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(十五)再生

(十五)再生

 草薙の剣に付着している黒い染みをヤスリで削り取ると、粉になって下に敷いた紙に落ちた。それを陶器の皿に入れて水を満たす。水には少量の塩を溶かした。なぜ塩かというと、生き物の体には水分があり、その成分には塩分が含まれているからだという。体液に近い塩分濃度の水に浸すことによって、生きている時に近い状態を作り上げるのが陰陽師の秘伝であるらしい。

 全ての生き物の体は、小さな粒によって成り立っている。後の世では細胞と呼ばれる粒には、さらに小さな、らせん状の帯がある。これは骨格や内臓や手足など、体を作り上げる設計図である。後世の人々はこれを遺伝子、DNAと呼ぶようになるが、まだこの時代の言葉にはない。

 たとえ数千年前に死んだ動物の痕跡でも、細胞に含まれる生命の設計図を手に入れることが出来れば、生きていた時の姿を再生出来るはずである。

その難しい行に、陰陽師は挑んでいる。斎戒沐浴して、食を絶ち、水を絶ち、祭壇の前で不眠不休で三日間祈り続ける。

よほどの高位で徳の高い陰陽師でなければ出来ないうえに、失敗すれば命を落とす危険さえある。

灯明が揺れている。祭壇の前では烏帽子に鉢巻の陰陽師が呪文を唱えている。全身全霊を込めて、強烈な霊力を、らせん状のDNAに注ぎ込んでいく。陰陽師の装束には汗が滴り落ちている。

こうして命懸けの行に挑むのは、天下人に命じられたからというより、陰陽師自身の誇りなのであろう。自らの限界に挑戦することに無上の喜びと生甲斐を感じるのは当然のことといえる。

人心掌握術に長けた秀吉は、そういう陰陽師の自尊心を上手にくすぐっていた。むろん大金も積んでいる。

 三日目を過ぎると皿の水はやや濁ってきた。陰陽師の霊力が、遺伝子細胞に作用し始めたのだ。十日が過ぎるころ、黒い粉は固まってミミズのような形になった。

 さらに四日たつと、はっきり蛇と分かる形になって鎌首をもたげて水の中を泳ぎ回るようになった。

(そろそろ川に放って餌を食べさせねばならない)

 陰陽師はそうつぶやくと小さな蛇を手桶に移した。

 小田原城を包囲する軍勢は、陸だけではない。水軍もまた、小田原の封鎖に大きな働きをしている。陰陽師は九鬼(くき)家の水軍の船で、東国へと向かった。海は凪いでおり、順調な航海で相模湾に着いた。

 相州茅ヶ崎に上陸するや、陰陽師は手桶を傾けてヤマタノオロチを相模川に放流した。この時すでに体長は一尺を超えていた。放流されて上流に向かって力強く泳いでいく。川を遡りながら小魚を次々に食して体を大きく成長させていく。

 ヤマタノオロチには意思があった。それは陰陽師を通じて伝えらえた秀吉の意思であった。

  ※

八王子城から三里ほどの南にある相模湖(さがみこ)津久井(つくい)()は、相模川の上流にある。関白方の水軍が相模川から来るという情報はないものの、少数の兵は置かれていた。

「あれ。何んか聞こえるべなぁ。何だぃなぁ」

 津久井湖を警備する北条兵の耳に不気味な水音が聞こえてきた。地鳴りのような、それでいて妙に甲高い。同時に泥水のような悪臭が鼻をついた。

 と、その時であった。湖面に巨大な水柱が立ち上ったかと思うと、大蛇の頭が浮き上がった。頭は八頭もある。目を見開いて岸に向かって突進して来た。

 北条兵は逃げない。大蛇は我らの味方であり、上杉兵しか襲わないことを知っているからだ。

 が、兵たちの思い込みは、見事に裏切られた。八つの大蛇の頭は、足軽たちに噛みつき、尻尾を振り回してなぎ倒し始めた。大きな口で一呑みにされた者もいた。

 とっさの事で鉄砲は準備が間に合わない。弓組が恐怖に顔を引きつらせたまま、あわてて矢を射かける。しかし大蛇の鱗は堅い。矢は突き刺さることなく撥ね返されて、水面には多数の矢がむなしく浮かび漂っているだけだった。

