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老人の静かな日常と穏やかな怒り

作者: ハルヤマ春彦(実名:齊藤正隆)

老人の静かな日常と穏やかな怒り


第一章  モモちゃんと私


私は救急室へ向かって疾走している救急ベッドに乗せられていた。

「次女を呼んで!次女を呼んで!」とけたたましい担当医の叫び声が死線をさまよっている私の耳に入った。

病院側でも、もしものことがあったらと末っ子のモモちゃんと連絡をとり、救急ベッドが通る病院の通路に呼んで、父である私の最後を看取らせたいということだったのか。

例の通路で、モモちゃんと一瞬目があった。私には、モモちゃんの顔は深い悲しみと力ずよい励ましと祈りの表情をしていた。これらの感情が一瞬のうちに、ないまぜになり、私の全身に激しく電流がはしった。

一瞬空中に大きな風船のような球体がふんわりと浮かんでいたように見えた。私はその瞬間「死」を覚悟した。というより「死」を願っていた。それは心地好い気分だった。                 「死」を恐れるどころか、それを積極的に望んでいた。

私の家族は幸せだっただけに、不思議な体験だった。モモちゃんをふくめた家族との別離の悲しみは、当然に一方で、脳裏に深く刻まれた。

モモちゃんには3歳と6歳の子供がいた。2人とも女の子だった。この2人の面倒みるだけでも大変なところ、この南国の地方都市にモモちゃん以外私の闘病生活の面倒を見る人はいなかった。モモちゃんの主人も仕事で手いっぱいだったのだ。


第2章  私の東京生活


私は4年前にふるさとのこの街に帰省したていた。15年前のリーマンショックで30年経営していた会社は破産、家族は離散、妻とも離婚し、上京した。最愛の妻であったが、諸々の状況が夫婦を引き離すことになった。

子供はモモちゃんのほか長男と長女と2人いた。3人とも、素直で心優しい子供達だった。

私の自慢の子供達だった。といっても、みな成人してそれぞれ結婚していた。

子育ては、もっぱら妻がやっていたので、ただただ感謝するのみ。

東京には学生時代の友人達がいて、一番安全な場所だった。全てを捨てゼロからのスタートだった。

取り敢えず友人の紹介で若い中國人の経営する不動産会社に就職した。顧問兼宅建士の講師として。100名ぐらいの中国人と20名程のベトナム人が働いていた。

日本に憧れ、日本の大学へ留学してきた若者達だった。まだ、日本の若者がかって大切にしていた情熱と無垢な心を感じた。

私は老人なので先生と呼ばれた。中国人の目上に対する敬称だ。中国の若者は礼儀正しい。

私が大学卒業後東京で、10年間のサラリーマン生活を送った時に比べ、格段に楽しく働くことが出来た。

私は1960年代に大学へ入学。学生運動真っ只中の時代だった。勉強はそっちのゖで、国会へデモ、大学構内での左翼学生の内部抗争に明け暮れた。

貧乏学生の常としてアルバイトにも専念した。金になるものはなんでもした。牛乳配達、夏場の製氷。東北出身の実直な出稼ぎ労働者と徹夜で働いた。また、信州みそ会社のみその配達。信州みそのトラックでの配達で、場所は忘れたが、多分、江戸川沿いの道幅の広い土手の端で、こらえきれずに立小便をしている傍らを、当時売れっ子の倍賞千恵子さんが犬を連れて散歩していた。この醜態にでっくわし、彼女はそそくさと急ぎ足で去って行ったことを昨日の如く思い出す。その後。「寅さん」シリーズの虜になっていった。

懐かしきな「青春」をもう一度!また、国会前でのデモの帰り、西武新宿駅前の歌声喫茶「ともしび」でも相変わらず「下町の太陽」を歌っていた。ロシア民謡も良く歌った。ロシア民謡全盛の時代だ。「カチューシャ」「ともしび」「郵便馬車の御者だった頃」「モスクワ郊外の夕べ」など定番の歌を唄った。

当時のソビエトは我々学生にとっては、正義の象徴であり、祖国だった。

スターリンが政敵を大量虐殺していた事実を知らされていなかった。

「ともしび」は現在も新宿通りへ移転し、健在だ。時々、有名人にもあえる。 その一人に、山之内重美さんもいた。彼女は早稲田大学、法政大学でロシア・スラブ文化を教えている。又、かって彼女は女優としても活躍していた。同じ女優の栗原小巻さんと2人だけ、ロシア語を話せる女優さんだった(私の知る限り)。

