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 いよいよ侍医団から「コリンは一生歩けないだろう」と診断が下ると、父伯爵はコリンのため、信託資産を準備し、療養のための家と専任の侍医と侍従の費用が賄え、生活に支障がないよう手配した。コリンが成人の二十一歳になれば、自動的に開始されるように。それまでは両親がコリンといっしょに生活する予定だった。


「だから、あなたは心配しないで結婚してほしいのよ」


と、母親はカサンドラに言った。姉のミレディアも心配してはいても、流産のあと授かった次子のため大事をとって公爵領より出て来られない。手紙は、両親あて、妹あて、弟あてに頻繁に届き、弟の興味を引きそうな贈り物も公爵家から届く。暗い顔をそむけ、頬のこけた、無表情の弟の枕辺で何時間も話をかわし本を読みあげるのが、カサンドラの役目だった。

 コリンがこのまま歩けない状態であれば、爵位を継ぐことは難しい。伯爵家はカサンドラが婿を取って継ぐしかない。だが、その決定までにはまだ時間がある、と、伯爵夫妻もカサンドラも考えていた。コリンの看護が最優先事項だったのだ。このころから、カサンドラへの縁談は性質を変え、貴族籍の次、三男を持つ家から入り婿の打診が増えていた。かなり高位の家からのものもあったようだが、伯爵は縁談をすべて保留としていた。嗣子の状態が好転し、右足が不自由でも自力で歩行し、結婚が可能であれば、伯爵位を継がせたいと考えていたからだ。


「お前にはすまないと思っている、カサンドラ。母上を助けてコリンの看護をしてくれて、その上領地経営の書類も手伝ってもらっているのを、私も母上もとても感謝している。コリンの奇禍からこの一年、お前がこの家にいてくれたからこそ、何とかやっていけたと思っているよ。その上、伯爵家を継ぐ婿を決めるのを留保していることも、お前が待ってくれているからできることだ」


 伯爵は下の娘の生真面目にかぶりを振る手を握って目を上げた。


「お前にも、ふさわしい、心にかなった相手を探してやりたかったのだが」


 カサンドラは父親の顔色がかなり暗く、細かいしわも増え、やつれが見えることが心配だった。母親の、ひとり息子のいらだちやかんしゃくを哀しくうけとめ、無理に微笑む目元に疲労の影が色濃くさしているのも気になっていた。両親と弟の力になれるなら、結婚はしなくてもいいと、ひそかに思っていた。口に出すと両親が悲しむので黙っていたが。

 姉のミレディアが無事男の子を出産したという知らせが届いたのは、伯爵家にとって久しぶりの明るい話題だった。男の子はライモンド公爵家の嗣子となる。義兄の公爵も大変喜んでおいでとのこと。母子ともにつつがなく、公爵夫人の産後の肥立ちも順調とのこと。王室からも国王の甥の誕生に盛大なお祝いを賜ったそうだ。


「父上母上にも最初の孫なので、落ち着いたら一度顔を見てやってくださいませ」


と、ミレディアの手紙に書かれていたのを、夫妻をはじめ使用人の端まで喜びあった。


 ところが、やっと日が差してきたと思われたのに、王都に出向いていた伯爵が突然倒れた。伯爵夫人はコリンのそばを離れることができないためカーレオン伯爵領に止まり、カサンドラひとり王都のカーレオン邸に向かった。屋敷を預かる家令と家政婦、伯爵についている侍従、秘書がそろって、伯爵家の次女を迎えた。


「父上のご様子は?状況を手短かに」

「参内中に、御前会議の直後にお倒れになり、王室の侍医殿の診察を頂きました。翌日にこちらにお移しして、侍医をお付けしております」

「お見立ては」

「心の臓の発作と伺っております」


 カサンドラは旅装を解くのももどかしく、清潔な衣服に白のエプロンをかけて手を清め、父親の寝室に直行した。薄いカーテンに直射日光が遮られた部屋に父親は横たわり、そばには侍医と看護人が付き添って、入口には侍従が立ち、廊下には侍女が待機していて、皆白衣や白いエプロンを身に着けている。煎じ薬の匂いがただよい、静謐の中に潜むものものしさを感じさせた。カサンドラは寝台の父に近づいてそっと声をかけた。


「お父様、カサンドラが参りました。おかげんはいかがですか」


 伯爵は横になって目をつむったまま、かすかにうなずき、目をあけて娘の声の方を向こうと身じろぎした。枕元についた伯爵家の侍医が静かに制止した。


「どうかご安静に」


 カサンドラはそっと父親の手をとって握った。


「私が参りましたからには、どうかお心やすくなさってください。お母様もコリンも安心頂けるよう、私からお知らせしますから」


 伯爵は小さな動きでうなずいた。苦悩の表情が安堵にゆるみ、ほっとした様子が見て取れた。

 しばらくそばについて伯爵が眠ったのを見計らい、枕辺に看護人を付き添わせ、侍医に合図してカサンドラは部屋を出た。


「ご病状について説明させていただきます」


 長い付き合いで家族も使用人たちも診てもらっている侍医が声を落として説明を始めた。王室の侍医の診断も食い違いはないとのこと。今回の発作の原因は、第一に伯爵の身体に疲労がたまっていたこと。領地から王都への移動、それに続く御前会議のための準備やら他の貴族との会談やらが重なっていた。加えて、コリンの体への心配、姉娘の出産、妹娘の縁談と、領地の将来などが積もり積もって、伯爵の心労は限界を超え、心臓への負担となっていた。そこに体の疲労が追い打ちをかけた、とのこと。


