よく誘拐される令嬢の婚約者は、行きたくないけど結局助けに行く羽目になる
その知らせを聞いた、ハルジオ・トランドラーフ男爵令息は大声を上げた。
「またか! あいつまた誘拐されたのか!」
あいつことリーファ・グレオン伯爵令嬢は、ハルジオの婚約者である。
トランドラーフ家は商家上がりの男爵家だ。商家としての歴史は長いが、貴族としての歴史はあってないようなもの。爵位を金で買ったと揶揄されることも多い。ハルジオ自身も貴族より平民の方が、性に合っているのではないかと思っている。
一方のグレオン伯爵家は歴史ある家系だった。王国の建国時から長らく続く家柄で、国内に知らない者がいないと言われる程の名家だ。またそんな名家の一人娘であることを差し引いても、規格外なリーファは引く手数多な令嬢だった。
ハルジオとリーファの婚約は、リーファの熱烈な希望により結ばれた。ちなみにこの時手段を選ばなかったリーファに、ハルジオは引いた経緯がある。
ハルジオがそろそろ寝ようとした矢先、リーファが誘拐されたという事実が、屋敷を訪れた憲兵と騎士たちから、ハルジオに伝えられた。またかとハルジオが言っていたように、リーファが誘拐されるのは、これが初めてではない。
トランドラーフ男爵家の応接室で頭を抱えるハルジオと、それを苦笑して取り囲む憲兵と騎士たち。なんとも異様な光景だ。
「これで何回目だ。俺は何度も止めろと言ったぞ」
「まあまあそう言わずに」
「あいつ俺の話聞く気ないだろ」
「ハルジオが来ないと話が進まないので」
「絶対に嫌だ。絶対に」
「そこを何とか、ハルジオ様」
すっかり顔見知りになった憲兵や騎士たちに、なだめすかされ根気強く諭されて、ハルジオはようやく重い腰を上げた。
ハルジオは騎士団所有の馬車に乗せてもらい、のんびり揺られて王都の外れを目指す。伯爵令嬢一人が誘拐され、それを助けに行く道中であるはずなのに、車内に緊張感は微塵もなかった。
「ハルジオ、それちょっとくれ」
「交換ならいいぞ」
なんとも気安いやりとりで、夜食用のお菓子の交換が行われる。ハルジオと馬車に同乗した騎士は、それぞれ持ってきたドーナツとマドレーヌを相手に受け渡した。
馬車に騎士が同乗するようになったのは、話し相手が欲しいとハルジオが以前言ったからだ。また移動時間中に状況説明を済ませられるので、一石二鳥でもある。
「今回リーファを誘拐したのは、どこのどいつなんだ?」
もらったマドレーヌの美味しさに気を取られながら、ハルジオが騎士に尋ねた。
「ヤベーナ盗賊団といって、南方を根城にしている盗賊団だ。最近勢力を増してきていて、周辺住民たちからの嘆願書が騎士団や憲兵に多く上がってきている。だいぶ悪どいことしているようだな」
ハルジオはそれを聞いて、目を付けられたことを後悔するがいいと内心毒づいた。
それからしばらくして、ハルジオが連れて来られた場所は、王都外れにある廃墟となった屋敷だった。廃墟から少し離れた場所に、豪奢な馬車が場違いにも止まっているが、ハルジオを含めて誰もがそれを気にしない。
「さっさとこの茶番を終わらせるぞ」
馬車から降りたハルジオが、空元気で自分を鼓舞した。ハルジオはそのままの勢いで集団の先頭となり、躊躇いなく廃墟の扉を開けた。ここに罠が存在しないことは、この場にいる全員が分かっている。
照明役を後ろにいる憲兵の一人に任せて、ハルジオは迷わず廃墟の中へと足を踏み入れた。数歩進むと物陰から複数の人影が飛び出してくる。人影の正体がヤベーナ盗賊団の下っ端団員だと、ハルジオはすぐに分かった。
