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「疲れたようだね」


 公爵家で伯爵家に当てられた居室で、横になった父親の隣に椅子を引いて、頭をもたせかけた下の娘に、伯爵は優しく声をかけた。手は自然と娘の頭を撫でる。病に倒れてから何日もこうしてきたように。


「お前は辛抱強い子どもだった。いつも人のうしろで静かに待っている。人の気持ちや動きに応えようとする。誰かが困ったら、その場にお前がいて、そっと手を貸さないことがあったかね。そんなお前を、私も母も、姉、弟もみなよく知っている。家の者たち、領民たちもそうだよ。人を立て、うしろに控えがちなお前を、よく知りよく護ってくれる伴侶が必要なのだ」


 カサンドラは子どもっぽく父の手に頭をすりつけた。


「五人の候補の若者はみな遜色なく、さすがに王家と宰相府の選定を通っただけの方々だった。私の目にはみな謙譲で思い遣り深く礼儀正しい方に見えたが、結婚するのはカサンドラ、お前自身なのだ。お前がいっしょにいて気持ちのよい方でなくてはならないよ。人の相性とか信愛感とか、肌合いとでもいうかな。長い時間をともにする相手なのだから、そこは軽く見てはいけない。人の気持ちは理屈ではないのだよ。我が家により有利な方を、と、お前は考えてしまいそうで、私も母もとても案じている。お前の幸せをこそ願っている。それを忘れないでおくれ」

「私、ほんとうに、わからないんです。お父様のおっしゃる通り、これまでは、お父様お母様のうしろについて、お姉様のあとにくっついて、コリンの後ろで、あまりお話しする必要もなく、ただ愛想よく笑っていればよかっただけですもの。若い男の方と話す態度も話題もぜんぜん身についてないんです。そのことが今回身に染みてわかりました」

「そうだねえ、それは私と母の落ち度でもあるね。ミレディアが嫁いでから、もっとお前に社交慣れさせておかなくてはならなかったんだ」


 カサンドラははっと顔をあげた。


「いえいえ。そんな決して。落ち度なんて」

「お前が『もうお一人のお嬢様』とか『下のお方』とか『コリンの姉』と言われているのを、私も母もよくは思っていなかったのに、手をつかねていたのだからね。お前は確かに当家の次女だけれど、名も覚えず無礼な『もう一人』などと呼ぶ者たちを見逃してはいけなかったのだ」


 やや興奮ぎみの父親をすかさずなだめながら、カサンドラは両親の愛を感じて満面の笑みをうかべた。


「例えば、キャンベル様とクローリスの従兄弟様は王室の文官ですので、このままお勤めを続けて頂けますね。マクドネル様は現に近衛にお勤めですので、そちらも同様でしょう。でもベケット様にはお仕事を辞めて頂くことになります。フィッツジェラルド様は、今は侯爵様の補佐でしょうか」

「お前が気にいったのであれば、フィッツジェラルド殿でもよいが」


伯爵は少し眉をひそめた。


「そうでなければ、侯爵家には辞退申し上げようと思う。コリンの事故のことで責任を感じておいでのお申し出だと思うが、人によっては、後継ぎの事故に付け入って子息に爵位をあてがう、と謗る者も出かねない」

「まさか、そんな」

「いや、人の悪意というものは、思わぬ方向に広がることがあるものだ。侯爵家が伯爵後嗣の排除のため故意に奇禍を膳立てした、と陰でささやく者さえ出る可能性がある」

「まあ、なんということを。かしこまりました。フィッツジェラルド様以外の方を考えるよういたします」


 その後カサンドラは苦手な社交界に、両親の名代という名目で頻繁に顔を出すようにし、それとなく候補者の様子、その交流、それぞれの家族の様子を見るようにした。母の妹にあたる叔母や、父の従姉妹になる伯母たちにお願いして、つきそいとして候補者の実家を訪問したりした。家族仲、家風、仕える者たちの様子をよそながら見るためだ。若い男性に慣れないカサンドラにとって、これが一番馴染んだ、ひととなりを量る方法だったからだ。


「どうなの、その後。少しはあなたの気持ちが動く方が見つかって?」


 姉のミレディアから招待されて、かわいい甥のローレンスに会いに公爵家に出向いたカサンドラは、ひとしきりローリーと遊ぶと、姉に茶事に誘われた。


「武官のお家柄はやはりうちとは違いますね。よい方々とは思いますが、マクドネル様もベケット様もご自分の職務に誇りと責任をもっておいでです。当家に婿入りして、これまでのご精進を無にしていただくのはしのびなく。現にお仕事についておいでなので、婿入りの必然性もなかろうと存じます」

