(一)惨殺
揺籃社清水工房tel 042-620-2626 より出版されamazon で好評発売中
主な登場人物
竜次……越後の農民
五助……竜次の父
お梅……竜次の母
お里……竜次の妻
椿丸……竜次の息子
了雲……高尾山薬王院の山伏
北条氏照……武州の戦国大名、八王子城主
北条氏政……氏照の兄、小田原城主
比佐の方……氏照の正室
横地監物……氏照の家臣
上杉景勝……越後の戦国大名、上杉謙信の甥
直江兼続……景勝の家臣、家老
三宝寺勝蔵……兼続の家臣
越後の巻
(一)惨殺
むかしむかし、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。という言葉で始まる物語があるが、まさにそれと同じだった。
お婆さんが洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこ、と大きな桃が流れてきた。
一尺はあるだろう。婆は桃を手に取ると、匂いを嗅いでみた。甘い香りがふんわりと鼻をつく。
(まあ、なんと大きな桃。不思議な事もあるものじゃ。毎日真面目に働いてきたから、お大師様がご褒美をくださったのかしれない)
「南無大師遍照金剛。南無大師遍照金剛」
信心深い婆は、弘法大師からの思わぬ贈り物に深く感謝した。
その時、背後で騎馬の蹄が大きな音をたてた。
「そこで何をしておる」
侍の怒声が響く。
「洗濯をしております」
「嘘を申せ」
甲高い声は、苛立ちを隠せない。
「この泥棒めが。ご家老様への献上の桃を、盗もうとしたであろう」
「めっそうもございません。川から流れて来たのです。あまりに大きいので驚いて手に取ってみたのでござります」
「うぬは百姓の分際で、武家に向かって口答えいたすかぁ」
侍は、眉間にしわを寄せて、狂気じみた声を張り上げながら、大刀を抜き放った。
刀身が日を浴びて煌めくや、婆の白髪首は、胴から離れて河原の石を血で染めた。
「捨て置け」
供の者に死体の始末をきかれた侍は、そう言い捨てて騎乗し、その場を立ち去った。
※
柴刈りから戻った五助は、自分の小屋に大勢の村人が集まっているのを遠望した。
(また村の若い衆に黍団子をふるまっておるのか)
老妻お梅の社交的な人柄を、五助は好いている。が、こうも頻繁だと、豊かでもない暮らしにも響いてくる。月に一度にしてくれと、昨日言ったばかりではないか。
五助は編み笠の下の汗を拭った。その時、孫の椿丸が血相を変えて家に駆け込む姿が見えた。
ただならぬ気配に、尋常でない何かが起こっていると、五助はようやく気付いた。
※
「お梅、お梅。どうして」
板敷に載せられた老妻の遺体は、血に汚れ、砂にまみれ、正視できるものではなかった。戦乱続きで無残な死体を見慣れているはずの五助も、長年暮らしを共にした連れあいの変わり果てた姿に、声も出なかった。
嗚咽と鼻をすする音が、静寂の中でかすかに響いている。そこにいる誰もが、かける言葉を見つけることができなかった。
「おらは、見た…」
二軒隣の若者が、意を決したように、ためらいながら、そして絞り出すように切り出した。
「三宝寺様が…」
「何っ。三宝寺が…。そうか、奴か」
村人は驚きはしなかった。三宝寺勝蔵なら、やりかねない。
「めったな事、言うでないぞ。しっぽ掴むまでは下手に動くな」
五助の一本気な気性を、息子の竜次は危惧した。嫁のお里も義父を止めにかかる。
「とと様。三宝寺様は御家老様の御威光で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いです。無茶なことは、なされないでください」
「馬鹿言え。五十年連れ添った女房が、訳も分からず殺されて、黙っていられるかぁ。なあ、お里、分かるだろう」
五助は涙を拭うことなく、嫁と息子の目を見据えた。
「なあ、椿丸よ」
十五の孫に、五助は視線を向けた。
「婆様は、爺の恋女房だで、仇を討ってやりたいと思うがのう。椿丸はどう思う」
「爺の気持ちは、ようわかる」
「椿は、まだ子供じゃ」
竜次が五助を抑える。
「いや。一人前の男じゃ」
五助の気質は、息子の竜次より孫の椿丸に受け継がれている。
「わしは、もう十分生きた。いつ死んでもええ」
「馬鹿なこと言うでない」
五助が大きな息をついて外へ出ると、椿丸が後を追った。
「爺…」
「心配するな」
涙を出尽くした五助の瞳は、遠く微かに見える春日山の城に向けられていた。
※
三宝寺勝蔵は、朝から機嫌が悪い。主君の直江兼続に献上する桃を下僕に洗わせていたところ、川に流してしまった時には、心底腹が立った。大失態というほかない。
昨日からの苛立ちが消えぬまま、三宝寺は屋敷を出た。騎馬である。草履取りと槍持ちを従え、主君直江兼続の屋敷へと向かう。
途中、見通しの悪い雑木林がある。夜間には盗賊が出るとのことだが、まさか勇猛で聞こえの高い三宝寺勝蔵を襲う輩がいるとは思えない。
雑木林の中ほどにさしかかった時、突然、一人の老人が木陰から飛び出して来て、進路を塞いだ。
「無礼者っ」
慌てて手綱を引いて駒を停めた。
「三宝寺様であらされますな」
「いかにも」
「昨日、川で婆を斬ったであろう」
「だから、どうだと言うのじゃ」
「我が妻じゃ」
「そうか、それは残念な事じゃったのう。おい、道を空けよ、邪魔だ」
「何故、殺めた。わけをお聞かせ願いたい」
三宝寺は、答えない。
無言のまま、槍持ちから十文字の槍を受けとって、穂先を五助に向けた。身の危険を感じた五助は、懐から鎖鎌を取り出して、分銅を回転させようとした。
が、それより一瞬早く、十文字の槍が、五助の喉を貫いた。
五助は声を発することも出来ずに、槍が刺さったまま立ちすくんでいる。
三宝寺が槍を引き抜くと、鮮血が勢いよく噴出して周囲の木々を赤く染めた。五助の体は大きな音をたてて崩れ落ちた。
「捨て置け」
槍持ちに死体の始末を訊かれた三宝寺は、そう言い捨てて道を急いだ。