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ラブ・ラボラ・バー・ロベリア


 バー・ロベリアにて。


 夜の街が色づく時に私はよくこのロベリアというバーに来る。外の嬌声・喧騒をもろともせずにジャズィなレコードとショットグラスに注がれた艶やかなカクテルが彩るこの場所が最近の憩いの場所だった。


「マスター……今日はちょっと甘めのやつ。ある?」


「珍しいですね」


 マスターは伏し目がちに言った。


「まだ通い始めて1ヶ月なのにもう私の舌を熟知したの?」


「1ヶ月も有れば十分ですよ。アクアさんなら1週間くらいであなたを丸裸にできる」


 私はアクアという名を出されて朗らかな心を少し乱された。脳裏に映るのはワインレッドのベルベットスーツを着たあの洋画の登場人物のようなやつ。目の笑ってない白い笑みが脳内に反響する。


 ため息を吐きかけて、手持ち無沙汰にバーカウンターをなぞった。


「どうだろうね」


「お呼びかな、マスター?」


 その狙い澄ましたような声に私はどきりとして首を向けてしまった。その口角と目尻が笑顔の記号を浮かべる。親しみ深そうに見せかけても、その奥には悪魔が潜んでるようにしか見えなかった。


「やぁギタリスト、君1人とは珍しい。冒険家のようにまた新しいカクテルを探してるのかい?」


「こんばんはアクア。どうせ後ろから聞いてたんでしょ、カッコつけたがる人ね」


「友達の前でもかっこよくありたいと思ってしまうよ」


「そう。じゃあホームズらしく推理の種明かしでも?」


「お望みならば。だが、推理したつもりはないし、推理でもない。君の気質を考えれば、手元に酒が常にある状態にするはずなのにグラス一つすら持ってない。決めかねてるのはそこでわかるよ」


