3. 自己紹介
本校には学校側による校則が存在しない。
それは一重に自由な学校生活が送れるという意味合いではない。
学校ではなく生徒自身がルールを決め則って生活していくというものだ。
「我々教師が生徒に対して与えるものは社会的知識ではなく学問のみである。生徒同士でルールを決め、それを守るも取り締まるもまた生徒同士だ。我々からは一切の口出しをしない。互いに社会を学び知識を高めあってほしいと思う」
静かな体育館に流れる緊迫感の中で、校長の挨拶が終わる。
「続いて、在校生代表の挨拶。本校生徒会長、三年二組 谷上郁人」
パイプ椅子から立ち、入学生の前を通って壇上へとゆっくり登っていく。
その立ち居振る舞い、顔つきがとても二つ上のものとは思えなかった。
「新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
祝辞から入った生徒会長の挨拶は、次第に本校の紹介に入った。
「先程、校長先生によるお言葉を頂いたかと思われますが、本校では我々で規則を決めるという変わったルールがあります。決められたルールに違反した者、またはその常習者にもまた我々で罰を下すという事です」
ネットの時代最盛期に突入し始めたこの時世では、ネットの声すなわち民衆の声が罪を犯した者を裁く。
それは、この世の中で法律によるどの刑罰よりも苦しく生き難いものだ。
規則を守り、己が他者を罰する新しい仕組み。
「ルールと一言で言っても、それは各々が自由に決めることができるものではありません。その最たる主導権があるのが、我々生徒会であり、生徒会長である私です」
あの男から底知れぬ圧を感じた生徒たちは皆、一言一句聞き逃すことのないように真剣に顔を向けている。
「皆さんと築き上げる更なる生徒会の躍進に期待します」
そう言い残し、在校生代表の挨拶が終了した。
一般的な学校における立場とは随分異なる大樽高校の生徒会。
教師は授業をするだけ。それ以外の校内全てのことに関しては、今後生徒会が絡んできて間違いないだろう。
指定された教室へと各自向かい、黒板には名前が書かれた席順表が貼られていた。
俺の席は廊下端の前から二番目の所だ。
やはりというか、何というか。
「これから三年間よろしくね、京くん」
左斜め後ろの席には響がこちらを見て座っていた。
平仮名順で決められているであろう席で鳳条の「ほ」が織谷の「お」とこれほど近いだろかと不思議に思うが、ここは響の父親が理事長をやっている学園だ。
言わばこの三年間において、この学校は響の思うがまま。
独壇場ということになる。
だが生徒会という組織がどこまで理事長に対抗できる力を持っているかはまだ分からない。
クラス替えのないこのクラスで響を近くで見張れるのはむしろ好都合と捉えておく。
「あっ、織谷くん!やったね、同じクラスだ」
前から声を掛けてきたのは藍沢美佳だった。少し控えめに手を振りながら笑いかけてくる。
「ああ、よろしく」
藍沢の「あ」は俺よりも前の一番前の席となった。
5クラスある中で早速知り合ったばかりの人と同じクラスになるのはすごいな。
担任教師の挨拶とともに、席順で自己紹介が始まった。
この手の行事はさほど不得意というわけでもなかったため、藍沢の次に難なく終えることができた。
自己紹介時の声のトーン、喋る長さ、そして内容によってその人の第一印象が決まってくる。
第一印象とは今後の付き合いで第一の鍵となる重要素材であり、それが好印象でも悪印象でも他人の記憶に残る。
「木場翔也です。えっと、好きな食べ物は卵とラーメンです。……よろしくお願いします」
自己紹介が終わると、申し訳程度か「よろしく」という意味合いか、薄い拍手が飛び交う。
「鳳条響です!好きなものは京くんで、……えっと京くんが大好きです!よろしく!!」
いきなり爆弾発言をかました響は、やってやった感を出しながらこちらをガン見しているのが前から見えた。
突然の発言により、教室内はザワつき始めた。
これ以上に強い第一印象の植え付け方は存在しないだろう。
「えっ……織谷くん、もしかしてあの子と付き合ってるの?」
「……デマだ。気にしなくていい」
「そ、そうだよね。流石に、ね…」
この後に自己紹介をする人が気の毒でしょうがないが、何とか頑張ってほしい。
「それじゃあ次は俺だな!名前は堀北界人。好きなことはサッカーだけど、今のところ部活は考えてない。これから三年間、皆と仲良くやっていければいいなって思ってる。よろしく!」
爽やかな自己紹介の後に今日一番の拍手が上がった。
如何にも眩しい存在で陽キャといった部類に入る人間だ。
この先、クラスを引っ張っていく中心人物として前に立つのかもしれない。
この男の後に自己紹介する人たちは、必然的にその内容がクラスの記憶には残らなくなっていく。
けれども、何も自己紹介が全てを左右する訳では無い。
「矢賀集です。よろしく」
眠そうな声で端的に自己紹介を終えた。
シルバーのメッシュがかかった髪色に、両耳にはピアスをしているこの男は、椅子に腰を下ろした途端うつ伏せになって寝る素振りをした。
自己紹介前もあの体勢だったため、ダルいのか本当に眠いのだろう。
「渡辺優希………です」
ラストを飾ったのは、この日一番の短文自己紹介だった。
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生徒会役員は各学年、各クラスで二人となっている。
生徒会への所属がどれだけの力を持つのかはまだ未確定な上に、本当にルールを決めるだけの権利しか持っていないのか。
いずれにしても、今後のことを考えるとあまり面倒ごとは避けたい。
誰もいない、寮へと向かう廊下を歩いていると奥から靴のかかとの鳴る音が聞こえてくる。
この廊下は本校舎と学生寮を繋いでいるが、電気も付かず人通りが少ない寂れた渡り廊下になっているようだ。
大抵の人は校舎を出て外から寮へと向かうだろう。
しかし構内地図をよく見ると、その途中で体育館へと繋ぐ経路ができている。
暗闇から姿を見せたのは、ついさっき壇上で挨拶をしていた男だった。
「ここで何をしている」
立ち止まり、威圧的な視線で睨んでくる。挨拶をしていた時の顔とはまるで違った。
「あなたは確か……谷上生徒会長ですか」
俺と目が合っていた視線が下へと向けられる。
「…………お前、新入生か」
学年ごとに上履きの色が決められているため、その色を見るだけで判断できる。
「寮に向かっていたところです」
「そうか。くれぐれも迷わないよう気を付けるんだな」
「ありがとうございます」
横を過ぎ去り、再び歩き出した。
それを耳で感じとり、俺も前へと歩き出したのだが、直ぐに音が止んだ。
「お前、生徒会に入らないか?」
振り返ると、同じく振り返ってこちらを向いていた。
「……考えておきます」
それだけ返すと、谷上は身体を回転させ、今度こそそのまま歩き去った。