実を云うと、彼女に2年間ロシア民謡を教えて頂いた。音楽教室は山手線新大久保駅から東へ、15分ほどのところにあった。歌声運動の創始者・関鑑子せきあきこの生誕地でもある。

彼女の最後は昭和48年のメーデーの壇上だった。  彼女らしい最後だった。現在は音楽センターとして、使用されている。

私は山之内重美さんに会えることが目的だったので全くロシア民謡が身につかずに、片想いの大いなる老いらくの春を送った。私のほかにも数人の男性が参集していたが、皆同じ目的だった。素晴らしき老春よもう一度と祈るばかりの年齢になってしまった。本物のロシア民謡を教えていただき感謝しています。

中でも、「満洲の丘に立ちて」というロシア民謡は、日露戦争の当時、ロシアの若者が多数犠牲になった鎮魂歌だった。戦争は無意味な犠牲を当事国に与える。特に戦場で戦う若者とその家族に深い犠牲と悲しみを強いるのだ。

因みに、夏目漱石が旅順を旅した折に、中国人の案内役の方に、この戦場で激しい戦いがあったが、後半になると、両軍は疲弊して、どちらからともなく、潜んでいた洞穴からでてきて、日ロ両軍の敵兵同士が歓談していたそうだ。微笑ましいというか、悲しい現実を感じたものだ。所詮、戦争は当事者国のトップ同士の争いなのだ。漱石自身もそのように実感したのではないでしょうか。

山之内さんの教室は、月に2回で1時間半ほで終わった。帰りにはきまって、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、ロシア文化・スラブ文化やよもや噺に時を忘れて盛り上がったものだ。またこの喫茶店のオーナーは40代前半の美人さんだった。最高のひと時だった。

ときには歌声喫茶「ともしび」にも行った。「ともしび」には結構有名人がお忍びできていた。その中にボニージャックスのトップテナー西脇久夫さんもいて、たまたま隣にいたので、2.3時間歓談した記憶がある。西脇さんは2021年8月に85歳で亡くなられた。穏やかな紳士でした。数少ない早稲田マンだった。早稲田の寛容の精神、優しさ、穏やかさを秘めた紳士だった。今早稲田大学出身者でこのような人物がどれほどいるのかと思うと、傲慢で不遜な人物が跋扈しているように感じる。

ともあれ、「ともしび」での会話は山之内重美さんを中心に楽しいひと時を過ごしたものです。

最後に、彼女から厳しく注意された言葉がある。それは殆どのロシア民謡は民謡ではなく「ペースニア」と呼ばれる「ロシア歌謡」であるということだった。何故なら作詞・作曲家が公になっているからだと。ロシア民謡と言い間違えて、その都度、小学生みたいに、叱られたものです。ただ、何故か叱られることが心地好く感じられました。母親から叱られているようで、全く腹立たしく感じないのです。

因みに、山之内重美さんの年齢は私よりはるかに若いのはいうまでもありません。

それで、わざと間違える厚かましき輩がいたかどうかは不明です。今となっては、懐かし思い出となっています。


第3部 反TMK帝国主義について

 反TMK帝国主義という言葉は私が勝手に提唱している用語です。SNS上で3万人のアクセスを頂いております。

ものものしい響きですが、単純極まりない内容で、敢えて定義するのも顰蹙をかうのではと思うほどの言説です。

TMKのTは特権階級。それも、世界を牛耳っている程に極々少数の富裕層(super rich)です。

TMKのMとは特権階級にヨイショするmedia、TMKのKとは特権階級にヨイショする国家官僚・政治屋(politician)です。(真っ当な政治家はstatemenです。)

この3者が文明発祥以来、5000年4000年前からこの関係は存在し、専制的になればなるほど、この3者は重なり合い、強力となる。自由主義・民主主義と呼ばれる時代には、三権分立を装って、若干緩和された結びつきを維持する。

日本では江戸時代が一番強力なTMK帝国主義の典型だ。ヨーロッパ諸国では中世がその全盛期である。

TMK帝国主義は諸悪の根源である。大多数の貧困難民を発生させ、格差社会、テロ、戦争(核戦争を含む)、環境汚染、地球温暖化、地球の終焉へと加速させる。

我々の学生時代はマルクスが中心的思想であった。ただ、マルクスの「資本論」を学生運動の指導者さえ、まともに読破していた者はいなかった。精々一晩で読めるマルクス・エンゲルス共著の「共産党宣言」を読んで学生運動へ、のめりこんでいったのだ。私もその一人であった。

