閑話:変幻自在の悪魔
そこそこ速く、かつお高い馬車に乗って数時間。すっかり辺りも暗くなった頃、悪魔研究クラブは目的の廃館に到着した。
「おー、すっごい雰囲気ある」
「そうだね〜。周りに人も居ないし、まさに悪魔が住む館って感じだね」
おどろおどろしい雰囲気を放つ廃館に、レイラとエリンは思い思いの感想を述べる。
エリンの言った通り、人の気配は全くしない。周りにも建物はあるが、悪魔を恐れて皆が離れた。故に、この辺りには彼女達のような物好きしか存在しない。
「セレナ様、大丈夫ですか?」
この場に恐怖で緊張する者はいない。カエラは少し前に魔術師という明確な脅威と戦った経験があるし、悪魔研究クラブの皆も様々な怪奇スポットを巡って来た。程度は違えど、恐怖に耐性が付いている。
「ええ、心配いりませんよ」(なにせ俺が守るからな。そう、嫁の頼れる夫こと、この俺が!)
彼に関しては……なんというか、次元が違った。
(嫁はお化けとか怖いのはちょっぴり苦手だけど、俺が居ると安心して平気になるんだ。愛の力ってやつだね!)
文字通り神をも恐れぬ行為を平然とやってのける彼に、はたして恐怖心は存在するのだろうか?
「……時間も無いし、早く行きましょう」
「あ、ちょっと待った!」
レイラは歩き出そうとするマリーを引き止めて、持って来た大きなカバンを地面に降ろして探り始める。
「レイラ様、どうかしたのですか?」
「ふっふっふ、実は昨日、運良く手に入れたのだよ。そう!」
目当ての物を手にした彼女は、それを勢いよくカバンから取り出す。
「じゃじゃーん!」
「おー! それはもしや巷で話題の!」
「……っ! カ、カメラ!」
取り出された物を見たカエラは驚き、常に落ち着き払った態度を見せるマリーでさえ声を上げた。
カメラ、それはバロウズ商会が新たに開発した画期的な道具。瞬間の光景を一枚の写真として保存可能という、文明レベルが中世の異世界人にとって魔法のようなアイテムなのだ。
「たまたま店に寄ったんだけど、まだ一個だけ置いてあったので思わず衝動買いしちゃいました!」
「あ〜。だからレイちゃん、今日のお昼ごはんパン一枚だけだったんだ」
「うん! 手持ちのお金と向こう一ヶ月の食費を全部使った!」
そう高らかに言う彼女の目からは、涙が濁流のように溢れていた。
(へー、あれってかなり需要と供給のバランスぶっ壊れてるのに、よく買えたな)
彼がカメラの話をエリックに持ち出したのは、実に六年も前の事だ。
『嫁の成長記録を写真に残したい! それを見て将来、こんな事もあったねとか嫁と語らいたい!』
そんな動機から彼は、エリックにカメラの作成を依頼した。そしてエリックは、カメラの開発に人員を三割、資産の四割を投資した。それをするだけの価値がカメラにはあると、エリック自身が思ったからだ。
しかし、カメラの開発は非常に難航した。なにせカメラとは、近代以降に生み出された道具なのだ。それを文明レベルが中世の異世界人に、見本もなく、アマチュア程度の知識しかない人間の情報だけで、作らせようとしているのだ。はっきり言って無謀だった。
しかし、エリックは諦めなかった。彼も嫁の成長記録保存の為に持ち得る知識を総動員させた。あとバロウズ商会お抱えの技術職も過労死を覚悟するほど頑張った。
結果、とうとうカメラは完成された。流石にカラー写真までには至らず、画素数も粗さが目立ち、デカいし重いしと課題が多く残っているが、それでもカメラはカメラ、中世の文明には存在する筈のないカメラなのだ。
「カメラ……私がいつ見ても売り切れだった、あのカメラ……」
マリーのように、欲し続けても手に出来ない人というのは王国中に居た。
「ま、まあとにかく、これを使えば調査もかなり捗ると思うの!」
レイラはひとしきり涙を流した後、気を取り直して本題に進める。
「私の貯金を犠牲にしたんだ。絶対、ぜーったい成果を出そう!」
「はい! 頑張りましょう!」
「違う違うカエラちゃん。ここは、おー! って言う所だよ」
「お〜」
「ほらこんな感じに!」
「分かりました! おー!」
「おー!」
三人はキャッキャッと戯れた後、無言でマリーの方に目線を向ける。
「……え、私もやるの?」
「ふふ、ほらマリー先輩、皆さんが待っていますよ」
「ッ、なんであなたはしない体なのよ」
「私はクラブの部員じゃありませんので」(それにそういうノリ、嫁のキャラに合わないし)
セレナに背中を押されたマリーは、渋々といった様子で前に出る。
「……おー」
「「「おー!」」」
こうして四人は結束を固め、悪魔が潜む廃館の調査に乗り出すのだった。
(……というか、そのノリで合ってるのか?)
▼▼▼
遠い昔、ある一つの存在によってそれらは生み出された。
それらは大空を羽ばたくトカゲであったり、山より巨大な牛であったり、知性を持つ剣であったり、生きた粘性体であったりした。
非現実的な生態を持つそれらを創造主は魔物と名付け、ある一つの目的の為に次々と新しい魔物を生み出していった。
目的に沿った魔物が生み出されるまで創造主は幾度も試行錯誤を繰り返したが、魔物を生み出すより効率の良い手段を見つけた事で、魔物は用済みとなって放置されるのだった。
……現在、悪魔と称される存在の正体ほぼ全てが魔物である。それはミミクリー家の廃館に潜む悪魔にも当てはまる事だった。
霧状で、特定の姿形を持たないその魔物は噂にもある通り、獲物が最も望む存在に化ける事が出来る。そして獲物が完全に心を開いた瞬間、即座に捕食する。
その魔物はなんにでも成れる。故人でも、架空の人物でも。膨大な富でも、不老不死の薬でも。文字通り、なんにでも成れる。
知識が欲しいのなら、求めた物が記されている書物にでも成ろう。自分を変えたいのなら、理想の人物に成らせてやろう。世界を変えたいのなら、望んだ世界そのものにさえ成ってみせよう。
それは幻覚なんて低次元の話では無い。確かな実体があり、実感がある。だからこそ、どんな人間であっても思わず心を開いてしまうのだ。
心を無にし、悪魔を殺す事だけ望む。そんな対策をして挑む者も居たが、それすら魔物は読み取り、望み通り悪魔を殺させて満足して貰った後に捕食した。
その魔物は相手が望んだ存在にしか化けれない。だからこそ、その魔物はいつだって捕食する為に適切な姿へ化ける事が出来てしまうのだ。
(……キタ)
その日、魔物は久しぶりに獲物か来て歓喜した。
(ヘンナ ノゾミ ダナ)
その者の望みは、魔物が送った長い生の中でも随分と奇妙な内容で、けれど自分はそれを叶えてやるまでだと思い直した。
先ほどまで廃館の名に相応しいほどボロボロだった部屋の一室は、瞬く間に清潔感のあるリビングへと早変わりする。
「───おかえりなさい、あなた」
そしてリビングのドアを開けた獲物に対して、魔物は穏やかな笑みを浮かべて出迎えた。
「…………うん、ただいまセレナ」
出迎えられた黒髪黒目の青年は、少しの間だけ目をカッと見開いて放心するが、すぐに落ち着いた様子で言葉を返した。




