9. 勉強会
教室に入ると、クラスメイト全員の視線が集中してきた。
ドアを開けるまで騒がしかった教室内が嘘のように静まり返っている。
一挙手一投足をまじまじと見られながらも着席すると、既に着席していた藍沢が後ろを振り返ってきた。
「ねえ織谷くん、メールに書いてあったことって本当なの?」
藍沢の言うメールとはこの学園で学校側から全生徒もしくは対象の生徒に送られるメールのことだ。
重要事項などは全てこのメールを通して生徒達に伝えられる。
「あぁ、本当だ」
今朝7時ちょうどに全生徒を対象に送られた学園メール。
先週の金曜日に生徒会で確約された今回の試験の新ルールは、学校中の生徒を混乱させることとなった。
メールの文面を見て騒ぎ立てる生徒が大多数いる中、一方で自分には関係ないとばかりに大人しくしている生徒。
しかし、いくら騒いだところでこのルールが取り消されることも変更されることも決してない。
最終的に生徒会長である谷上が可決した時点で、それを覆すのは谷上でもできない。
そうは言ったものの、結局今日一日はその話題で学校中が騒がしかったのは事実。
生徒会役員である俺と響は一日中クラスメイトからの視線を浴び続けることとなった。
「京くん、いい?」
放課後、俺の席の目の前まで来ると、教室の外へ来るようにと手で催促する響がいた。
響の後を追って廊下を歩き続ける。
多数の視線に耐えられなくなって教室を出たのかと考えたが、他人に全くの興味を持たない響が有象無象の存在から向けられる視線に痛みを感じるとは思えない。
階段を下り、一階準備室と書かれた部屋のドアノブを回すと簡単に扉が開いた。
薄暗い部屋の中に入ると、後ろから扉を閉められた。
「この部屋が空いてるって知ってたのか?」
「たまたま。誰もいないなら、別にどこでもいい」
「……あ、そ」
狭いこの部屋には積み重ねられたダンボールが壁際にずらりと並べられている。
ほぼ密室状態で俺と響の距離は1メートルもない。
「みんな、今頃試験勉強で大変だね」
「他人事なんだな」
「そういう京くんだって、ほぼ関係ないようなものでしょ」
一歩前へ踏み込んだその脚でさらに距離は縮まる。
「聞いていいか、響」
「何?なんでも聞いていいよ。なんでも答える」
上目遣いで甘くとろけるような顔が至近距離にあることで、余計に甘い香りが鼻についてくる。
「………いや、やっぱり何でもない」
顔を逸らし響から距離をとる。
「悪い、今日はもう帰りたい」
そう言い残して部屋を出た。
部屋を出る直前にドアの隙間から見えた響の顔は笑っていた。
校舎を出ると、とある人物とのMILUのトーク画面を確認してからまたポケットにスマホを入れる。
寮への道のりを外れ、学園の敷地を出た。待ち合わせの場所まではもうすぐ。
「悪い、待たせたな」
「全然、私も今来たとこだし。じゃあ行こっか」
校門を出てすぐのところで待っていた藍沢とともに歩き出した。
夕方になるとこの辺は人通りがやや多くなってくる。仕事や学校帰りと思われる人たちが多く行き交っている。
「それにしても驚いたよ。いきなり織谷くんから放課後のお誘いがあったんだもん」
響に呼び出される前に、藍沢にMILUを送っていた。
『放課後に話がしたいから会えるか』
と。
「急で悪かった。どうしても話しておきたいことがあったんだ」
「ううん、大丈夫だよ。どうせ暇だったし」
気にしてないからと、笑顔でそう応える藍沢。
「話したいことって、もしかして朝の……?」
「そうだ」
学力が問われる試験での今回の新ルール規定により、学力の低い生徒が圧倒的不利になる。
「『各科目で平均点未満の点数を取った者にはペナルティとして退学処分を下す』だっけ。入学して早々の試験でこんなのって、いくら何でもあんまりだよね……」
平均点は学年全体での数値をとる。全部で5科目ある試験の中で、全て平均点以上取らなければ退学を受けるというあまりに過酷なルール。
全員が高得点を取ってしまった場合でも、平均点はそれだけ高くなり上回ることが出来ずにペナルティ=退学ということだって有り得る。
「だが救いが全くない訳でもない。『ただし、平均点以上の点数を取った場合に、超えた分の点数を他者に分け与えることができる』とある。クラスメイト間のみとあるが、これだけでも十分な救済処置と言える」
自分の点数を他人に譲ることができるなんて制度は、どこの学校を探しても一つも見つけられないだろう。
「じゃああなたは退学です、なんて言われたら何のためにこの学校に入ったんだーって話だよね」
「そんな気楽に話しているが、勉強が苦手と自ら言っていた藍沢も今回の試験で標的になってるんだぞ」
「あーー言わないで分かってるから!」
怪しげな奇声を上げながら頭を抱えて絶望した様子を見せている。
「それなら、俺が勉強を教えてあげようか」
学力が足りていないのなら上げるしかない。当然のことだ。
「え、織谷くんが直々に!?そんなの私としては願ってもないことだよー」
「藍沢を退学にはしたくないからな。もしもの場合には点数を分け与えてでも助けてやる」
俺が藍沢美佳を手放すはずがない。
「ありがとっ!でも私だって助けられるんじゃくて自分の力で退学を回避してみせるよ!」
「その意気だ」
目的のスーパーにたどり着くと、二人とも入店してそれぞれが目当ての品を買い揃えていく。
食料品の入ったマイバッグを手に持ち帰路につく。
買い溜めはあまりしない主義なため、バッグの中身は数日分程度の物しか入っていないのに対して、藍沢のバッグにはぎっしりと詰められていた。
「随分買ったんだな……」
「あははは…頻繁に通うのは避けたいんだよね」
スーパーを出た直後に、重いだろうと藍沢のバッグを持ってやろうとしたところ即断られた。
誰しも女性が荷物を持ってもらいたいわけじゃないのだなと実感した。
「ねえ、勉強会ってもしかして織谷くんとマンツーマン?」
「なんだ、嫌なのか」
藍沢の反応を待ってみる。
「いやまさか!嬉しいは嬉しいんだけど、ちょっと緊張しちゃうっていうか……」
照れたような嬉しいような複雑な感情を抱いている。
ただ今回は藍沢が緊張するようなことはない。
「勉強会は……そうだな、俺の部屋でいいか?」
「うん、いいよ!」
部屋に女子をあがらせるのを他生徒が見れば怪しまれるが、逆に女子の部屋に俺があがるのはハードルが高すぎる。
あらかじめ3人分の茶菓子でも用意しておこうかなと、手に持ったマイバッグを見て思った。
誤字脱字はお許しください……