聖乙女レオナと婚約破棄
「レオナ・ルスラニア! 本日をもってお前との婚約を破棄する!!」
王宮にある大広間にテノールの声がひびき、こだました。
なぜ?
そんなの決まっているではないか!
今年十九歳になる、大国ルマニアの王子ニコラエが述べていく。
「レオナ、お前は聖女であるにもかかわらず、魔力を失った!」
キョトンとした菫色の瞳がニコラエをのぞきこむ。
「それだけではない! 宮廷では、付き人のヘルタを虐めていたそうではないか!」
いらだつ口調と険しい表情で彼は怒りをぶつけるのだ。長身で広めの肩を怒らせて。
「ささいな失態で、彼女に水をかけ!」
「?」
「事あるごとに手やほおを打擲し、尊厳を踏みにじり――」
「……?」
「あまつさえ彼女が大切にしていたペンダントを踏みつけ、壊した!! そのふるまいのどこが聖女なのか!?」
淡い金髪をゆらし、毛先をふるわせ、翠の虹彩が光を放つ。そのなまじりを怒らせて。
「……証拠はあるのでしょうか、ニコラエさま?」
すさまじい剣幕。にもかかわらず、レオナは動じることなく問いただす。
が……
フン、と鼻でせせら嗤い、王子はなじる。
「お前から魔力が失われたのが、何よりの証拠だろう! 聖女とは神にも通じる乙女。ゆえに力に溺れ傲慢となり、そのふるまいから破滅していった者は少なくない! ――お前のようにな?」
不敵に笑み、あざけった。
「……」
雪のような銀髪を風にすかれながら、レオナはにらむ。ニコラエと、その隣で彼の腕を抱きしめるヘルタの姿を。
(ふ~ん……)
ストロベリーブロンドのゆるふわな髪。ローズピンクのまなざし。白い肌で、まだ田舎娘が抜けきっていない雰囲気をまとう少女。
(こいつ、ああいう娘が好みだったのね……)
ようするに花咲く前のツボミ。自分をへちゃむくれと思いこむ、磨けば光るだろう乙女を!
不安が胸をざわつかせていく。
「その……わたしが魔力を失ったと証明できるのですか?」
菫色の眼でキッと二人をにらみ、レオナは問いつめる。
「それから、わたしが付き人であるヘルタを虐待したという物証も」
「何をいうかと思えば!!」
が、返ってきたのは侮蔑めいた態度。
「そんな詭弁でごまかすとは、とうとうヤキがまわったか!? ないことの証明など、できるわけがない。それは悪魔の証明といって典型的な詭弁なのだぞ!!」
「……」
ごもっとも。
「それに、この壊れたペンダントこそが物的証拠。悪あがきだったな。が、これでもう言い逃れはできまい?」
と――
「もうおやめください、ニコラエさま!!」
ヘルタが叫ぶ。ローズピンクの瞳をうるませ、涙ながらに。
「私が悪かったのです。数々の粗相でレオナさまのお顔に泥をぬったのですから!!」
「いや、君が自分を責める必要はない。なぜなら、聖女とは人々の規範となるべき立場なのだからな! そうだろ、元聖女レオナ・ルスラニア?」
けれど、ルマニアの王子は断じた。
「……」
彼の眼には、何が映っているのかな――と菫色の目が光る。おそらく虐げられる不器用だが健気で純朴な少女を救い出す騎士の姿だろう。
(なんて単純な男……)
今ここで大仰にため息をつき、感情の赴くままにさまざまな気持ちを吐き出したい。そんな衝動がこみ上げてくる。
けど、それを理性が押しとどめた。
(いえ……ダメ、ダメよ! 少なくとも、今は――まだ!!)
観衆の耳目を集めている最中。ここでぶちまけてしまうのは後々に引く。百害あって一利なし。
たしかにレオナが置かれている状況はよくない。
どころか窮地と呼んでいいはず。
それでも!
威厳を失わず、堂々と。なぜなら――
(だって、わたしは……)
きっと大丈夫だ、と彼女は自分にそう言い聞かせていく。
たしかにヘルタがずぶぬれになっていることはあった。
かぼちゃパンツ姿でいたことも。しばしば赤く腫れた手に気づき、手当てしたことだって。
(ペンダントの件は知らないけど――)
まあ、そこはどうでもいっか、と息をつく。
(誰が入れ知恵したのかは分からないけどね。やるならもっと上手くやるべきよ。随分とやっつけ仕事だわ)
そしてレオナはニコラエに告げる。
「分かりました。ただ今をもって聖女の任を辞し、ニコラエ王子との婚約解消を承諾します。全てはわたしの不徳がいたす限り。慚愧の念に堪えられません。以後、わたしは王宮へと足を踏み入れる資格を失い、二度とルマニアの地を踏むことはないでしょう」
「フン!」
鼻で嗤う王子。その隣で勝ち誇ったように口元を緩めるヘルタ。
(お決まりの展開……かな?)
はあ、と吐息してレオナはその場を後にした。
その道中。ちょうどルマニア王国を越境し、隣国ベオリアへと足を踏み入れて。
(やった! やってやったわ!!)
菫色の瞳を輝かせるレオナは手をぎゅっと握りしめる。
(これでわたしは晴れて自由の身!!!)
心はウキウキでステップが驚くほどに軽い。まるで翼でも得たように。
(あんな小芝居でざわめくなんて、みんな案外単純よね? それとも策に溺れたのかしら?)
