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魔術の師

 故郷に帰って半月。家族と団欒したり、カエラとお出かけしたり、地元民と交流したり、キースと戯れたり、彼は存分にスローライフを送っていた。


(……あ)


 そう、送り続けていたのだ。やる事があったのも忘れて。


(師匠のとこ行かなきゃじゃん)


 夕飯を食べてる最中にそれを思い出した彼は、その日の夜に急いで行動に移った。


(危ない危ない、マジでそのまま夏休みを終える所だった)


 あと数日で王都に帰らなければならない。帰る直前に思い出さなくて良かったと冷や汗を掻きつつ、彼はコッソリと家から抜け出して町はずれの古びた一軒家へと訪れた。


(さーて、くたばってなきゃ良いんだけど)


 中々に失礼な事を考えながら、彼は扉をノックする。


「入るぞ師匠ー」


 そしてすかさず扉を開け、ズカズカと遠慮なく家の中に入っていった。


「生きてるかー? 可愛い可愛い弟子の訪問だぞー」


 いつものようにセレナとして振る舞う事はしない。今から出会う相手には全くの無意味である事を知ってるし、その相手からも気持ち悪いから止めろと言われたからだ。


「……うるさいぞ、童」

「お、生きてたか」


 そんな件の人物は、リビングの安楽椅子に腰掛けていた。


「半年見ない内に一段と窶れたなー、もう半年もしたらポックリ亡くなるんじゃないのか?」


 枯れ枝のような四肢に皺だらけの顔。光を映さない目は閉ざされ、音を拾わない耳は形だけあるばかり。

 年老いた盲ろう者、ガゼル・ディアハート。それが彼の魔術の師であった。


「そう思うのならお前も労われ」

「冗談冗談。どうせ師匠の事だし、なんやかんや後十年ぐらい余裕で生きれるだろ」

「だとしても少しは労わる事を覚えろ、童」


 ガゼルは彼の方向に顔を向けて、会話をする。


「そんなに労わって欲しいならセレナに頼めよ───えっと、大丈夫ですか? お体に障るのならまた明日にでも伺いますので」

「やめろ気色の悪い。お前のソレは途端に混ざり気が出来て気持ち悪くなるのだ」

「───は? おいおい師匠、今俺の嫁の悪口を言ったか?」

「お前に言ってるのだ童。なぜ振る舞いを変えるだけでお前の中にセレナという娘の人格が表出するのだ」


 シワがれた声で、しかしハッキリと受け答えをするガゼル。盲ろう者である彼が何故こうも明確に言葉を交わせるのか。それは彼の持つ魔術にあった。


 心眼の魔術師。そう呼ばれる彼の持つ魔術は、弟子であるセレナと同じく精神干渉だ。そしてその中には、彼が編み出した彼だけの魔術があった。それが二つ名にもなっている【心眼】である。


 あらゆる生命が持つ精神、言い換えるならば魂。そこから表出した情報を受け取るのが心眼という魔術の効果だ。

 心眼で知覚できる情報はそれだけじゃない。直前までその場に誰が居たかを残留思念で知れたり、表層意識にある思考を読み取ったりする事も可能だった。


「あー、うん? ……つまり、俺は自分の力で理想の嫁を具現化しつつあるという事か!」


 並の目や耳より優れた性能を持ち、相手の本性を見破る事に非常に長けた心眼。


「馬鹿げた話だがそうらしい。……本当に人間なのか疑わしくなってくるぞ、童」


……なのだが、その心眼をもってしても彼の演じるセレナ・ユークリッドという理想の嫁は、実在すると誤認してしまう程に完成度が異常だった。


「それで、結局なんの用だ? 童もこの時間に来たという事は、家から抜け出したのだろう」

「ああ、そうだった。朝になったらシルフィが起こしに来るだろうし、早くしなきゃ」


 さっさと話を聞いて帰ろう、そう考えた彼が何を聞こうとするのか。ガゼルは心眼によって直前に理解し、その内容に顔を強張らせる。


「───魔術協会についてなんだけど」


▼▼▼


 王国全土で禁忌と指定されている魔術、それを学ぶ魔術師は、例え王族であろうとバレたら即極刑に処される。

 そんな肩身の狭い魔術師がバレずに魔術を究めようとすると、相応のコミュニティが必要となってくる。そのコミュニティこそが魔術協会であった。


 魔術協会に共通の目的は無い。一応のリーダーは存在するが、ほとんど上下関係もなく誰かの指図を受ける筋合いも無い。メンバー内の争いは御法度だが、誰に協力するもしないも個人の自由だ。