 ヤマタノオロチは岸辺に上がると、鎌首をもたげて周囲を睥睨した。八つの頭から、それぞれ舌を出して震わせ、血に染まった牙を剥き出しにして目を怒らせた。

「退けぇ。退けぇ」

 侍大将が退却の下知を下した時には、すでに足軽たちは逃げ始めていたから、命令というより行動の追認と言ったほうがいいかもしれない。

 槍を置き捨てて逃げる者、自分の大将を押しのけて走る者、荷車は放置され、他人の馬を奪って逃げる者もあり、陣中は混乱を極めた。

 湖岸に男たちの悲鳴が響き渡り、水辺の石は鮮血で赤く染まった。あちらこちらに胴体につながっていない腕や脚が散乱している。さながら地獄絵図となった。

 なんとか離脱した母衣武者が、鬼の形相で馬に飛び乗った。一刻も早くこの阿鼻叫喚を監物に報告しなければならない。使番は、馬の尻に狂ったように鞭を打ち続けた。

  ※

「分かった。さがってよい」

 監物の顔は青ざめている。使番を下がらせた後、ただちに了雲を呼んだ。

「頭が八つで胴が一つなら、それはヤマタノオロチに相違ないでしょう」

「ヤマタノオロチじゃと。いにしえの。真か。信じられぬな」

「おそらく陰陽師を使ったのでありましょう。帝をも動かしたはずです」

「それにしても、卑賤の身から関白にまで成り上がった奴の考えることは恐ろしい。神仏をも畏れぬ所業じゃな」

「仰せの通り」

「どう戦う。当方の大マムシで勝てると思うか」

「頭が八つあります。竜次殿が勝てるかは、何とも言えませぬ。ただ、簡単に負けてしまうこともないと存じます」

「我々が何か出来る事はないか」

「つまるところ大蛇と大蛇が闘い、人と人とが戦う。それだけの事でございます。人と人の戦さは横地様がなさることで、拙僧が口を挟める事ではございません。ただ…」

「ただ、何じゃ」

「竜次殿は上杉に恨みを持っております。椿丸殿の父親です。決して裏切ることはありませぬ。それだけは何があっても相違ありません」

「ならば、大マムシは北条家の味方じゃと、足軽の端々に至るまで触れを出そう。兵たちも安心するであろう」

  ※

 城兵を本丸に集めた監物は、身分にとらわれずに椿丸と了雲を隣に控えさせた。集まった兵たちに、監物は戦場で鍛えた大音声を発した。

「皆に言い聞かせたい事がある」

 城代の異例の言葉に、兵たちはいっせいに顔を向けた。

「大蛇が敵か味方か、戸惑っておる者もいるだろう」

 監物の声はよく通る。

「津久井湖に現れた八頭の頭を持つ大蛇は、敵じゃ。関白が操っておる。じゃが、先に上杉を襲った大きなマムシは我らの味方じゃ」

 と言って、了雲を側に呼んだ。

「あの大マムシは、上杉に殺された人の生まれかわりじゃ」

了雲も、よく通る声で兵たちに語り掛けた。

「大マムシは、上杉に恨みをもっておる。旗印を見分けることも出来る。人の言葉も分かる。マムシは我々の味方じゃ」

 了雲の言葉はなおも続く。

「頭が八つある大蛇は、いにしえのヤマタノオロチの生まれ替わりじゃ。だが、当家には大マムシがいる。大マムシは強い。決して負けることはない」

 了雲の言葉が終わらぬうちに、兵たちから歓喜の声が湧きあがった。

「えいえい、おお。えいえい、おお」

北条兵の鬨の声が、八王子城に響き渡った。


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