「ああ、あなたって、そういう人よね。ふたりとも背は高いし頑健そうだし、顔立ちも男らしくて素敵だと思うんだけど。そういうことは考慮にならないの?」

「端正で、動作もきびきびしておいでですね。たしかにごりっぱな体格で」

「ねえカシー、こう、どきどきっとかしないの?」

「うーん……」


 ミレディアはややあきれ顔だ。


「じゃあ、ほかの、文官の方はどう?キャンベル様とか、セントクレア君とか」

「あの、キャンベル様ご自身はとても感じのよい方なのですが、ご長男ご夫妻が私の容貌にご不満な様子でしたので」

「なんですって!そんな家ダメよ!カシーは私の大事な自慢の妹なのよ。こんなにかわいいしきれいで、その上賢いのに。その人たち目が腐ってるにちがいないわ!」


 興奮ぎみにこぶしを握る姉に、カサンドラははらはらした。声を聞きつけた侍女がそっと様子をうかがうのも、申し訳ない気持ちだ。


「ふん、ヘイスティングス伯爵家の次代は要注意ね。覚えておくわ。あそこの長男の夫人ってば、ウェズリー男爵家の長女ね。鼻のとんがったキツネみたいな人だわ。隣国に嫁がれた第二王女殿下の侍女だったのよ。特に優秀でもなかったから、王女様のお輿入れに着いていかずに結婚したのよ。ご自身べつに美女でもないのに、私のカシーに文句つけるなんて!」


 ああ、その夫人は社交界での生命が風前の灯となったようだ。


「フィッツジェラルド様は、お父様がご辞退するそうです。コリンのことでグレンフィールド侯爵様が重く責任を感じてお申し出頂いたようですので。お心遣いは大変ありがたいのですが、と」


 ミレディアはカサンドラが口に出さなかったことも察したようで、考え込むと静かにうなずいた。


「では、セントクレア君しかないのね。五人も王家お墨付きの候補がいたのに」

「セントクレア様とお姉さまはお年頃が近いのですね。よくご存じなのですか。実は私はあまり親しくなくて」

「ちょっと引っ込み思案、で、ちょっと自信がない人。カシーには、もっと前に出てあなたの楯になって守ってくれる人の方がいいんじゃないかと思うけど」

「でも、あまり自信家で強引な方では、カーレオン伯爵領やコリンを尊重してくれるでしょうか。私にはそんな方を惹きつける自信もないし」

「あのね、カシー。あなたは貴族令嬢として極上なのよ。お母様から『どこのお家にお嫁に出しても大丈夫』と言われたでしょう。たしかに社交は苦手かもしれないけど、あなたはご年配の難しいご婦人にも、偏屈なご老人にも、ちいさいお子さんがたにも、絶大な信用があるの。それに、どこのお家に行ってもそこの使用人に聞いてごらんなさい。あなたが出席している会だと、使用人がほっとするそうよ。政治の話もできる、農業や領地経営の話もできる。外国語や外国の習慣にもくわしい。学者とも芸術家とも対等に話ができる。動物にも好かれる。植物やお料理にもくわしい。声もやさしくておだやかで、思い込みで上から人を叱りつけたりしない。そういう貴族令嬢がほかにいる?」

「お、お姉様、私そんな人じゃありません」

「いいえ!あなたはそんな人よ。たしかに前に出て人をひっぱっていくタイプじゃないし、流行にも興味が少ないし、ダンスはいまいちだわ。でも、あなたはいつも困っている人、弱い人を救い上げる。ねえ、考えてもみて。どんな強い人間でも弱る時はあるの。私がそうだったわよ。コリンもそう、お父様もそう。お母様だって、あなたがおうちに残ってくれていたから、なんとか持ちこたえられたの。カシーはね、私たちの自慢の、頼りになる、やさしくて強い令嬢なのよ」


 ミレディアは妹を抱きしめた。


「極上のあなたをお嫁にできる人は、すごく幸運だと思わなくちゃいけないわ。カーレオンなんておまけよ。伯爵位が着いてなくたって、カシーはすばらしい女性なんですもの」



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