1.春の敗北者たち
開いて下さり、ありがとうございます。
小説系動画を見て、逃げてたんだとわかって、とりあえず突貫工事。
設定とかリアルさとか、突き詰めてないのはわかっていますが、ひとまず恥を出します。
三、四話で短編完結予定です。この一話目はだいぶ暗めになっておりますが、以降は明るくなると思います。
7/20 大分直しました。
春のイメージとして浮かべるのはなんだろう?
新春、桜、若葉、入学式、新しいスタート、概ねいいイメージばかりだと思う。何事もこれから始まっていく、明るい色彩の未来が待っている、やってやるぞー!そのイメージの勢いに乗って人生を躍進していくことはとてもいいことだ。
ところが、「いい」もあれば「悪い」もある。
受験不合格、蠢くと書いて虫の出始め、そしてなによりも花粉。イメージの勢いに乗れなければ人生は失速してしまう、それどころか、立て直さなければそのまま終わってしまうこともあるだろう、それは悪いことだ。
これは春のイメージに乗り切れなかった、年齢も立場も違う4人の男女が春の「悪い」の一端である花粉と戦う物語である。
*
「ねえ、どうして…別れるって、なに?」
夕暮れ時、市内の洒落たカフェの屋外のパラソルの下の席で、白のノーカラーネックのジャケット、豊かな胸を包んだ黒のタートルネックに同色のタイトスカートを着た24歳のOL、亜紗はこすった眼を真っ赤にして男にすがるように問いかけた。
長くまっすぐに伸ばした艶のある髪が、そよ風に吹かれる。既にテーブルに置かれていたホットコーヒーの湯気はなくなっていた。
「なにってお前。重いし、怖いから」
同じ会社の同期で彼氏だった男が、彼女だった女を道端で吐き捨てられたガムのように見る。
「一日に20回『私を愛してる?』って連絡してきて、少しでも返信返すのが遅れたら、『私のこと好きじゃなくなったの?だれか他の女の人がいるの?』っていちいち聞いてきて、もう、疲れた。」
亜沙は、でもそれはと言いかけ、それだけじゃないと言葉を止められた。
「こないだ、家に上がった時に勝手に盗聴器とカメラを仕掛けただろ。コンセントや目覚まし時計、その他にも合わせて10個も。それと最近、お前オレの後ろをストーキングしただろ!花粉症で眼が充血していて、ホラーゲームのモンスターに追い掛け回されているみたいで怖いんだよ…」
そう言って、男は千円札を二枚取り出してテーブルに置き席から立ちあがった。
「転勤するんだ。自分のことばっかりなお前とは別れて、新天地で自由な人生を歩んでいく。せめてもの情けだ、お前のことは警察には言わないが、もう俺と絶対に関わるな。じゃあな」
捨て台詞を吐いて男は亜沙から離れていく。
待って、と亜沙は走り寄って男に手を伸ばすが、花粉症で擦り過ぎてしょぼしょぼになった眼で男の手を掴める道理はなく、掴めたのは空気だけだった。その間に、彼氏だった男はカフェを離れてから人ごみに紛れて見えなくなった。
亜紗の見た最後の姿は、振り返らずに進んだ男と見知らぬ女が楽しそうにしながら去っていった姿だった。しょぼしょぼの眼でも、なぜかそこだけははっきりと見えた。
見えなくて、よかったのに。
「こんな…こんなはずじゃなかったのに…」
亜紗にとって、男は初めての彼氏で、今まで生きてきてようやく孤独でない時間をくれた人だった。だから、絶対に手放さないように努力をしてきた。誰かに奪われないように、自分から去っていかないように。
しかし、彼女は努力の方向性を間違えた、相手にとって適切な距離を学び、自分自身に余裕を持つ努力をしてこなかったのだ。亜紗は取り返しがつかなくなって、ようやくそれを学んだ。
流れ落ちる涙は、花粉のせいなのか、失恋のせいなのか、もうわからなくなっていた。
わなわなと小刻みに震える自分の両の掌を見て亜紗は思う。
せめて最期に、この手が届いてほしかった。
*
