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魔術という禁忌

 ガゼル・ディアハート。とある山奥の村で生まれた彼は、生まれつき目と耳が悪かった。

 成長と共に目と耳は悪くなる一方で、このままいくと二十歳になる頃には機能が完全に失われるとも言われていた。


 遠出して大きな教会で高位の治癒の加護を受けて貰うなどの金が掛かる方法は、村が貧しい為に使えない。

 なんとか神に祈って救いを受けるしか無い。それが村の考えだった。だが祈れど祈れど救いは来ない。それに対し村人達は、信仰が足りないと言い続ける。


 強い信仰心を抱いて祈れば必ず神は救ってくれる、だから祈り続けろと。だから彼も祈り続けた。懸命に、熱心に、祈り続けた。そして十八の時……彼の目は、完全に機能を失った。


 なぜ、なぜ神は救ってくれないのか。それに対する村人達の答えは決まって同じである。


───信仰が足りなかったから。


 信仰、信仰、信仰、そもそも神はなぜ信仰すれば救ってくれるのだ? なぜ加護を与えるのだ? この目と耳を直して貰う為には、どれほどの信仰心が必要なのだ?


 神への疑心に満ちた彼に、もはや信仰心など持つ事は出来なかった。次第に持っていた加護の力も失われていき……そんな時だった、魔術師と出会ったのは。


『坊主、魔術を学んでみねえか?』


 もはや耳すら完全に機能しなくなった頃、久しぶりに他人の声が聞こえてきた。


『俺の魔術は、見えない物を見る為の魔術だ。きっと坊主が持つ問題も解決するだろうぜ』


 それは彼にとって願ってもいない話だった。ただ魔術を学ぶ事は禁忌だと知る為、躊躇いもあった。


『……坊主、これだけは覚えとけ。魔術は単に恐ろしい物なんかじゃない。人間が神に頼らず自分達で築いてきた、努力の結晶なんだ』

『努力の、結晶』

『それとこれは俺の勘になるが……この魔術は、お前みたいな奴にこそ使われるべきだ』


 それから彼は、すぐにその魔術師と共に村から出た。迷いはない。神の禁忌に背く恐れも、村を出ると同時に捨てていた。


 魔術師の言った通り、彼は魔術を学んで自身の問題を解決できた。心眼という独自の魔術を開発する事で、目と耳を使わずとも外の世界を知れるようになったのだ。


『魔術は人間にとって必要な技術だ。神に頼らず、人間は今こそ自分の力で歩くべきなんだ』


 彼は救われた。祈れば救ってくれる神ではなく、人間が生み出した魔術によって。だからこそ彼は、魔術の伝道者として人生を捧げる事に決めたのだ。


 最初は順調だった。自身の考えに強く賛同する優秀な弟子が一人出来て、他にも仲間は続々と集まった。いつしか自らが魔術協会のリーダーとなり、組織は過去最大規模にまで大きくなった。


 本当に、本当に上手くいっていた。……十年前、突如として現れた聖騎士隊に襲撃されるまでは。


 彼も聖騎士隊は十分に警戒していた。だからこそ拠点も外部に悟られないよう細心の注意を払っていた。しかし、バレた。他ならぬ神の手によって。

 聖騎士隊を所有する聖都エルティナには、神から天啓を授かる事が出来る聖女が居た。その天啓により、魔術協会の拠点は白日の下に晒されたのだ。


 殺される多くの仲間、殺戮を繰り返す聖騎士隊……神という、抗う事も欺く事も不可能な上位存在。


 その瞬間、彼の心はポッキリと折れた。無理だと。この世に神が存在する限り、魔術が繁栄される事は無い。そう確信してしまった。


▼▼▼


 それ以降、ガゼルは残りの人生を静かに暮らす事に決めた。生き残った弟子はまだ諦めていなかったが、それについて行ける気力は彼に無かった。

 その後の魔術協会がどうなったかは知らない。もし再び結成されたのなら、その時はきっと自身の弟子がリーダーとして指揮を取っているだろう。……そして恐らく、もう既に。


「……すまなかった。魔術とその教えを伝えた筈のワシは、その矜持を持って最後までお前と共に戦えなかった。本当に、すまなかった」


 現在の弟子、つまり彼がこの場から去った後、ガゼルは一人となったリビングで懺悔を繰り返した。


(……結局ワシは、何も成せなかった。ただ僅かな希望を抱いて死ぬしか出来ずにいる)


 齢八十のガゼルは、今更死を拒んだりしない。いや、十年前にはとっくに生への執着など失っていた。……ただ、ほんの少しだけ心残りはあった。


 魔術が繁栄する未来、その可能性を僅かなりとも見た後に死にたい。せめて希望を持って死にたい。


(あの童は、魔術を広めようなどと微塵も思っておらん。とことん私利私欲の為に魔術を究めようとしている)


 だからこそ、ガゼルは彼の取り引きに応じたのだ。別にあのまま殺されても良かったが、だからと言って今すぐ死ななくても良い。


(だが、アレは他と何かが違う)


 彼に魔術を教えて暫くして、ガゼルは彼が加護を扱う光景を目撃した。決して両立する筈のない魔術と加護を、彼は扱えていたのだ。


(童はワシの志を受け継ぐ気など無いだろう。が、童にその気はなくとも必ず世界に何かしらの影響を与える)


 それが良い方向か悪い方向か分からない。そもそもなぜ神が彼のような存在を放置しているのかすら分かっていない。しかし、そんなのガゼルにとって些末事だ。


(童よ、我が道を進め。その為に魔術を究めたいならワシも惜しみなく協力しよう)


 彼が自分の目的の為に行動を起こす。それがきっと、世界に多大な影響を与える事だと信じて。


「───む?」


 その時、ガゼルは家の外から気配を感じた。


(なんだ、コイツら?)


 ガゼルのもとに訪れる人間は、弟子である彼以外にほとんど居ない。それも複数人で、しかも一人や二人じゃなく十人以上という規模で。


(……年貢の納め時という訳か)


 こんな大人数が来る事は今まで無く、きっと嗅ぎつけた聖騎士隊がやって来たのだろうとガゼルは察する。


(童にこれ以上の事を教えれんのは悔やむが、まあ奴なら勝手に成長していくだろう)


 死ぬ前に希望が抱けて満足だと、ガゼルは惨たらしく殺される前に自害しようとした。


(……?)


 その直後、気配の一つが家の中に入って来た。他の者が動いた様子は無く、たった一人で。


(なんだ? この感覚は……子ども?)


 心眼を使えば、面と向かっていなくても相手の大まかな情報が分かる。そこで分かったのは、一人で入って来た人間が幼い少女だという事だ。

 ピンク髪のツインテール。歳は恐らくセレナの少し下で、ただし見た目は年齢に比べて幼い。……そして、ある存在だけが発する独特なオーラを持っていた。


「まさか」

「───こんばんは」


 相手が何者かを理解した時、彼女はガゼルの前に立って言葉を掛ける。


「こんな夜中にごめんなさいねオジサマ、通りかかったついでに寄ろうと思って」

「……何か用か、同胞よ」

「あら? なんでか警戒心強め……あーそっか、自己紹介がまだだったわね。じゃ、改めて」


 可憐で優雅に、彼女は答える。


「はじめまして、私は魅了の魔術師ミリア……オジサマの弟子の娘と言ったら分かるかしら?」

「……っ!」


 今日一番の驚きを見せるガゼルに、彼女は幼い見た目とは裏腹に妖艶な笑みを浮かべた。

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