妙にスローモーションで襲いかかってくる下っ端盗賊団員たちに向けて、ハルジオが拳を突き出した。その動きに合わせて、襲いかかって来た下っ端盗賊が、後方に吹き飛んで行く。
この世界には魔法が存在し、ハルジオも魔法が使える。しかしハルジオは本当に、ただ拳を前に突き出しただけだった。要するに下っ端盗賊は、ハルジオの攻撃動作に合わせて、自分から後ろに飛んでいっていた。
「やーらーれーたー」
大根だ。この上なく大根だ。ただ盗賊に演技力を求めるのは酷なことだろう。憲兵と騎士たちは驚くことなく手慣れた様子で、自発的に吹っ飛んだ盗賊を捕えていく。
「やっぱハルジオ様がいると楽っすね」
騎士の一人が語る。
「同意しかない」
憲兵の一人が首肯した。
憲兵でも騎士でも、普段やっている仕事に比べれば、雲泥の差で楽な仕事だ。自滅していく敵に縄をかけるだけなのだから。
途中からハルジオはだんだん面倒くさくなり、ただ歩いて進んで行くだけになった。ハルジオが歩くだけで人が吹き飛んでいく様は、シュールな笑いをもたらす光景だ。だがハルジオとしては、面白くもなんともない。
演技派過ぎて逆に浮いているのが一人二人混ざっていて、ハルジオが思わず笑ってしまったとしても、面白くないことに変わりはないのだ。
ハルジオは廃墟の中を突き進んで行き、最奥の部屋の前までやって来た。おそらくこの部屋の中にリーファがいる。一度溜息を吐いてから、ハルジオは扉を開けた。
ハルジオとリーファの目が合い、ハルジオが扉をそっ閉じする。部屋の中ではリーファが盗賊団の頭と思われるハゲた男を、げしげしと足蹴にしていた。
無言の後、一旦全員で深呼吸。
「俺達は、何も、見ていない。いいな」
ハルジオが後ろを振り返り、その場にいた全員で頷き合った。
十分な時間をあけてから、扉をもう一度開ける。今度はリーファがハゲの胸ぐらを掴み、前後に揺らしていた。十分な時間は、十分な時間ではなかったようだ。扉は再び閉められた。
「どれだけ待てばいいんだ?」
後ろを振り返ってハルジオが尋ねても、的確な答えは返って来ない。
帰りたい気持ちをぐっと抑えて、ハルジオは再び待った。あまりに手持無沙汰だったので、しりとり大会が始まった。一応記しておくが、ここはまぎれもなく誘拐された伯爵令嬢の救出現場だ。
しりとり大会を二回戦行った後、ハルジオは三度目の正直で扉を開く。
今度は大丈夫だ。二度あることは三度なかった。
「ハルジオ! 来てくれたんだね!」
何事も無く捕まっていたかのように、椅子に腰かけたリーファが歓喜の声を上げた。ハゲを足蹴になどしていないと、言わんばかりである。
そんな中、先程リーファに踏みつけられていたハゲは震える手で、リーファの首筋に短刀を突きつけていた。ハゲの腰は完全に引けており、リーファにビビっているのが丸わかりだ。
ここでハルジオは定番の決まり文句を、ハゲに向かって叫んだ。
「リーファを放せ!」
「はい!」
ハゲ、まさかの喰い気味の即答アンド即解放。リーファから飛びのいたハゲは、腰が抜けて立ち上がれない。
ハゲに情けないとは言わないで欲しい。ハゲはそれほどひどい目にあったのだ。ハゲは筋金入りの悪党なので、同情の余地はこれっぽっちも無いが。
ハルジオは腰ぬけたハゲを無視して、リーファに歩み寄った。
「お前! いいかげんに誘拐事件を引き起こすな!」
キレたハルジオが、リーファの両頬を掴んで伸ばす。
「やめへハルヒオ」
誘拐事件の被害者兼首謀者であるリーファが、悪びれもせずに頬を緩ませていたのだから、つまんで引っ張りたくもなる。
事件もとい茶番の真相はこうだ。
