7. ドッヂボール
次第に新しい環境にも慣れ始めた5月初旬は、世間ではゴールデンウィークの連休で浮かれている人がSNSで自慢の一枚を投稿している。
しかし大樽高校にはゴールデンウィークは存在しない。
その代わりと言ってはなんだが、夏休みの始まりが7月初旬と随分早い。
新しいクラスでも一ヶ月が経てばそれなりに親しい者同士、いくつかのグループが教室の隅、中心、教卓辺りで形成されている。
5人グループができている所では自然と一人だけ輪の外に弾かれて会話に入っていけていない。
複数人で集まるのが苦手な者たちは二人だけで毎休憩時間に軽い談笑をしている。
似たもの同士で集まっている者は、共通の話題で話を盛り上げている。
しかし、誰もがそう簡単に仲間を見つけられている訳ではない。
自席でスマホをいじって時間を潰している者や、自らの腕に顔を埋めて仮眠をとっている者などがいる。
教室内を密かに観察していると、皆各々に教室を出ていく。
次の授業は……体育か。
現状、男友達が一人もできていない俺は体育着を持って一人で更衣室へと向かった。
今日の体育の授業はグラウンドで女子との合同授業となっている。
そのためかそれ以外か、更衣室で着替える男共のやる気は燃えるように高まっている。
「君、何かスポーツでもやってる?」
下着を脱ぐと横からそんな声が聞こえてきた。
「え?」
「あぁ、いや何でもない」
俺の上半身に一瞬目を向けた後に顔へと視線を戻したのはクラスの陽キャ男子、堀北界人だった。
クラスメイトとはいえ、初対面でそんな質問をしてくるだろうか。
「織谷はなにか部活に入る予定はあるのか?」
「いや、特にないかな。堀北はサッカー部……には入らないんだっけか」
「あぁ、自己紹介をしっかり聞いてくれていたのか。そうかな、部活はなんて言うか……窮屈に感じるんだよな」
部活が窮屈か。
確かに少し縛られる感覚があるのかもしれない。
朝早めに登校してくるとグラウンドで朝練をしているサッカー部を見かける。
好きなサッカーを部活でやるのとはまた別なのだろう。
ただ、それだけが理由じゃないと言わんばかりの表情を堀北は見せている。
「一緒にグラウンドまで行かないか?」
話をしていると授業の始まりのチャイムが鳴ってしまった。
俺と堀北は急いでグラウンドへと向かった。
体を動かす人にとっては小、中、高と体育の授業が億劫に思うかもしれない。
しかし文部科学省が定めている体育への目的は、体を動かすことへの親しみを深めることではなく、素養と健康安全に生きていくのに必要な身体能力だったり知識を深めることだ。
今日は女子との混合授業ということで、必然とグラウンドを通常の半分しか使えない。
「今日は特別にドッヂボールをするぞー」
20人いる男子は適当に二つのチームに分けられ、そこで対決して時間を潰すということらしい。
女子も同様にドッヂボールをするようで、チーム分けをどうするかで盛りあがっている。
「同じチームだな、よろしく」
「あぁ、よろしく」
堀北と同じチームになった。
「あれ、9人しかいないな。1人足りないけど、今日は欠席は居ないはずなんだけど…」
そう、自チームの数を数えてみても1人足りない。
ドッヂボールで数が多少合わずともそれ程ゲームに影響はしないが、ルールが公平でないとつまらない。
「あそこに居るのって、矢賀だよな?」
堀北が指した方向には、グラウンドの隅で一人座っている矢賀の姿がいた。
つまらなそうにどこか遠くを見ており、こちらには見向きもしない。
「ちょっと俺、連れてくるわ」
そう言って矢賀の方へと小走りしようとした堀北の肩を掴んだ。
「すまん、俺が呼びに行ってくる」
「あ、あぁ…」
俺は堀北の肩から手を離すと、矢賀の方へと歩き出した。
矢賀とは全く接点はないし話したこともまだ一度もない。
だがそれは堀北だって同じだろう。
訳あって矢賀のことは最近観察していたが、親しい間柄の人物はおらず、教室内で誰かと話している場面は一度も目撃していない。
加えてあの様子じゃあ堀北のような明るい性格の人間が話しかけに行ったところで、ご機嫌取りをされているようにしか感じないだろう。
目の前までやってきてが、矢賀は振り向こうともしない。
この距離で人がいて気づいていないはずは無い。
「ドッヂボールやらないのか?」
「………」
一瞬こちらへと視線を向けたあと、またどこかへと移してしまう。
話しかけるなというサインであることは分かっている。
「ゲームを始めようにも、矢賀が入ってくれないとそれもどうしようもない」
「………っせぇな。勝手にやってろよ」
ようやく口を開いた矢賀の声を、今初めて聞いた。
「そうもいかない」
一匹狼に睨まれようと、ここで引き下がるようなことはしない。
苛立ちを隠しきれていない矢賀に更にしつこく出る。
「そこに居たって何も面白くないだろ。みんなお前を待ってるぞ」
「うるせぇんだよ!俺に構うなって言ってんだろ!?」
声を張り強気で言ってきたことで、離れた場所にいる皆にも聞こえていた。
抑えきれない苛立ちとともに立ち上がり、俺の胸ぐらを目がけて手が伸びているのが分かった。
「!?」
矢賀の伸びようとしている手へと、自らの身体を吸い寄せるようにした近づけた。
皆からは、俺と矢賀が近距離で話をしているようにしか見えない。
「何かやらなきゃいけない事があるんだろ」
「……はぁ?何言ってやがる」
「…───────────────」
それを聞いた瞬間、矢賀の表情が鬼の形相へと変化した。
「てめぇ!マジで調子乗んじゃねぇぞ」
力強く体操着の胸ぐらを掴んでくる。
「だから俺が手を貸すと言ってるんだ」
俺は胸ぐらを掴む矢賀の手首を掴み返した。
「いっ!?」
「これは交換条件だ。俺がお前を手助けする代わりに、俺もお前に要求する」
今も痛がる矢賀の手首から手を離し、一歩下がる。
「お前は……俺に何を要求する」
「今はまだしない」
矢賀のやるべき事が終わってから話しても、矢賀はそれを断ることはできない。
「お前に、俺のやりたいことができるのか?」
疑心暗鬼で俺の目を覗き込む矢賀の目を、正面から突き返す。
「当たり前だ」
体ごと視線を逸らし、堀北のいる方へと歩き出す。
交渉は無事成立したと言えるだろう。
「……いったいどうやって説得したんだ?」
こちらへとゆっくり歩いてくる矢賀を見て、堀北が興味あり気に問いかけてきた。
「特別なことをしたわけじゃない。ただドッヂボールをやらないか、と誘っただけだ」
こうして人数が揃い、ゲームを始めることができた。
その間、女子はゲームをしないで男子の観戦に回っていた。
女子たちに見られていることが気が気ではない男子陣は、まともにプレーができないでいた。
観戦で盛り上がる女子の方へと視線を向けると、響と目が合った。
横には藍沢の姿もある。
藍沢も響に劣らず、女子高生の中では完成度の高いルックスを持ち得ている。
その二人がこちらに向かって微笑んだら、当然男子共はドッヂボールどころではなかった。
両チームで次々とノックアウトされていき、女子の視線に目もくれない者が多いチームが勝利する形になった。