 魔術協会が存在する理由は二つ。一つは、魔術師達が安心して魔術の研究を行える拠点を確保する事。もう一つは、聖騎士隊に関する情報の共有である。


 魔術師にとって一番の天敵は聖騎士隊だ。純粋な強さで言うなら王国騎士団の方が上だが、それを加味しても魔術師達は揃って聖騎士隊の方が厄介と言うだろう。

 恐ろしいのは、その執念深さ。例え魔術師が百の人質を取っても、聖騎士隊は一人の魔術師を殺す為に尊い犠牲だと言って切り捨てる。魔術協会の拠点を見つけようものなら、どんな犠牲を払ってでも皆殺しにしようとする。


 神の意思に背いた魔術師は、獣人よりも罪深い。その考えのもとに裁こうとする聖騎士隊は、魔術師にとってあまりに脅威だ。魔術協会が生まれたのは、そんな聖騎士隊に対抗する為でもあった。


(魔術協会……その言葉を他人から聞くのは久しぶりだな)


 ひょんな事から彼の師匠を務めているガゼルは、彼がその名を告げた事に多少驚くものの、すぐに考え直す。


(いや、童も魔術師だ。魔術師なら一度は必ず耳にして然るべきだろう)


 彼を弟子にしたのは、実に不本意な事だった。それは六年前、町はずれのボロ屋に越して来たガゼルへ彼が挨拶しに行った時の事だ。


『お前は……なんだ?』


 目と耳が使えないガゼルは、心眼でのみ外の世界を知る事が出来る。そして心眼で人物を見た場合、本人が認知している自分……つまり、その人の本来の姿が映し出される。

 心眼で映し出された彼の姿は、ガゼルが送った長い人生の中でも一際異質だった。金髪碧眼の少女にも見えれば、黒髪黒目の男にも見える。それらが継ぎ接ぎに重なり合い、一つの人間として存在していた。


『───なんで分かった?』


 不気味な姿にガゼルが問い詰めていると、彼は豹変して襲いかかり、尋問に掛けた。そこで彼は魔術の存在を知り、ガゼルに取り引きを持ち掛けたのだ。


『俺の事を死ぬまで隠し通せ、それと魔術についても教えろ。でなきゃ殺す』


 取り引きと言うより完全な脅しだが、ガゼルはそれに頷いた。これが彼が魔術を学んだキッカケである。


「童よ、その名をどこで聞いた?」

「前に魔術師を見つけてな、そいつから聞いた。迷宮の魔術師って言うんだけど、知ってるか?」


 その言葉からは、暗にお前も魔術協会に居たんだろうと言っている事が分かった。


「……いや、知らんな。恐らくワシより後の世代の奴なんだろう」


 もはや隠しても無意味だと悟ったガゼルは、自身が魔術協会に所属していた事を前提に話を進める。


「あー、やっぱ師匠も魔術協会に居たんだ。けどその口ぶりだと、もう入ってないらしいな」

「ああ、居たのはもう十年以上も前の話だ」

「十年前、確か魔術協会が潰れた辺りの年か」

「そこまで知っているのか?」

「根掘り葉掘り聞いたからな。魔術で」

「……そうか」


 となるともうその魔術師は死んでいるだろうと、ガゼルは予想を立てた。記憶を探る行為は、相手にとってかなりの負荷となる。慎重にすれば無事に済むが、彼がそんな配慮をする訳ないとガゼルは思っていた。


「じゃあこれも知らないのか、少し前に魔術協会がまた潰れたって話も」

「なに?」


 何気なく話した彼の言葉に、ガゼルは思わず声をあげた。


「多分お察しだろうけど、やったのは聖騎士隊だとさ」

「そうか、そうか……」


───しくじったらしいな。


 最後に出かけた言葉を呑み込んで、ガゼルは天井を眺めながら思いふける。

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