ある日リーファは思い立った。誘拐されたい。ハルジオにかっこよく救出されたいと。ちなみにリーファは定期的にこの発作に襲われる。
思い立ったら善は急げと、リーファはまず情報操作を始めた。普通に考えて、リーファを誘拐しようとする命知らずはまずいない。誰が見えている地雷を踏みに行くだろうか。
誘拐するのに良い令嬢がいると偽の情報を流すうちに、リーファは今回のターゲットを見つけた。悪目立ちした結果、ヤベーナ盗賊団はリーファに目を付けられたのだった。
リーファが撒いた様々なエサに、ヤベーナ盗賊団は簡単に食いついた。エサにしっかり食いついたことを確認したリーファは、終始隙を作りまくりわざと誘拐された。リーファを誘拐した直後、ヤベーナ盗賊団は意気揚々としていた。上手く事が運びすぎておかしいとは、全く思わなかったようだ。
そこから徐々に暗雲が立ち込めていく。誘拐した令嬢の様子がおかしい。ここでようやくヤベーナ盗賊団は、誘拐した相手が手を出すべきではないと有名な、リーファ・グレオンだと気付いた。
ヤベーナ盗賊団はリーファをすぐに解放しようとしたが、リーファに関わってしまった時点で、時すでに遅し。誘拐を止めようとしたヤベーナ盗賊団を、リーファは制圧掌握した。そして自分に協力しろと脅した。魔王もびっくりの恐ろしさだ。
リーファから盗賊たちに与えられた指令はただ一つ。ハルジオがリーファを助けに現れたら、いい感じに自滅する。リーファが盗賊たちの演技力の無さを考慮していないせいで、茶番感が増し増しとなっていた。
強盗団、密輸団、人身売買組織等々、今までリーファが潰した組織は数知れず。今日もまた一つ、リーファの手により犯罪組織が壊滅した。最終的に犯罪組織を壊滅させるので、誰もリーファには何も言えない。むしろリーファは多くの人に感謝されている。
「俺達は先に帰るんで、お二人でごゆっくり」
ハルジオとリーファを残して、ほくほく顔の憲兵と騎士たちは、捕まえた盗賊団員とともに撤収していった。通常と比べて圧倒的に楽な仕事でありながら、実績にはきっちり加味される。意地でも誘拐現場に、ハルジオが連れて来られるわけだ。
ハルジオが必ず連れて来られる所まで含めて、リーファの作戦の内なのだから、性質が悪いにも程があった。
部屋の中に二人で残されたハルジオとリーファは、黙って見つめ合う。椅子に座ったリーファに跪き、ハルジオはリーファの手を取った。
「こんな騒ぎばかり起こして、お前はこの俺が婚約者なだけでは、そんなに不満なのか?」
ハルジオの唇がリーファの手の甲に触れた。
「ハルジオ!!」
リーファが椅子から立ち上がり、ハルジオの首筋に抱きつく。ハルジオもリーファを抱きしめ返した。ここまでくれば、ハルジオはひとまず安心だ。これでしばらく、リーファは大人しくなるはずだから。
「よし、俺達も帰るぞ」
廃墟を出た二人は、廃墟の前に停まる場違いな馬車に乗り込んだ。先程までは廃墟から少し離れた場所に停まっていた、グレオン伯爵家からの迎えの馬車だ。
グレオン伯爵家の屋敷に着く頃、現在時刻はすっかり夜中になっていた。ハルジオは眠い。とにかく眠い。
夜中にトランドラーフ男爵家の屋敷まで送ってもらうのも忍びなく、誘拐があった日のハルジオは、グレオン伯爵家の屋敷にいつも泊めてもらっていた。翌日は学園が休みの日なので、寝坊しても問題ない。ハルジオは安心して眠ることができる。
翌日に学園がある日では支障が出るので、誘拐騒ぎが起こるのは必ず休日の前日だ。リーファは考えていないようで、多少は考えて行動している。ハルジオを自分の趣味に付きあわせている、負い目もあるからだろう。