学ランを着た高身長で痩せ型の18歳の青年、英雄が、大学の校門の前に張られた『第〇回大学試験合格者』と書かれて啓示された紙の前に、受験番号が書かれたハガキをもって立っていた。
英雄は、ハガキに書かれた番号をみて、掲げられた紙の中にある、ずらりと並んだ数字の中から自分の番号を探す。そうして、自分の番号より少し上の番号と、下の番号をみつけ、その間を探す。ない、どこにもない。
英雄の眼が何度も、何度も、ハガキと啓示された紙の間を行き来する。それを数回繰り返して、ようやくその作業をやめた。
「ああ、やっぱりか」
そう呟いて、思い出したかのようにずるずると鼻水が出ていたことに気づき、一瞬顔が歪んだが、すぐに直してポケットティッシュを取り出して鼻をかみ、校門から離れた。
夕暮れ時の帰りの電車の中で、英雄はどうしてこうなったのかを思い出す。
もともと鼻炎気味だった英雄は、花粉の時期になるともっとひどくなりがちだった。治療薬は飲んでいたが、体質のせいかあまり効果はなく、受験勉強もなかなか集中できなくて大変だったし、試験会場でも煙たがられていた。
大学入試とは、地獄だ。
受験者たちが、底がシャープペンシルの先でできた靴を履いて、印字されたコピー用紙でできた狭いロープの上を、時計の針の槍に追われながら、不合格の奈落に落とされないように競い合うデスゲームといってもいい。
そもそも実力のないものはスタート地点で突き落とされ、実力があったとしても発揮できずにロープの途中で止まるとこれもまた時計の針に突き落とされる。
たとえ、もしロープを渡り切ったとしても、採点の名目で自分が今まで渡った綱を調べられ、少しでも渡り方をミスしたら突き落とされる。皆ができるところは必ずできるように、皆ができないところでも少しはできるように。たった一つのミス、たったの1点の差で、30人もの若き受験者たちの人生が左右されるのだ。
その上さらにひどいのは、綱をミスせずに渡り切っても、定員オーバーとして突き落とされる可能性があるからどうしようもない。
受験生たちは、10代にとって価値の大きい万円単位もの受験料を払い、迫りくる槍の恐怖を必死で押し殺して、狭い綱の上で懸命に足場を探り、その先に光り輝く未来を夢見てデスゲームに参加する。そうして、ほんの猫の額にもならない人数を残し、奈落に屍の山ができていくのだ。英雄もその屍の一つだった。ただ、英雄の死に方は少し毛色が違っていた。
英雄自身は綱を渡り切るだけの実力は備えていた、花粉症の鼻炎に妨害されながらもその実力を発揮し、追いつかれる前に綱を渡り切っていた。
けれども、英雄は自分の鼻をすする音と緊張で聞こえなかったのだ。「必ず氏名を書いて下さい」という試験官の声が…
「試験を止めて、筆記用具を置いて下さい」のアナウンスがして、初めて英雄は過ちを犯したことに気づき、即座に挙手をして試験官に「名前を書かせてください」と懇願した。けれども当然というべきか、「試験は終わった」の一点張りで奈落に落とされた。
落ち行く最中、英雄は予備校の化学教師がしていた雑談の内容を思い出していた。
『本番でミスすることを含めて、自分の実力だ』と。
そう、英雄はミスすらなく完璧にして、試験本番でも平静で、自信と余裕すら感じるほどの実力を持つことができなかった。それを成すための努力が、根本的に足りなかった。それこそが本当の過ちだったのだと、その時になってようやく理解したのだ。
英雄はその後も別の大学の入試試験を受け、滑り止めの大学に受かり高卒にはならずに済んだ。
けれども、一世一代の勝負でしょうもないミスをしてしまったことが、どうしても後を引きずっていた。だから、ひょっとしたら大学の誰かが慈悲を与えてくれるかもしれないという甘ったれた感覚で、未練がましく結果発表を見に行くという時間の無駄をしてしまったのだ。
ガタンと、電車が揺れる音で意識が戻る。時間帯の割に人はまばらだった。 英雄はまたずるずると鼻をかむ。どうしようもないくらいに鼻がむずがゆかった。
*
