帰さぬちょうちん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、もう子供ちょうちんまつりの時期か。
君の学校でも、一度あったんじゃない? ちょうちんの表面に、何かお絵描きをしてさ。こういった会場に飾られるやつ。
――え? あまり絵心がないから、いい印象が残ってない?
はっはっは、そりゃ失礼。やりたくないことをやらされるのも、学校のつらいところだもんなあ。私も絵はともかく、版画関連は苦手で仕方なかったっけ。
現代だとこういうイベントや、お盆とかじゃないと、出番が少ない照明道具、ちょうちん。それがメインを張る時代だと、また不可解なものとの接点が生まれるようでね。
最近、ちょうちんをめぐる昔話を聞いたんだけど、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
寺子屋に通っていた男の子が、課題のできがかんばしくないと、遅くまで残されていた。秋も深まるころだったから、どんどんと日は暮れていってしまい、帰るころには真っ暗になっていた。
周囲を田畑に囲まれている立地。明かりをつけている家屋の姿はなく、その子は提灯を手に寺子屋を出るしかなかった。このような事態に備え、寺子屋に通う子供たちは、あらかじめ提灯を屋内へ置いてあった。
ちょうちんには、昨今の懐中電灯のように、前方を強烈に照らす力はない。ひとつきりだと、足元や手の届きそうなくらいの近場を、気を付けることがせいぜいだった。
転ばないよう注意しつつ、先を急いでいた子供だけど、ふと頭に「ぽつん」と一滴、跳ねるしずくがあったんだ。雨だ。
「まずい」と足を早める子供だったけど、時すでに遅し。うまいこと、降り落ちてきた雨粒のひとつが、ちょうちんに空気を入れるすき間から、中へもぐりこんだんだ。その身は、中で灯るロウソクの火を、あやまたず押しつぶす。
瞬く間に訪れる暗闇。先ほどまで灯りに目が慣れていたこともあり、わずか数歩先さえ、満足に見やることができない。
思わぬ暗さを前に、子供は立ち往生してしまう。雨はすぐにやんでしまい、匂いをかすかに残しながらも、また降り出す気配を見せない。「おかしな雨だな」と目を慣らし出す子供の横を、ついっと誰かが通り過ぎていく。
波をあしらった柄の手拭いをかぶり、つぎはぎだらけの野良着を身に着けた、やや年を召したとおぼしき女性だ。子供の持つものより、ひとまわり長く大きいちょうちんを提げ、遠ざかろうとする背中に、子供は声をかける。
「もし。少し明かりをもらえませんか」
女性はぴたりと止まるも、こちらを振り返ることはしない。前を向いたまま、足だけを逆に動かし、戻ってくる姿には一気に鳥肌が立った。
手拭いの女は、すでに子がちょうちんのバラりとたたみ、あらわにしていたロウソクの横に、すっと腰を下ろす。女もまた自分のちょうちんの中からロウソクを見せるも、そのロウは青白く染まっていた。月の明かりを思わせる、淡い光を帯びたそれを手に取り、少年のロウソクへ火を移していく。
相変わらず、女は前を向いたままで黙りこくり、淡々と作業を終えていった。
その間、子供はまるで動けない。女が何者なのか、確かめようと足を踏み出しかけようとすると、いきなり足にしびれが走るからだ。
長い正座のおしおきを経て、すぐに立とうとしたときの感覚に似ていた。うずくまり、いうことを聞かない個所をつい、せわしなくさすってしまう。女が立ち去り、その明かりが見えなくなってしまうと、しびれは立ちどころに消え去ったとか。
おそるおそる、ちょうちんを手に取る子供。
寺子屋を出るとき、灯したものよりも、ほのかに青みがかっている。あの女のロウソクのロウの色が、そのままこちらへ移ってきたかのようだ。
家までもう残りわずか。ひとつめの交差路を左に。続くあぜ道を、今度は二本奥へ行って右へ曲がる。あとはまっすぐ行けば、わが家へ通じる。
ところが、灯りを頼りに曲がり曲がったその先に、なかなか家の姿が見えてこない。
――おかしい、おかしい。
自然、早まってしまう足だけど、あぜ道は延々と続いていき、やがて道のかたわらに小さな地蔵の姿が、ぼんやり浮かぶ。
子供には見覚えがあった。自宅どころか、寺子屋から見ても反対方向。隣村へと続く道の途中へ、自分は足を着けていたんだ。
地蔵を挟んだ反対側は、すぐ断崖がそびえたつ。土砂崩れの恐れもあって、強い雨などの時には近寄らないよう、言いつけられていた。
子供はすぐ踵を返した。
どうしてここまで来れたか、理屈はわからない。ただ、来た道を引き返したなら、少なくとも先ほどまでの道へ戻れるはず。子供なりの勘が、一気に足を早めさせた。
しかし無駄だった。先ほどまで左手にあった地蔵と同じものが、しばらく行くとまた左手に姿をあらわす。その地蔵越しにちょうちんを掲げると、広がっていたはずの田んぼは、あの崖へと変わっていた。
すっかりおびえながらも、灯りを手放すのもまた恐ろしい。
もう、狐の仕業だと疑いようはなかった。下手に道を外れて田んぼに逃げるのも、相手の術中にはまりそうな気さえして、子供はほとんど泣きべそをかきながら、何度も何度も道を行ったり来たりを繰り返していた。
その幾度目かを迎えて。数えきれないほど出会った地蔵の頭上から、がらりと石がこぼれてきたんだ。はっ、と立ち止まったところで、今度はゴロゴロと大きなものが転がり落ちてくる気配が続く。
大岩だったら危ない。また逃げようとした子供の耳へ、どんどんどんどん、飛び込んでくる音は大きくなり、ほどなくゴンと地蔵へぶつかってくるものが。
岩じゃなかった。旅装束に身を包んだ大人が、そこにいた。
体中は血だらけで、左足は変な方向へ曲がっている。それでも体はかすかに動き、うめき声も聞こえてきた。
――助かる。人を呼ばないと。
大声を張り上げながら、子供はまたも振り返って、駆けていく。
今度はもう地蔵とは出会わなかった。やがて寺子屋の影が見えてきて、まだ残っていた先生に報告。けが人のもとへ向かう時も、そこから帰る時も、あの地蔵の道を行き来してしまうようなことは起こらなかった。
やがて回復した男により、子供とその一家はあらためてお礼を言われる。彼は山の中で薪を取っていたところ、誤って足を滑らせてしまい、崖から落ちてきたのだという。こうしている今も、杖をつかねば満足に歩けないほどの重傷で、発見がおそければ最悪の事態もあり得たとか。
しかし、どうして子供があの時、あのような場所にいたかは、男も首をかしげるところ。子供が事情を話したところ、思わずうなり声を漏らした。
その波をあしらった手拭いと、つぎはぎだらけの野良着は、彼も見覚えがあるらしい。
それは数年前、亡くなった母が生前愛用しており、遺体とともに埋葬したものなのだというんだ。