いつも使わせてもらっている客間で、次で使える口説き文句を考えながら、ハルジオは眠りに落ちていった。
一夜明けて翌日の朝、ハルジオは起きて早々リーファの父に謝られた。
「うちの娘が大変すまん。今回も力及ばず止められなかった。本当にすまん」
「お気になさらないでください」
ちっとも悪くないリーファの父に神妙な面持ちで謝られては、ハルジオはそうとしか言えなかった。
おそらくリーファを止められる人間は、この世に存在しない。ハルジオは不可能を可能にしろと、無理難題を未来の義父にふっかける気は無い。リーファの父は自分の教育が悪かったとも考えているようだが、そもそもリーファの場合は、教育云々の問題ではないとハルジオは思う。
誘拐事件から数日後、放課後の王立学園のティールームにハルジオは呼び出された。ハルジオを呼び出したのはもちろんリーファだ。ティールームにリーファたち以外の姿は無く、部屋は貸し切り状態だった。
「楽しみにしてたのに、予定変更だよ」
神妙な面持ちはリーファの父と全く同じだ。こういう所を見ると、やはり父娘なのだとハルジオはほっこりした気持ちになる。
ハルジオとリーファは次の休日に、一緒に出掛ける約束をしていた。リーファはそれをここまで残念がってくれるのだから、ハルジオとしても婚約者冥利に尽きるというものだ。
「それで、デートの代わりに、皆で一緒にピクニック行こ?」
リーファの誘いを受けて、ハルジオは嫌な予感がした。
「ピクニック? どのピクニックだ?」
「どのも何も、ピクニックはピクニックだよ?」
可愛らしく小首をかしげるリーファに、ハルジオは騙されたりしない。
「俺は忘れてないぞ。二人きりのデートでピクニックに行くと言われて、連れて行かれたのが魔王討伐だったことを」
「魔王を討伐した後ピクニックしたんだから、あれはピクニックだよ」
「魔の森でピクニックする奴がどこにいる! しかもピクニックよりもトレッキング、いや登山だった!」
ピクニックは崖を登ったりするものではない。命の危機を感じるものでもない。
「帰りにハルジオが動けなくなって、私が担いで帰ったよね」
「情けないこと思い出させるな」
「ごめんね、あの辺り転移魔法が使えないんだよ。だから今回のピクニックもがんばろー」
ハルジオは思い出す。魔王に話す隙さえ与えず、一撃で屠ったリーファの姿を。『ああ、これ? 私は正規の勇者じゃないから、魔王を倒せはするけど蘇るんだよね。だから蘇ったら毎回、さくっと倒しに来てるの』と笑顔で言ったリーファを、ハルジオは忘れられない。
魔王討伐をあくまでピクニックだと言い張るリーファを見ていて、ハルジオの中に疑問が生まれた。
「あれ? お前この前も、第二王子殿下と魔王を倒しに行かなかったか? 封印したんじゃなかったのか?」
前回風邪で寝込んでいたハルジオは同行しなかった。リーファがハルジオを治療すると言ったが、元気になったら一緒に行く羽目になると思い、ハルジオはリーファの治療魔法を断固として拒絶した。
「行ったんだけど、うっかり私が止めを刺しちゃったから、またやり直し。殿下は勇者のくせに軟弱すぎるよ」
勇者こと第二王子の名誉のために記しておくが、第二王子は決して弱くない。リーファがだいぶおかしいだけだ。普通の令嬢がうっかりで、魔王に止めを刺せるはずがないのである。
「なんかもう手加減とか面倒くさいし、小難しいことを考えるのが嫌になって、別の方法も考えたの。でも魔王を存在ごと消滅させようとしたら、ゴッドストップかかっちゃったよ」