「いろいろとあなたに合わせて頑張ってきましたけど、我慢の限界です。あなたとはもう、いっしょにいたくありません。はい、これにサインをして」
夕暮れ時の一戸建ての自宅内で、35歳中年個人事業主、晋太朗は、妻にその言葉とともに、離婚届を突きつけられた。
仕事終わりでコートだけ脱いだスーツ姿の晋太郎は、最近出てきた下腹にも冷や汗のせいで服がくっついて気持ち悪く感じていた。
晋太郎はもともと新卒から大手企業に入った優秀な社員だったが、会社の顧客をないがしろにした経営方針やサービス、製品に不満を常々抱いていた。会社で数年働いて奨学金や一戸建てのローンを返し終わったあと、独立して起業する。顧客に寄り添って満足してもらえるようなサービスや製品を作るため、一国一城の主として、自分の旗を上げたのだった。最初の二、三年は赤字続きだったが、持ち前のガッツで人を集め、取引先の信用を得て、だんだんと事業を大きくしていった。
そしてついに、大口の長期契約を取ることに成功し、喜び勇んで吉報を妻に伝えようとしたと帰宅した途端、話しがありますとリビングに連れてこられて、離婚届を突き付けられたのだ。
「どうして、離婚なんて」
晋太郎がそう言うと、妻はしばらく黙ってから、ぽつりぽつりと話し始めた。
大学卒業後に結婚して、最初のころは楽しかった。しかし、だんだんと仕事にのめり込んでいく晋太郎についていけず、また家事の負担を全部押し付けられたことにも不満が溜まっていた。そうして、いつの間にか結婚記念日を祝わなくなり、極めつけには起業の際の資金不足のため借金の連帯保証人に勝手に入れられていたことが発覚して、もう夫に愛想が尽きてしまった。そう、妻は自分の心境を吐き出した。
話を聞いた晋太郎は青ざめ、土下座する。
「おれが本当に悪かった!家事もちゃんと手伝う!結婚記念日は昔のように祝おう!もう二度と仕事のことで勝手にお前に迷惑をかけない!その借金も今回の契約で返すどころかお釣りも出る!だから!だから……」
晋太郎は必死だった。だが、全て遅すぎたのだ。
はははは!と静かにしていた妻が乾いた声で突然嘲い上げる。
「ウソばあっかり!前にも言っていましたが、この季節せっかく毎日キレイにしている家に花粉がはいるのが嫌だから、外でコートをはたいてから入ってきてくださいと言いましたよね!あなたはいつも自分のことばっかりで、一つも私のいうことなんて聞いてくれなかったじゃないですか!」
リビングのコート掛けにある晋太郎のコートは、妻の言う通りにうっすら淡い黄色の花粉が付いたまま掛けられていた。確かに、晋太郎は妻から苦言を言われていた、それを大したことじゃないじゃいかと一蹴してしまったのだ。他にも似たようなことはいくらかあった。
「もう、あなたを信じられない」
そう言って、妻は離婚届にサインを求めてくる。
どんなに社員を集めるガッツも、取引先との交渉で培った技術も、今の妻を引き留める役には立たなかった。
晋太郎は観念して、離婚届の氏名欄の左のほうに自分の名前を書く、右側はすでに書かれていた。
呆然とリビングの床にへたり込む晋太郎をよそに、妻はいつの間にか用意していたキャリーケースを持って玄関の入り口に向かい、ドアに手をかけ
「さようなら、大好きだったお家」
「さようなら、愛していた人」
その言葉を残して、妻だった女性はいなくなった。
晋太郎は、へたり込んだままリビングを見渡す。
フローリング床はチリ一つなく、周りの家具もきちんと手入れされてぴかぴかだった。シンクだけは空けられたアルコールのボトルが何本も隅にまとめられていた。
その中で、棚の上にある写真立てが倒されていることに気づいた。近寄って写真立てを起こして、見てみる。
それは、晋太郎がまだ会社に勤めていたころの写真で、結婚したばかりの夫婦がいた。
妻が手に持ったものは会社の自社製品だった。ああ、これが使いづらくて悩んでいた妻を笑顔にしたくて、いい製品を自分で作り始めたのが独立のきっかけだったなあと、思い出した。
