(六)三宝寺邸
(六)三宝寺邸
竜次たち四人は、蛇の体になった。心は人だが体は蛇だ。
「手足が無くても、何とかなるもんじゃな」
「そりゃそうさ。蛇は昔から、みんなこうやって生きているんだもの」
復讐を誓った四人の、いや四匹の毒蛇は、三宝寺勝蔵の屋敷前の竹藪で隙をうかがっていた。
十日ほど機会を待ったが、なかなか門の中に入ることができない。
なにしろ門が開くのは昼間か、夜間でも人の出入りのある時に限られている。そのうえ常に門番が見張っていて隙がない。蛇が中に入ろうとすれば槍の柄で叩き出されるだろう。下手をすれば叩き殺されるかもしれない。
かといって塀を登って中に入ることもできない。凹凸がほどんどない垂直の土塀を蛇が這い上るのは不可能だ。
「やはり虎のほうが良かったかもしれん」
「今さら何を。だいたい、虎が屋敷に入れるはずもない」
五助が愚痴を言い、息子が冷静になだめる。親子逆である。
「山道とか林とか、外で襲うのはどうか」
「やつが必ず行く場所が分かっていれば、待ち伏せも出来るけどな」
「屋敷に運び込まれる荷の中に隠れるのはどうか」
「確かに妙案だ。でも、どの荷が三宝寺の荷か、どうやって知る」
「とにかく気長に待ちましょう」
こういう場をおさめるのは梅である。とぼけているように見えて一番しっかりしているのかもしれない。
「そうだ。待っていれば千載一遇の好機が必ず来る。その時は決死の覚悟で一気呵成に突入する。それしかない」
ご隠居のきまぐれを抑えて、家長の竜次が締める。四匹は気を引き締めてとぐろを巻いた。
※
栗毛の愛馬に騎乗した三宝寺は、思考を巡らせている。御屋形様が関白秀吉に臣従してから四年が過ぎていた。御屋形様とは上杉景勝である。あの謙信公の跡継ぎともあろうお方が、出自の卑しい成り上がりに膝を屈したのである。しかも噂によると、関白は猿に似ているという。乱世のならいとはいえ、やりきれない思いが、その時の三宝寺の胸には去来した。
が、同時に宿敵北条を討伐する好機が到来した、とも思った。秀吉は天下統一の総仕上げとして関東の北条を討伐するはずだ。
(その時は是非とも先鋒を願い出たい)
三宝寺は、北条との戦さの事を考えることで、猿関白に屈した屈辱を忘れたかった。その思いは今も変わらない。
屋敷が見えてきた。門番がこちらを見ている。多くの家来たちが仕事の手を止めて出迎えに整列し始めた。
門が開いた。
三宝寺は目だけで家来たちに返礼をし、慣れた手つきで手綱を操り、門の中へと駒を進めた。
その時、竹藪から四匹の蛇が這い出て来て、門へと向かった。
「蛇が、蛇がっ」
あちらこちらで悲鳴があがった。人間は蛇が怖い。四匹もの蛇が一斉に屋敷内へ向かうのを見て、恐怖にかられた人間どもは棒を持って竜次たちの前に立ち塞がった。
「蛇だ、蛇だっ」
男も女も絶叫する。その間に三宝寺を乗せた馬は、屋敷内へと消えていった。
竜次たちは、門内にさえ入れれば、物陰に身を隠して夜を待ち、三宝寺の命を狙うことができる。
だが人間たちはそれを許さなかった。
最初に狙われたのは梅である。真上から槍の柄が落ちてきた。言いようのない激痛が梅を襲う。一撃で内臓が破裂していた。
「うぅ、ぐぐっ」
苦しみもがいているところに、さらに首筋に強烈な一撃をくらった。梅は口から血を吐いて痙攣し、やがて絶命した。
無念としか言いようがない。
一度目は、川で洗濯をしているところを突然斬殺された。理不尽としか言いようのない死だった。それからひと月もたたずして、三宝寺の家来の槍先で二度目の命を絶たれた。
動きの遅い年寄りを、人間は情け容赦なく攻撃した。五助の尻尾に竹竿が絡みつく。動きを封じられた五助に槍の穂先が殺到する。五助の頭蓋骨に強烈な衝撃が襲った。骨が砕け、脳がえぐられた。
頭を割られた五助は、二度目の無残な最期を遂げた。
惨としか言いようがない。
一度目は、梅の仇を討つべく待ち伏せをしたが返り討ちにされ、今度は袋叩きにされて命を絶たれた。
「網持って来い。網だ」
竜次たちを取り囲む人間どもは十人を超えた。
真上から網が落ちてきた。自由を奪われた里の背中に青竹が叩きつけらえた。妻の苦しみもがく声は、竜次には耐え難かった。自分が打たれるよりもはるかに辛かった。だが、その苦しみの声は人間の耳には聞こえない。
「止めんかぁ」
突然大喝されて、足軽どもの手が止まった。
「この蛇は神仏の化身ぞ。殺すと祟りがある」
祟り、と聞いて思わず立ちすくんだ足軽たちは、大声の主に目を向けた。そこには筋骨隆々とした大柄な山伏が立っていた。了雲であった。
了雲は網を払いのけると息も絶え絶えの里を掌に乗せた。
「そなたも来るがよい」
了雲は竜次にも手を差し伸べた。竜次は素直に従った。
「それはマムシぞ」
毒蛇を首に巻き付けた山伏の放胆さに、三宝寺の家来たちは肝を奪われた。
了雲は、五助と梅の亡骸を懐に入れると、合掌して念仏を唱え、くるりと後ろを向くと、そのまま去っていった。錫杖が地を着く金属音が、かしゃり、かしゃり、と響いていたが、やがて次第に遠ざかっていった。