ついで思い出す。
聖女なってからというもの。これまで自分を邪険に扱ってきた周囲の態度は一変した。
ブスブス、とからかってきた男の子たちは高嶺の花を望むように目を輝かせ。
ずっと無視してた女の子たちも媚びへつらい、大人たちまで持ち上げ始め――
「はぁ……」
誰が仕組んだのか?
――レオナが聖女さまとして、ニコラエ王子のお妃になればオラたち安泰だべ?
(最低な連中!!)
彼女は心の中で毒づく。
(何でもかんでも自分の都合で勝手に決めて! わたしの気持ちを踏みにじってきたくせに。なのに聖女になれば手のひらをくるりんぱして!! 恥ずかしくないの!?)
早い話が自分たちが得するために、レオナを王宮へと差し出そうということ。
(わたしはあなたたちを肥え太らせるための道具じゃないのよ!!)
嫌がり、泣きわめく彼女をなだめすかし、あるいは脅し……
ついに勅令が下る。
――王宮へと出立し、謁見しなければ死罪に処す!!
誰を?
「――っ!!」
レオナではない。彼女の幼なじみをだ。
身分が絶対のルマニア王国では、こういうことがよく起こる。大抵は泣き寝入りで終わってしまうが。
結局、華やかなキャリッジが来て、拉致するみたくレオナを連れ去っていく。
王宮でも散々だった。
最初こそニコラエは物珍しそうに声をかけてきたが。
しょせんは国境の村に住む貧しい平民あがり。階級の壁を超えるのは、ラクダが針の孔を通るより難しい。
おまけに聖女という重責まである。
――聖女とはかくあるべき。立場に応じたふるまいこそが礼! レオナさまは相応の所作を身に付けなければいけません!!
細い棒で何度手の甲をたたかれたことか。
何かを失敗するたびに、足を踏まれ幾日も痛みと戦った。
もう帰りたい――と泣き言を口にすれば、冷たい水を頭からかぶせられ!
あるいは下着姿で廊下に立たされたり!!
けれど!
――やめるんだ! 彼女は泣いているだろ!?
テノールの声がひびく。
そう――ニコラエが臣下たちを叱責する声。
ついで彼はのたまう。
――俺の婚約者には手を出させない!! それは王家に対する不敬と同罪として厳しく処す!!!
と。
敵意に満ちたまなざしの中、何かにすがりたかった。その気持ちは事実。
しかし、レオナは知っているのだ。
これらは全て、ニコラエの差し金であると。
すなわち、ここにいる全員がグルであることを。
何のことはない。おつきのものたちが新入りをいびり倒し、主人である王子がそれを叱責。ワラにもすがる思いで、彼へとすがりつくって算段。
――だったのだろう。
(もしかして……ヘルタも?)
ふと思い返す。
(とてもそうには見えなかったけど……まあ、どうでもいいわね)
彼女に聖女としての資質があるかは知らないが。
確かなのは、聖女を失った国は近い将来滅ぶ。それだけ。
(本当に、ムダな時間だったわね。それに誰があんなやつのモノになんてなるものですか! だって――)
ついで息をはずませ彼女は想い浮かべていく……幼なじみの顔を。
(ヨシップ、元気にしてるかな……)
灰色の髪をした、黒い瞳の少年が、不器用な笑みを投げかける。
――レオナは泣き虫だなぁ……。
そう言って、どうしてかは思い出せないが、泣きじゃくる自分に寄り添ってくれた。
目立つ容姿だったからか。ほかの子たちから仲間はずれにされていた自分に、ただ一人手をさしのべてくれたヨシップ。
つたなく、鈍臭かっただろう彼女に、それでも根気強く付き合ってくれた幼なじみ。
(逢いたい――)
鼓動が激しく胸をたたく。息だって、とても苦しい。居ても立ってもいられないほどに。
(ヨシップ――!!)
気づくと駆けていた。
一面のライ麦畑と、スカイブルーの空。白い雲が悠然と流れ移ろう。
そして懐かしさのただよう景色が目に飛びこむ。
一度も足を踏み入れたことのない国なのに!!
古びたレンガ造りの家々。ヒツジやヤギが鳴き、小鳥たちがさえずる。
小川のせせらぎに――
「え……っ!?」
と、レオナの胸がドキリと飛び跳ね、菫色の瞳が見開く。
風に舞う灰色の髪。
「……」
漆黒の双眸。
あれから何年たっただろう。すっかり背も伸び、今や頭二つは差がついた。
それでも、面影はあり、一目見て景色がゆがむ。
「レ……レオナ?」
とまどう声とともに。
バリトンの声音にとても安心してしまう。
そして彼女はつぶやく。
「ヨシップ……」
ポロポロと涙がほおを伝う。どうしても感情を抑えられなかった。
だけど、もうその必要などない。
自分を偽ることから解放されたのだから。
せつな。
小柄で細い肢体が駆けだし、飛びこむ。
「わたしね、ずっと心細かったの!! 洗礼式の日に、聖女の認定を受けてから、ずっと!! わたしは聖女になんてなりたくなかったのに!!! みんな舞い上がって……」
すっかりたくましくなった胸に顔を埋め、レオナは泣きじゃくる。
「王宮でも、すっごく怖くて、つらかったの」
「そっか……」
骨ばった手が髪をなで、ヨシップはうなずく。ついで彼の腕が、華奢な彼女の肩を抱きしめた。
「お帰り、レオナ」
と、つぶやいて。
おわり