「ドクターストップみたいに言うんじゃない。ゴッドストップなんて、そんな単語初めて聞くぞ。それに神はそうそう人類に干渉してこないだろ」
「夢の中で神様に泣きつかれたんだよね。全てを無に帰す魔法の使用開発はやめてくれって」
「お前本当に何なんだよ」
「リーファ・グレオンです!」
「そういうことじゃない」
「神様にも同じこと言われたよ!」
「まじか~」
神にもよく分からない存在が、ハルジオの理解の範疇にいるはずが無かった。
「というか魔王の復活早くないか? 前回から一ヶ月経ってないだろ?」
「早く片を付けたいから、魔王の復活を早めたんだよ」
「倒されるために回復促進される魔王は、古今東西探してもそういないと思うぞ」
「だよね! 私もそう思うよ」
そこがおかしいことは、リーファでも分かったらしい。非常識なリーファの中にも、常識は存在したようだ。
「あ~、憂鬱だな~、接待魔王討伐。今まで一撃必殺だったから、殺さないように手加減するのが本当に難しくて」
頬杖をついたリーファが、テーブル上にぐるぐると指で円を描いた。
「接待なら散々やって来たんだから、慣れたものだろ?」
「接待なんかしてないよ」
「俺に接待誘拐救出させてるのは、どこのどいつだ?」
「あれは接待ではなく演出! ハルジオのかっこよさをより引き立てるために、必要なものなの」
接待も演出も同じだろと、ハルジオは突っ込みたかった。
「誘拐されて愛する人に助けられるのは、令嬢のロマンだと思うんだよね」
リーファは一昨日のことを思い出してうっとりしている。馬鹿と天才は紙一重、ハルジオはとても納得した。したが、すぐに少し違うと考え直した。
リーファは便宜上天才と呼ばれているが、リーファは天才どころか、天才を超えた何かだった。もはや天才を超えた何かと、馬鹿を超えた何かは紙一重。いや本当にリーファは何なのだろう。
誇張抜きにリーファは何でもできる令嬢だった。現在十七歳にして、開発した魔法、魔道具は数知れず、解読不能と言われた古文書を解読し、数学の難問を解きあかし、その他にもありとあらゆることをやらかしてきた。
リーファにできないことは、人類には不可能なことだと言われる始末だ。天才過ぎるリーファは本来、王立学園に通う必要は無いのだが、ハルジオと学園生活を送りたいがために、学園に通い続けている。
「だからって毎回毎回、どうしてそう誘拐にこだわる。こだわり過ぎだろ。お前の中に、誘拐されたのを助けられる以外のドラマチックはないのか」
「あるよ、もちろん。あるよ…………。うん? 急には思いつかない……?」
「お前天才なのに、ドラマチックの引き出しが少なすぎるだろ!」
類まれなる頭脳の代償なのかもしれない。生きていくうえで、リーファ本人は特に困らない代償だけれども。
「そうだ、ドラマチックといえば、お前また公爵家のやつに口説かれてたな」
「アレ口説いてたんだ。気持ち悪いこと言ってるな、としか思ってなかったよ」
「アレは誰がどう見ても、お前を口説いてたぞ?」
「公爵家に抗議いれとく。あと陛下にも話が違うって」
このリーファの規格外ぶりに、周囲の大人がリーファを放っておくはずが無かった。王家や並みいる高位貴族たちが、リーファと縁を結ぼうと躍起になった。躍起になられ過ぎて、一時期リーファは非常に荒んでいた。
「あんなに口説かれても、全然効果ないんだな。ハンカチを拾われただけで俺に惚れたくせに。チョロいんだか、チョロくないんだかはっきりしてくれ」
「あれはただの親切でハンカチを拾ってくれたのが、嬉しかったの。それまで裏には、下心や打算ばっかりだったんだもん」
