パラドックスな思考回路
「私はセレナ・ユークリッド、王立学園の生徒です」
「お、王立学園」
「はい、ですので怪しい者ではありませんよ」
安心して下さい。そう言ってセレナは少女に微笑みかける。逃げられても捕まえれるよう、コッソリ距離を縮めながら。
「貴女のお名前はなんと言いますか?」
「ぇ、えっと……ゥゥ」
「……そうですか」(ムッ、思ったよりガードが固いな)
内心で毒づきながら、情を揺さぶって答えさせようと彼は伏目がちにして悲しそうな表情を浮かべた。
「あっ……ゥ」
効果はあったようだが、名前を喋らせるには至らない。
「いいんですよ」
「え?」
それを見て彼は今すぐ素性を暴く事は不可能だと判断し、まずは少しでも心を開かせる事に徹した。
「大丈夫です。言わなくても、それで貴女の心が安らげるのなら、無理に問いただしません」
「……」
「ゆっくり、深呼吸をして、心を落ち着かせて」
少女に落ち着く事を優先させる。相手の呼吸に合わせて一歩一歩、セレナは少女に近づき、そして抱きしめた。
「ッ!?」
「大丈夫、大丈夫ですよ」
突然の事にビックリする少女だが、構わずセレナは優しく言葉を投げ続ける。
「私は貴女に何もしません。嫌がるような事は、決してやりません」
その言葉の通り、セレナは抱きしめるだけで危害を加えようとしたり、フードを取ろうとはしなかった。
「きっと何か、事情があるんでしょう。それを無理に明かす必要はありませんし、私も気にしません」
「……」
その言葉が決め手となったのか、少女はされるがままとなり、みるみる内に落ち着きを取り戻した。
(うーん、物凄く顔を見たいが、まだ王族の線が残ってるからなぁ)
その裏で彼は、まだ危険を犯すべきじゃないと自制していた。まるで慈愛の塊みたいな行動を取っているが、隙さえあれば積極的に正体を暴いて始末しようとしている。彼に情など無かった。
「───なるほど、お兄さんと逸れてしまったのですか」
「う、うん」
それから抱きしめ続けて五分、すっかり落ち着いた少女は恥ずかしがるようにセレナから離れ、彼女に現在の自分の状況を説明する。
(ほんっとガード固いな、ちょっとは口を滑らすと思ったんだけど)
その事に彼は内心で不満を吐露する。やはり本質的に臆病なのか、少女は説明する間も自分の素性を悟られないよう言葉に気を遣っているのだ。
(この手の相手に距離を一気に詰めようとするのは悪手だ。長い目で見て対応する必要がある)
もし急接近して少しでも相手の線引きを誤ろうものなら、恐らく少女の持つ事情も相まって二度とお近付き出来ないだろう。そう彼は悟った。
(そういう意味で言うと、さっきの抱きつきは危なかったな)
一歩間違えれば逃げられていたなと、今更ながら肝を冷やした。
(……うん、やっぱ今日中に向こうから素性を教えて貰うのは無理だな)
前世の人生経験(※主に女性との交流)に基づいて考えた時、穏便に事を進めるのは無理そうだと彼は思った。
「お兄さんの居る場所にアテはありますか?」
「あ、ある。……けど、通りには人が沢山いるから、怖くて」
「なるほど、そういう事でしたら」
セレナは、優しい笑みで少女に手を差し伸べる。
「私も一緒に付いていきます」
「え?」
「安心して下さい、詮索はしません。それに一人じゃ心細いでしょうから。……嫌、でしたか?」
「……ううん、そんな事ない」
恐る恐る、少女は差し出された手を握る。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」(隙を見て素性を暴く。うん、これしか無いな)
優しい笑みの裏に隠された真意に、気付く事なく。
並んで手を繋ぎ、セレナと少女は王都の下町を歩く。
「こっちの方向で合っていますか?」
「う、うん、合ってる」
少女はまだセレナへの警戒を解いていないが、それでも初対面の時と比べたら随分とマシになっていた。
「……」
「大丈夫ですよ、此処に貴女を害する方はいません。それにいざとなったら私を放って逃げてもいいんです」(ふむ、この辺りに上級貴族は滅多に来ないし、だとすると王族の線は薄いか?)