それを思いだした瞬間、眼から涙が滝のように流れ出した。思い出がこんこんと湧き水のように出てくる。
二人でいっしょにデートに行き、笑い合ったこと。最初の結婚記念日にこっぱずかしい言葉を添えてプレゼントしたら、真っ赤になりながらからかわれたこと。夜遅くの仕事に疲れて帰ったときに、温かく迎えてくれたこと。起業して忙しかったときに、家事が全くできない自分の代わりに妻が代わりにやってくれると言ってくれて本当に嬉しかったこと。仕事でつらいことがあっても、帰りを待つ妻の顔を思い出したら元気が出て頑張れたこと。
そして、離婚届を突き付ける悲しそうな妻の顔のこと。
晋太郎は、傲慢になり、妻をないがしろにし、やってもらうことを当然のこととして感謝の気持ちを忘れてしまっていた。そして、愛していることをちゃんと伝えれられてなかった。
離婚を経験したことで、ようやく自分が何をしてしまったのか理解したのだ。
もう妻は戻ってくることはない、後悔をしても遅い、何もかも自分のせいで終わってしまったのだ。
それでもと、晋太郎はコート掛けを見る。
そこにある花粉だらけのコートが、どうしようもなく憎かった。
*
「これで、よし!」
夕暮れ時の電車のホームで、小柄な14歳の女子中学生、雛美は手鏡を見ながら顔と髪を整え終えて元気に言う。
髪型は、少し茶髪な地毛で結ったツインテールをお団子にしており、お気に入りの赤のシュシュで纏められていた。顔は、本当は化粧もしたかったが規律に厳しい進学校なのでさすがにできないので、お洒落なレースの黒マスクをしていた。服装は、市内の有名進学校の制服の紺のブレザーを着ており、小柄ながらも二次性徴で急激に膨らんでくる彼女の身体をぴったりと包んでいた。小物は、デフォルメされたクマのキャラクターモチーフにしたシリコン製のカバーが付いたスマホを片手に持ち、反対側にはストラップをたくさんつけた学校指定用の黒鞄を肩に掛けていた。
しばらくして電車がやってくる。アナウンスとともに自動ドアが開くと、雛美は「さあて、いくぞ!」と意気込んで満員電車に乗り込む。これから彼女はバイトなのだ。
寿司詰め、芋洗いのたらい、奴隷貿易船、そう表してもいいくらいにひどい人混みの中を、雛美は小柄な体格を生かして、器用に進んでいく。そうしてすぐにバイト現場に到着し、目的の煤けた二十代後半のサラリーマンの真横こっそりと近づいた。
雛美は、サラリーマンにバレないように息を整える、そうして発言のタイミングを伺うのだ。
彼を社会的に抹殺する「この人痴漢です!」の呪文をいうタイミングを。
そう、雛美のバイトとは企業からの依頼で痴漢冤罪を行う、マンハンターなのだ。
バイトのきっかけは、街中を歩いていた雛美が企業の担当経営者から直接オファーをもらったことが始まりだった。
企業の経営者はこの社員が気に入らないからといっても、法律のせいで簡単に解雇できないし、退職金を払わなくてはいけないことになっている。けれども、解雇したい人間が犯罪者になれば話は変わってくる。重度の犯罪者ならば、懲戒解雇処分にできるし、退職金もいらないからだ。だからこそ、企業の経営者は痴漢をされそうな女子を雇うのだ。雛美もその一人だった。
雛美は自分の可愛さの価値を知っていた。初バイト以降、守ってあげたくなるような愛らしさを振りまいて、周囲の乗客を味方につける。そうして、同調圧力で相手に謝罪をさせて言質をとり、裁判での立場を悪くさせることで何人もの男を破滅させてきた。
今回の場合は、この男を破滅させるだけで10万円が手に入る。雛美はじゅうまん♪じゅうまん♪と皮算用をし、ワクワクしながらタイミングを待つ。サラリーマンは花粉症の鼻炎気味なのか鼻をすすっていた。
いよいよ狩るタイミングがやってきた。配置よし、のどの調子よし、こっそり手を引いて自分の身体に当てる準備よし!それじゃあ早速、
「この人ち」
ぶええええええぇぇぇぇぇくしょん!!