「あの時はお前が、あの有名なリーファ・グレオンだと知らなかったからだ。知ってたらもっと何かリアクション取ってたぞ」
「ハルジオが何と言おうと、私は見る目があったと思ってるよ。何だかんだ言いつつも、ハルジオは絶対私に付き合ってくれるよね」
落としたハンカチを拾って渡されただけで、リーファはハルジオに惚れた。純粋な善意でリーファはころっといった。
だがしかし、規格外の天才リーファと、なんてことないハルジオの婚約は、簡単には周囲に認められなかった。
これだけはどうしても、絶対に譲れなかったリーファは、国王たちと話し合いの場を設けることにした。リーファはハルジオとの婚約を認めなければこの国を出ると、良く言えば交渉、悪く言えば脅迫した。その間リーファの横にいたハルジオは、生きた心地がしなかった。
魔法と物理を交えた話し合いの末、リーファはハルジオとの婚約と、グレオン伯爵家に対するアプローチ禁止令を勝ち取った。リーファの完全勝利だった。
唯一の誤算は、一部始終を見ていたハルジオが、リーファのあまりの情け容赦のなさに、引かずにはいられなかったことだ。ハルジオは二日間ほど、リーファとまともに口がきけなかった。
「どんだけ突拍子のないことでも、時間が経つとそのうち慣れるんだな。自分で自分の順応力が恐ろしいぞ」
普通の人なら立ち直るのに一ヶ月はかかりそうなところを、ハルジオは二日で立ち直った。軟弱な貴族と違い、ハルジオはすこぶる逞しかったのだ。これによりリーファは、ますますハルジオに惚れ直した。
遠い目になりながら、ハルジオはリーファが魔法で淹れた紅茶に手を伸ばす。ハルジオは紅茶よりも珈琲派だ。それでもリーファに淹れてもらったものなら、珈琲よりも紅茶を選ぶ。
「今さらなんだが、今は何の待ち時間なんだ?」
「王太子殿下待ち。何か相談があるらしいよ」
「お忙しい方なのに、わざわざ学園にいらっしゃるんだな」
「王宮の中よりも、ここの方がいいんだって」
「そういうことなら、俺はこの場にいていいのか? 大事な話なんだろ?」
「ハルジオにも関係がある話らしいよ? 必ず連れて来てくれって言われたもん」
「そうか」
話が途切れて、静かな時間が流れる。かと思いきや、そんなことはなかった。
「あ! ハルジオ! 閃いたよ! 婚約破棄だ!」
こちらを見て元気に言うリーファに、ハルジオは嫌な予感しかしない。
「婚約破棄?」
「新たなドラマチックだよ!」
ハルジオはすぐにピンときた。
「やめろ、王太子殿下だけは絶対に巻き込むな」
「それはフリ?」
「フリじゃない。絶対にやめろ。王太子殿下とその婚約者様は、至って善良な方々だぞ。お前が害していい存在じゃない。それに何かと味方になってもらってるだろ」
「はーい」
ハルジオの本気具合はリーファに伝わったようで、リーファは大人しくハルジオに従った。
「いいか、俺以外を後先考えずに振り回そうとするな。どうせ誰かを振り回すのなら俺にしておけ」
「誘拐はやめろって言うのに?」
リーファが誘拐される度に、ハルジオはやめろとしか言っていない。リーファがそう言いたくなるのも当たり前だ。
「理解できないことに巻き込まれるのは、当然好きなわけじゃない。でも俺以外の誰かが、俺以上にお前に振り回されるのは許せない」
リーファが大きな瞳を瞬かせる。
「それはある種の独占欲?」
「ま、そうかもな」
ハルジオはにやりと笑って答えた。
「ますます好き!」
盛り上がるハルジオとリーファは、ティールームの扉が開いたことに気付かない。その後しばらく、二人に存在を気付いてもらえない王太子だった。