「まだご壮年にもかかわらず、ご臓腑への負担が思いのほか大きく、御前のお体はご無理のならぬ所まで至ってしまわれたと拝察されます。これまでのようなご生活は、おそれながら、お命を縮めると申し上げるほかなく。ご領地でご静養なさることが一番かと存じます」


 気の毒そうに話す侍医の前で、カサンドラは頭を抱えたくなった。


「先生は、父がこのまま爵位を保つことが可能とお考えでしょうか」

「僭越ながら、御前の御身のためには爵位をお譲りになるほかございますまいと存じます。このままではお命にかかわる発作が、遠くない将来起こることをお覚悟頂くことになりましょう」

「先生のお話はよくわかりました。私の一存では、このような大事は即断できません。家族や縁者に相談の上決めることといたしますが、父に申し上げる折には、先生からのお口添えをお願いいたします」


 侍医はもちろん、と強くうなずいた。


 カサンドラはまず領地にいる母親とコリンにあて、父親の現状を知らせる手紙を出した。次に、姉と姉の夫である公爵に報告。その知らせの中に、カーレオン伯爵位について相談したいため、公爵には王都までご足労いただけないか。あるいは、王都で相談できる方を紹介していただけないかとお願いした。母親からは折り返し返書があり、カサンドラには王都の屋敷で父親の看護付き添いをしてほしい。コリンと領民のことは母が責任をもって預かるから、心配しないでほしい。アドナル一族の中で相談すべき、あるいは筋を通すべき人々の名を挙げてきた。それを踏まえた上でのカサンドラの判断を信頼している、と結んであった。


「あなたは考え深く、人の気持ちにもさとい。貴族の未婚の女性には珍しいほどの判断力の持ち主と思いますよ。父上にご負担のない範囲で、ご相談くださいね。ミレディアのご夫君の公爵様にもご相談できると思います。私とコリンは王都に行けませんが、どうか父上のことはよろしくお願いいたします。あなたにばかりお頼りしてしまって、ごめんなさい」


 いっときの肩代わりとはいえ、年若い経験のない未婚の女性には重すぎる責任だった。伯爵に負担をかけると次の発作の引き金になるかもしれず。相談なしに伯爵位の交代を決めることも、後継者を選定することも、カサンドラにはその権限もなければ方策もない。そのことは誰の目にも明らかだった。母親からの手紙の次にきたのは、驚いたことに王室からの使者だった。家令から、宮中で倒れたので、報告は無用と伝言があったと伝えられていたのだが。宰相の代理で派遣された政務官と、内務卿ご本人が伯爵家に来訪するとは、異例中の異例といえた。

 内務卿クラレンドン伯爵はカーレオン伯爵と年ごろも近く、政見も似ていたので、会議でも同じ側に立つこが多く親しくしていたようだ。横たわる伯爵の枕辺に座って、国王の伝言を手短かに伯爵に告げると、その手を強く握って部屋を辞した。カサンドラは当主代理として、客間に貴賓二人を招いて茶菓を供した。


「このたびは急なご不例でさぞや驚きなされたことでしょう。今カーレオン伯のお顔を拝見したが、倒れられた時よりずっとご容態がよいので安堵しました。ご愛嬢の看護の手が、よほど心丈夫に思われたのですな。陛下にもそのように言上いたしましょう」


 おだやかに話す内務卿のことばに、カサンドラは何度も感謝を繰り返すばかりだった。代理政務官は内務卿より一世代若い方のようで、宰相からの見舞いの言葉を伝えた。


「先年のご令息の奇禍に重ねて今回の伯爵ご自身のご不例で、年若いご令嬢に伯爵家の今後をご心配いただかねばならぬ仕儀となりましたことは、宰相閣下におかれても、大変ご心痛でおいでになります。もちろん、伯爵様のご容態がもっと落ち着いてから、となりますが。コリン殿のご様子はいかがでしょうか」


 カサンドラは来るものが来たのだと感じた。まだまだ時間はある、と考えていた自分たちが楽観しすぎていたのだと思った。父も母も、まだまだずっと今のまま元気だと思い込んでいたのだから。全身から血の気が引き、指の先まで冷たくなった。うつむいたカサンドラに、内務卿がなだめるように声をかけた。


「ウェイランドの申すように、今すぐにどうこう決めようということではないので、そのように暗いお顔をなさるな。伯爵ご自身とも母君ともよくご相談して頂き、コリン殿の回復の度合いも考慮して、時間をかけて考えていただきたい、と思っておりますからな。私やこのウェイランドはその顔つなぎに参りましたので、いつでも気軽にご相談ください。陛下も王妃様も伯爵家のことはお心に掛けておいでです。また、こちらの姉君は王妃様ご実家であられるライモンド公爵家の夫人でいらっしゃる。そのご縁もございます。ご相談は多方面になさるのがよろしいでしょう」

「過分のご配慮かたじけのうございます。両陛下にもお心をかけていただき、もったいないことでございます。おおせ頂いたように、すでに公爵家にはご相談の書状を差し上げてございます」


 二人はうなずき、くれぐれも伯爵には無理せず養生につとめてほしいと繰り返した。玄関外まで見送ると、王家の使者は馬車を連ねて帰っていった。カサンドラはその場に座り込みそうになるほど緊張していた。



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