周りを過剰なほど警戒する少女に、セレナは安心できるよう絶えず優しい言葉を投げ掛ける。その裏で彼女の素性を探る事も忘れずに。
(バックに権力者が居ないならやりようはいくらでもある。……けどなあ)
なんとなく少女の扱い方も理解できた。今なら彼女を人気の無い場所へ言葉巧みに誘導して誰にもバレずに始末出来る。そう思う彼だが、少し懸念点があった。
(周りの人達に対する異常な程の怯え具合、これがどうにも気になる)
いくらなんでも人目に晒されるのを怖がり過ぎでは? そう思えて仕方ないのだ。
(やっぱり素性を明らかにしてから動いた方がいいな)
そもそもこんな事をしている理由は、セレナが猫と戯れようとして逃げられた所を少女に目撃されたからだ。流石に彼もこの程度の解釈違いでリスクを犯したく無かった。
(だとすると、彼女が目的地に到達する前に何か手を打たなきゃな)
どうするべきかと彼が悩んでいると、隣からグゥ〜っと地の底から鳴り響くような音が聞こえた。
「〜ッ!」
なんだなんだと見てみれば、少女は恥ずかしそうに顔を俯き、体をプルプル震わせていた。その表情は伺えないが、きっと真っ赤に染まっている事だろう。
「お腹が空きましたか?」
「……うん」
尋ねてみれば、か細い声が返ってくる。
「でしたら……あそこが良さそうですね」
「え、でも」
「大丈夫、なんとかなりますから」
お腹が空いてる事を聞いたセレナは、少女の前に出て近くの屋台へと向かった。
「らっしゃい! ……お、嬢ちゃんじゃねえか」
「こんにちは、店主さん」
セレナが屋台に訪れると、店主のおじさんは親しげに彼女と話す。
「また来てくれたのかい?」
「はい、下町で小腹が空いた時は店主さんのお店を探すようにしてるんです」
「はっはっはっ! そりゃ光栄だな、ウチの常連客になってくれるのかい?」
「ふふ、そうなりますね。今後とも通わせて貰います」
ちなみにセレナが店主と喋ったのは、先週の休日に下町へ出掛けた時だけである。その時も深い交流はしておらず、ただ普通に客として屋台に訪れただけだ。
これは店主だけに限った話ではない。セレナと面識を持った下町の住人達は皆、彼女に好印象を抱いている。
理想の嫁は人に愛されている。それを事実とする為、彼は常日頃から人に好かれるよう意識してきた。
「……後ろに居るのは嬢ちゃんの連れかい?」
「ウッ」
しかもそれ自体は前世の時から心掛けてきた事であり、
「はい、少し事情があって顔を隠しているんです。ですが、決して悪い方ではありません」
「そっか、まあ嬢ちゃんがそう言うんだ。俺も信じるさ」
「ありがとうございます。では彼女の分も含めて小さめのを二つ、お願いします」
「あいよ!」
このように出会って二回目の相手に信用されるぐらい、彼のコミュ力は極まっていた。
「……」
「ほら、なんとかなったでしょう?」
目を丸くして自身を見る少女に、セレナはしたり顔を浮かべた。
「必要以上に怖がらなくていいんです。例え隠し事があっても誠実に応じれば、それだけで貴女を受け入れる方は増えますよ」
ならお前はどうなんだと思う方が居るかも知れないが、彼はあくまで理想の嫁ならこう考え、こう感じ、こう動く筈だと、嫁の代弁者として行動しているに過ぎない。
彼が心の内でどう思おうと、セレナの振る舞いには誠実さが生まれる。そのカラクリの正体がコレであった。
……何を言ってるのか分からないかも知れないが、実際に彼はそれを成立させているのである。本当に意味不明であるけど。