 滑らせていた指を示されて私は手をカウンターの上からそっと避けた。


 このロベリアでは客同士が会話を交えることはそう珍しいことではなく、誰しもが偽名を名乗って、仮面舞踏会のように束縛から解き放たれて、歓談を楽しむ。


 名前をすり替えただけなのにまるで本当に別人になってしまったかのように錯覚してしまい、ついつい秘密の話が芽を出してくるのもここならではだ。


 かくいう私もギタリストでもないのにギタリストを名乗り、不透明の代表たる彼もアクアを名乗ってる。

 社交パーティーのルールさえ知っていればここではどんなことを語ろうとも自由だ。


「……1週間もかからなそうですね、ギタリストさん」


「私に同意を求めないで」


 突っ返すように私は言い放った。


「疲れ気味のようだね? 注文は入れた? 甘めのものが今は合いそうだ」


 そう言ってアクアはマスターに目配せをした。


「サングリア?」


「いいね。地中海の香りがしそうだ。ギタリストにかけてフラメンコでも流したらどうだい?」


「店の雰囲気には合わないでしょ。私に良くしてくれるのはありがたいけど、独善的なのはあなたの悪い癖じゃないかな」


 私は彼をはっきりと見据えて怖気つかずに言った。


 但し間に割って、いや滑り込んでその場の雰囲気を彼は掌握してしまうのだから、独善的というよりかは支配的というべきかもしれないけど。


「一理ある。でもフラメンコが合いそうなのは本当さ」


 彼は私の視線など風のように流した。


 彼が思わせぶりなことを言うが、私にはその真意が理解できずに片眉尻を威嚇するように釣り上げた。


「? 私に赤が似合うから、とでも?」


「そうじゃない。今から、情熱と哀愁のショーが始まるよ。君主演でね」


 その宣言に胸騒ぎがした。

 途絶えない微笑みは何かを待っているようにすら見える。


 そしてマスターが彼の言いつけ通りの『サングリア』を出してきた。フルーティーな香りと喉を絞めるような甘ったるさが私の気分が変わった喉を逆撫でた。


 彼の分までサングリアは用意され、何のつもりか彼は私のガラスと鳴り合わせた。


「国によってはこうやって鳴らさないほうがいいらしい」


 鳴らした張本人はそう言ってカクテルを飲みながらテーブルの方へと去っていった。

 その捨て台詞こそ流血(サングリア)の証だ。


「ギターさぁぁぁあ~~ん!!」


 つんざく声に私はアクアの喉を抉りたくなるような怒りと、相反する脱力を覚えた。


「あぁ……またか」


 ドロドロと当たり障りはあっても手ごたえのなかった予感が凝固剤を入れられたように即座に一つの結論を象っていたのだ。


「いやぁ今日も精悍! 美麗! 抱いて! 最高にクールなあなたに僕はメロメロです!」


 捲し立てるように放たれる言葉の弾丸に、ついその銃口を拳で叩きつけたくなる衝動が現れる。


 日本人ではありえない発色の良い金髪。酒と香水でカクテルとはベクトルの違う甘ったるさを漂わせるワイシャツ。体臭に混じったその匂いを嗅ぐと顔を背けたくなり、私はカクテルを口元に近づけてその匂いを誤魔化した。


「……ハンターくん、今日は酔いすぎてるみたいだね。ここで事件を起こす前に早く帰りなよ」


「今来たばかりです。お酒はギターさんと楽しみたくってまだ一杯しか飲んでません。そして、酔ってるとしたら、それはあなたにです!」


「はぁ……君が酔うほど私は吐き気がするよ、分けたくもない痛み分けだ」


 私はサングリアを胃に流し込み、しばらく鼻腔に滞留する香りで現実から遠ざかろうとした。


 ハンターと名乗るには些か、というか大分、我慢強さや駆け引きの仕方を知らない彼は私に一目惚れを起こしたらしく、ここ2週間くらいはこの調子なのだ。


 私としてはウンザリだ。彼はゲイで、男性たる私のことを愛している。けれど、私はもちろんゲイじゃないし、異性愛者なので彼との噛み合いが取れてない。

なのに彼は諦めず迫ってくるものだから呆れと共に称賛の思いすら抱く。


 しかし毎回こうではあのアクアをつけ上がらせるようで嫌だし、どうしたものか。


「ギタリストさん。あの、俺……あなたのことが、どうしても……」


「……やめてよ。私は君の愛する人じゃない」


「いえ! 愛してます! 絶対に何があっても」


 その眼は真剣で、とても酒の勢いで無下にできるほど穢れてはいなかった。正当で清純な答えでなければ――だとしても――彼の真摯な眼差しと想いは砕けないだろう。


 恋焦がされてる私でも。


 私は彼に覚られないように短く嘆息し、そして笑って見せた。彼は困惑したように見ている。


「君を誑かしたいわけじゃないんだ……私も君のことは腐れ縁という意味で多からず愛はあるだろう。けど、やはり、それは君の求める愛じゃない」


「俺は、ギターさんから貰える愛ならなんでも……親愛でも、友愛でも、加虐愛でも、嬉しいです」



「どうか、俺と……付き合ってください」



 目頭が熱くなる。つい、はい、と素直に答えたくなってしまう。彼の愛に応えたい。


 あぁ、どうして恋とはかくももどかしく、叶わぬことがきめられたものなのか。


 神を呪って私は眠りにつくように瞼を閉じた。もう何も考えたくなかったから。


「……ごめんなさい」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「君が彼の愛に答えないのは一体全体なんでなんだろうね?」


「白々しい……カッコつけたい、って言ってたけど、別に私に対してよく見られたいわけじゃないでしょ」


「そう見えたなら、私の体裁は間違った風に縫われたようだ」


「その雰囲気はあくまで貴方が納得するためのふるまいで、マナーなのでしょう、アクア。彼と私を引き合わせたのも、貴方の掌の上で踊るマタドールが見たかったから、かしら?」


「君たちが惹かれ合うのは運命だ。私には私の運命があって、君たちにも君たちの迎えるべき結末がある。それを操作することは何人も不可能だ。神でなければね」


「さっさと私がこんな紛らわしい格好を止めてしまえば、この恋の結末くらいは安く見れるのでしょうね」


「君も彼を愛しているのには変わりない。けど、変えられないからこそ君はその装いを改められずにいる。レディ・ギタリスト、偽りを以て彼から愛され、彼を愛せずにいる者よ」


「あなたのせいよ。変えられない運命に導いたのは貴方、アクア。いつか貴方にも永遠に愛せず、愛されない呪いをかけてあげるわ」


「その前に君と彼の愛がこの運命を越えられることを祈るよ、愛ならばもしくは」


「……えぇ、いつか、女として彼を愛せるようになってやるわ。次こそ邪魔はさせない」





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