コロナ禍は一応終わったとはいえ油断はならない状況下で、マスクをしてない迂闊なサラリーマンがこっち向けにくしゃみをしてきた。
ダイレクトに飛沫が飛んでくる。可愛く装った女子中学生を、サラリーマンの唾や痰が汚した。
雛美は、うぎゃぁああああああああ!とうら若き少女が発してはいけない声をだして動揺しているうちに、電車が次の駅についてしまった。
そうしてターゲットの男はこちらに謝りもせず、人混みに紛れて去って行った。
十万円があ、と雛美は肩を落とす。心なしかお団子にしたツインテールも萎びているようだった。自分の姿をよく見たら、頭の裏側にあるシュシュもつばで少しシミになっていて気持ち悪い。
雛美は、花柄のハンカチで髪の毛や体をふきながら、さらに次の駅で降りて化粧室を探し、洗面台で汚れを落とす。
「あーあ、せっかくの時間かけてセットした髪型だったのに、綺麗にしないとお母さんが心配する…お母さんが帰る前に、家に帰ってシャワー浴びて、ご飯作って、宿題して明日の予習して……」
雛美は、おかあさんが大好きだった。
シングルマザーである雛美の母は、朝から晩まで働いて自分の娘を月謝の高い進学校に通わせてくれる。雛美はそんな母親を尊敬し、力になりたいと常々おもっていた。
かといって、生活は苦しいし、女の子として可愛いおしゃれをするのにお金はいる。だから、母親にはファッション雑誌のバイトと偽って、実入りのいい痴漢冤罪のバイトを続けている。
そもそも雛美にとって、男性という存在は嫌悪の対象だった。
雛美を妊娠させたくせに、身重の母親を捨てて去っていった父親。中学に上がってから発育していく身体を、骸骨か芋虫のような手で無遠慮に撫でまわしてくる痴漢。大人の化粧で武装した女に怖気づくくせに、化粧のしていない子供の自分にはちょっかいをかける、病気持ってそうなブツブツ皮膚のオタク。自慢ばかりして、ヤるためだけに思ってもないセリフをペラペラ喋るチャラ男。ち●ことかおっぱいとか言いまくる、下品でデリカシーのないクラスの男子。
雛美は、気持ち悪い男性しか見てこなかったせいか、同年代の読む少女マンガに出てくるカッコいいイケメンなんて都合のいいウソでしかないと思っていた。
そうした男性への嫌悪感もあってか、お金のためだけでもなく、男性への復讐も兼ねて痴漢冤罪に手を染めていた。
雛美ははこの時点で間違えているが、気づいていない。
確かに、男性という生き物は彼女が思うような悪性は確かに存在する。だが、全ての男性が悪ではなく、優しい善性もあることを潔癖すぎて知らない。
また本当に母親が大事ならば、非合法な手段はかえって母親を危険にさらすことになる、彼女はそこに気づいていない。
若さゆえの過ちとはいえ、この代償はいずれ高くつくだろう。
「ああ、もう!せっかくの十万はパアだし、セットした髪や制服は汚れちゃったし、本当に最悪。」
そういえばと、雛美はさっきの電車での出来事を思い浮かべていた。
「よくよく思い出してみると、えらく鼻をずるずるやっていたわね、花粉症かしら?どのみち電車の中なんだからマスクぐらいしなさいよ!」
雛美は自分勝手に怒りながら、まだ自分が汚れているような気がして、もう一度ハンカチを取り出す。
ハンカチに二つ折りで挟まれた汚物のねとつく音が、本当に気持ち悪く聞こえた。
*
各々が嫌な思いをした夕暮れ時、年齢も立場も違う男女たちが、全く同じ時間で、全く同じことを言った。
「「「「花粉なんて、大嫌いだ(よ)」」」」
互いの声も姿も知らないけれども、花粉に対して共通の「悪い」印象をもつ男女たち。
彼、彼女らは、ちょっとしたことでネットを介して知りあうことになる。
そうしていつしか、互いに仲良く並んで樹木相手にチェーンソーを振り下ろし合う、まるで冗談のような関係になるのは、そう遠くない未来のことだ。
「胸を張って負け犬に成れない者は、勝者にも成れない」 https://www.youtube.com/watch?v=BfG0F3sQItk
わかつきひかる先生に最大限の感謝を。
私は、人生で何かあった時にこの言葉を思いだすでしょう。
恥出して負け犬からスタートしていきます。どっかの公募を出そう。