2
カサンドラ・アドナル、カーレオン次期伯爵夫人。現伯爵の実子は三人。白百合姫と呼ばれ、今はライモンド公爵夫人となっている姉ミレディア。金髪の天使と呼ばれた伯爵後嗣の弟コリン。その間に生まれ、ただの令嬢とか、もうお一方と、名前も憶えてもらえないことが多かったカサンドラ。
皮肉なものだ。美貌も才知もなにもない自分がカーレオンの相続人になってしまうなんて。
国王の覚えもめでたいカーレオン伯爵夫妻。社交界に出るやいなや、その美貌と機知であたりを魅了した長女。天使とも神童とも言われた長男。そしてもうひとりの娘。三年前までは絵に描いたように幸せで満ち足りていたのだ。
姉は多くの求婚者を振り切ってライモンド公爵を選んだ。王妃様の実弟、ライモンド公爵はミレディアよりかなり年上でやもめだったが、ミレディアはどうしても公爵でなければ嫁がないと断言し、父伯爵から王妃様を通じて公爵家に内々にお願いしてこの婚姻は成立した。こじれてもめた縁談ではあったが、ふたをあけてみれば、二人は睦まじい夫婦となった。ミレディアのねばり勝ちだった。それが三年前。
コリンは姉の婚礼を見届けてから、念願の王立寄宿学校に入学して、カーレオンの屋敷を出て行った。伯爵夫妻は手元に残った二番目の娘と三人の生活をはじめた。とりたてて秀でたところのないカサンドラは、父親のために領地経営の書類を整理し、母親を補佐して伯爵家の家政を切り回した。両親にしてはほんの思い付きだったが、地味で人の後ろに隠れがちな次女にとっては、思いがけずやりがいのある体験だった。
「まあ、カサンドラ。これでどこのおうちに嫁いでもりっぱに勤められますよ」
やさしい母親の笑顔。満足げな父親のうなずき。そのうち父の眼鏡にかなった、それなりの貴族の家に嫁ぎ、弟が卒業後、伯爵家の後継ぎとして父について勉強するのを、姉とふたり見守っていくのだ、と思っていた。
次の春にミレディアが流産した。身ごもっているのに気付かず、公爵家主催の舞踏会で、お招きした外国の大使の方々と踊り続けた。その直後のことだった。あまりにも初期で、月のものが遅れているのも、初めての舞踏会の采配に追われて、疲れているせいだとみすごした。
姉が自分を責めて半狂乱になるのを、妹は何日も公爵家に滞在して宥め、なぐさめた。辛抱強い妹の看護の手は、ミレディアの絶望を少しずつほぐしていった。
「あなたがいてくれなかったら、きっと私、立ち直れなかった」
いつも強く美しかった姉の気弱な言葉に、静かに微笑みを返して
「私より、公爵様がお姉様を助けてくださったのですよ」
「そうね。私、旦那様にも申し訳なくて、面目なくて、お目にかかることもこわかったのね」
「ええ、公爵様はちょっと強引でしたけど」
会わない、会わせる顔がない、と頑なに拒む姉の寝室に、強引に入って来て、無言で姉を抱きしめた義兄は、ほんとうにすてきだった。泣きじゃくる姉を胸深くに抱えて、何度も何度も髪や背を撫でていた。カサンドラはそんな二人をあとに、そっと扉をしめ、家にもどった。
姉がしばらく公爵領で静養すると知らせが来て、義兄もそれに付き添って行ったと聞いた伯爵家の一同は、やっと安堵の息をついた。
父から、そろそろいくつか来ている縁談を考えてみないかと言われたのが夏。カサンドラの価値は、カーレオン伯爵令嬢であると同時に、ライモンド公爵夫人の妹という意味で上昇していたのだった。もったいなくも姉は王妃様の義妹にあたる。今回のことで、王妃様からお見舞いをいただき、ミレディアは妹のかいがいしさを大いに宣伝したらしい。
貴族の娘に生れたからには、いつかはしかるべき相手と結婚することは当然の人生だ。できれば穏やかな信頼関係を築ける相手であってほしい。なにしろ、と、カサンドラは思う。とりたててすぐれた所のない平凡な娘だ。相手にもそういう意味で普通の人を望みたい。高望みはむしろ苦労の種でしかあるまい。
貴族の娘として社交界には出てみたが、カサンドラには馴染める世界ではなかった。姉のように人あしらいがうまくないのだ。白百合姫と呼ばれたミレディアの美貌もない。家同士親しくしている人々は、子どものころからこの姉妹を見慣れているので、そういうものだと認識してくれているが、初対面の相手はほぼ例外なく、カサンドラの家名を聞くと内心「え?これがあの白百合姫の妹だって?ウソだろう」と思うようだ。顔色に出さないのが貴族のたしなみとはいえ、その目の表情まではなかなか隠しおおせないものだ。そんな場面にそれこそイヤというほどであってみれば、カサンドラが社交界を苦手に思うようになるのも当然といえる。
カサンドラ自身はきちんと注意深く、人の心の動きもよく見て取れる娘なのだが、彼女自身の顔立ちがいささかぼんやりと鈍く見えるため、あまり賢くないと思われがちだ。姉妹なので目鼻だちは似ているところもあるのだが、姉に見られる造形の微妙なバランスの良さが、妹には残念な組み合わせとなってしまっている。当意即妙の頭の回転の速さはないものの、本来は思慮深く、読書好きもあって知識の幅も深さも男性並みであるというのに。
「ミレディアは早くに花開いたが、お前はまだつぼみのままだ。どんな花になるのか。賢明な男だけがお前という宝を手にするだろう」
父はそう言って、器量の劣る妹娘をいつくしんだ。弟も、上の姉にあこがれ下の姉を尊敬して、「ミリー姉さんにはダンスと社交術を習い、カシー姉さんには計算とラテン語を習った」と口癖のように言った。