいいよ
いいの?いいよ
お気に入りは昔の話
夢ではとびきりの美化が望み
意地だってあったさ
生き方の違いさ
なくした方がさ
楽なんて泣いてさ
結構、がんばったほうでしょう
結果は上々
結局、全部忘れたあと
夢の跡を追うの
生憎気を付けてね
割り切ったフリして信じてた、また
息苦しい偽りフリークス
独りぼっちのペンタプリズム
愛っていうかささやかな優しさ?
嘘でいいよ正しさも
大事なものは君の中に
あるから大丈夫またね
――――
5日はそっと椅子を引いた。
窓の外には
ありふれた昼の光が差していた。
どこかでギターの音が鳴っている気がした。
それは、たぶん
自分の心がまだ繋がっていたいと願っている証だった。
ありがとう
そう心でつぶやいて
彼は静かに部屋を出た。
今日もまた
ペンタプリズムは
光を屈折させながら
誰かの想いを映していた。
『ペンタプリズム 鏡の中の共犯者』を
最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
この物語は、実在の配信者・5日氏が綴った詩
『ペンタプリズム』を原案に執筆したフィクションです。
語りかけるようで語りかけられている、詞はまるで配信者という存在そのものの縮図のように思えました。
彼の心の奥底から漏れた、どうしようもなく人間的な「声」。
誰かに認められたくて配信ボタンを押す一瞬の勇気。けれど、その裏側には、言葉を飾り、数字に怯え、自分を見失いかける葛藤があります。
優しさにすら怯えてしまう繊細さ。
それらは配信者に限らず、現代の誰もが少しずつ抱えているものかもしれません。
一方通行のようでいて、相互依存でもある配信。匿名性が与える自由は、ときに過剰な期待や無言の圧力へと変わります。愛と見せかけた支配、希望と偽った依存。
私はこの詩の中にある、声をすくい上げてひとつの物語として執筆をしたくなりました。彼が選んだ沈黙や、揺れる心を私なりの形にしました。
5日氏の詩に、深く感謝を込めて。
この物語が、少しでも誰かの孤独に灯るものとなりますように。