それ故に壮大なマルクス理論は勿論大事ではあるが、私のような凡俗の考えるTMK帝国主義でも、概略を把握し現状を分析、理解するのに多少なりとも貢献できればと考えています。

勿論、このTMK帝国主義にも例外ありで、TMK側にいても、立派に社会貢献型の企業を起こしている起業家、それを支援している政治家の存在は貴重です。また、生協・NPO・NGO的傾向の団体が多数派を占める社会の構築も十分考えられる。

最近、新進気鋭の学者・斎藤幸平さんの「人新世の「資本論」が話題になっている。これまでの、「資本論」になかった新しい資料が発見されて、従来の資本論にプラスされた。やはり、真本主義社会は限界にきている事を痛感します。

数年前に、このような理論を、宇沢弘文先生も主張していた。先生はノーベル賞の候補にもあがった人です。先生の著書「社会的共通資本」をご参照ください。

斎藤幸平さんはまだ30代半ばの東大の准教授です。

同氏は本著作の冒頭に「150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を発掘し、展開するつもりだ。」と述べています。また、「気候危機の時代に、よりよい社会を作り出すための想像力を解放してくれるだろう」とも。詳細は前述の書籍をご参照ください。

第4章 人類共通の最大の悩み

        「後生の一大事」


私は8歳の頃から「死」を意識する子供でした。早熟といえばそうかもしれません。私はこの頃、南国の島、屋久島の密林に住んでいました。周囲には家はありません。ただ部落の墓が一キロ離れたところにあり、葬式のある時などは葬列の「ちりん、ちりん」という音が聞こえてきます。そうすると私の心は、暗い絶望感に陥るのです。私も死ぬ。両親、兄弟姉妹も死ぬ。そして、暗い井戸に、永遠に突き落とされて行く。永遠に!永遠に!8歳で「永遠」という言葉は知らなかったけれど、永遠の意味を理解していた。

この永遠なる化け物を意識しはじめると、顔が紅潮してくるのだった。

「後生の一大事」が深く関係していたのである。人は死後どうなるのか、人類が発祥して以来、遠い遠い昔からの大テーマで、どの宗教・哲学・文学もこれを、意識するところから始まったといっても過言ではない。

最近になって、「歎異抄」を読む機会に接し、正にこれだと合点が行きました。

歎異抄は750年前、鎌倉時代に親鸞聖人の弟子・唯円の著と言われています。

80歳過ぎてようやく、納得のいく知識に会うことが出来ました。

生前に一念発起して、絶対の幸せを獲得することにより、来世での極楽浄土への道筋が確実になると説かれる。彌陀の懐に己を委ねる。彌陀の本願「他力」によって、救われるのである。この思想は、お釈迦さまにまで遡る。そして、日本では法然、親鸞と経て、確立する。

歎異抄は、親鸞聖人歿後、親鸞聖人の教えと異なる説を唱える人びとが現れ、それを嘆いて、書かれたものである。

因みに、仏教は他宗教のように、争いに介入したり、戦争を引き起こす歴史がなかった。

また、お釈迦様は格差社会・男女の平等についても、既に、2600年前に主張していた。ヨーロッパ諸国では、17世紀、18世紀に主張されたのだが。これは、お釈迦様の寛容な性格によるものなのか。またその後の、継承者たちの功績も大きい。詳細は高森顕徹著「歎異抄をひらく」をご参照ください。同著はロングセーラー本として多くの方に読まれています。


第5章 結び

 私は、第1章に述べたように、大病を患い、視線をさ迷う経験をしました。闘病生活をさささえてくださいましたドクター・看護士さんその他のスタッフに感謝いたします。特に外科医のドクターの献身的な医療行為なくして、回復はありえません。私みたいな凡俗にとっては、ドクターの外科手術は、日常の我々の生活と比べ、過酷で厳しいものに感じました。またそれを補助せられている看護士さんも同様です。それを毎日の業務にしておられる。

頭が下がる思いです。あらためて感謝しています。

まだまだ、十分に回復したとは言えませんが、これを機に、現在心に深く刻まれたものを、素直に表現したい思いで第1章から第4章まで、この短い感想文を表しました。

全人類が「後生の一大事」を克服し、戦争のない社会を完全に構築し、平和裏に生きることにより、現世を楽しく過ごし、来世まで穏やかに暮らせることを願って、駄文ではありますが、体力の限界を感じながら、書き上げました。

2023・5・3

             鹿児島市今給黎総合病院にて

             著者:齊藤正隆(81歳)

           (ハンドルネーム:ハルヤマ春彦)

 



r老人

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