北の守護女神誕生秘話
世界は七柱の大神たちによって創られた。
空の男神と大地の女神の夫婦神、その子供である水・風・火・樹・獣の兄弟神たち。
神々は世界を見守り、時折神託を授ける以外では極力不干渉を貫いた。
しかし、彼らを信仰する者たちが神界へ至るためのきざはしは残していた。
もちろんその道は万民に開かれているわけではない。
神々の課す困難な七つの試練、その悉くを突破した者だけが大神の眷属神として神の末席に名を連ねることが許される。
その道は狭く厳しく、それ故に神へと至った者たちは賞賛と敬意を込めて新たな信仰の対象へとなっていった。
ここはバルディニス王国、建国の英雄にして試練を突破し神へと至った神祖バルドを奉じるドワーフの国だ。
その王城の一角で、慌ただしく荷造りをする少女が一人。
彼女はこの王国の第三王女、ルウ・マティシャ・バルディニス。
家名より名が短いのは、虚飾を嫌うバルディニス王家の一族の特徴である。
《のう、本当に行くのか? 名目従軍とはいえ、戦場に行けば命の保証はないぞ》
「馬鹿言ってんじゃないわよ! この日の為にあれだけ準備してきたんだもの、上姉さま……が立ち塞がったら無理だけど、そこらの衛兵ぐらいなら蹴散らしてでも行くわよ!」
ルウは荷物を入れた背嚢を背負い、鼻息荒く宣言する。
彼女は今日、王都を出発する黒鉄戦士団に戦鍛冶として帯同し、北のファグズニィ要塞へと向かうのだ。
両親、特に現王である父親は前々から強く反対していて、準備にも侍女に一切手伝わせない根回しすらしていた。
しかし、その程度でルウの心が折れるはずもなく、時間はかかったが彼女一人で出発の準備をしてのけている。
《ああ、心配じゃ。このじゃじゃ馬が一体何をしでかすか……》
「ちょっとバルくん、それは酷くない!? 私が何したっての!」
《黙らんか、これだけきちんと儂の意志を受け取れるのに神事をすっぽかす不良巫女が!》
もしこの光景を事情を知らない第三者が見ていたなら、相手もなしに一人で話し続ける彼女を不思議に思った事だろう。
彼女に語り掛ける声……それは彼女にしか聞こえない"神託"だ。
ルウは物心つく前から巫女として高い才能を発揮しており、そのため成人前にも関わらず、公人が成人後に与えられる役職名の一つである巫女を表す"マティシャ"の名を戴いている。
高い才能で神から寸分たがわず正確に神託を受け取り、意思を伝えることが出来るのだが、幼少期から何度も意思を通じ合った相手はもはや気のおけない頭の中のお友だちであり、簡単にできることも手伝い今では敬意など欠片も残っていなかった。
「うぅ~バルくんがいじめる~!」
《成人も近くなってバルくんはやめんか、みっともない。火の大神ドゥルヴォードの眷属神、鍛錬の神バルドと呼べとまでは言わんが、もう少し何とかならんかのう》
巫女であろうと大まかな意味を受け取るのはまだしも、完璧に意思を疎通できるような神託の受け取りができる者はそういない。
元がドワーフ上がりの神であるバルドは久しぶりの会話の相手と頻繁に話していたら、今ではこんな気安い関係になってしまった。
ルウも王族なので締める所は締めるが、神との関係として正しいものなのかどうか。
そう思いながらも、バルドには神になってから久しく感じていない"友"との関係に甘えている自覚もあった。
願わくば、この型破りな娘が人並みに幸せになってくれればと思っている。
しかし、そのためにルウのとった行動があまりにもブッとんでいて、バルドは肉体無き神の身でありながら胃が痛くなる気分がしていた。
《ハァ……そんなに見合いをするのが嫌じゃったのか? 仮にも王族なんじゃから、胆力に欠けた阿呆が来るわけではあるまいに》
ルウももうすぐ成人が近い。
王族の女として生まれた者の宿命として、有力者に嫁ぐことはほぼ決定事項だ。
実際、ルウの姉の第二王女リュトは王国東部の半独立領である大公領を治めるグラーニ公へ嫁いでいる。
「下姉さまはいいわよねぇ……あの美髯公とも呼ばれるグラーニ公がお相手なんだから……」
《……まぁたしかに、あれほど男ぶりのいい髭をたくわえた者は儂の時代にもおらんかったが》
リュト王女とグラーニ公は十歳差の齢の差婚だが、リュトが夫にベタ惚れしたすえの恋愛結婚であり、グラーニ公の男ぶりの良さもあって世間では美男美女のお似合い夫婦として憧れの的だ。
本来であればリュト王女の婚姻で東の大公領が安定したのだからルウの結婚について焦る必要はないのだが、第一王女ラナの存在が大きな問題としてあった。
「上姉さまが普通に結婚していればお父さまも私の結婚を急いだりしなかったと思うのだけど……」
《諦めよ。アレはそういう生き物だと思った方が精神の安定によい》
第一王女ラナ。
幼い頃から武術に傾倒し、現在は女ながらに王立独立遊撃軍の軍団長を務めている。
独立遊撃軍は各軍から集められた精鋭が所属する精鋭軍、本来ならそこに王族が入るとなれば名目従軍なのだが、ラナはお忍びで入隊し、実力で前軍団長から後任指名を受けた正真正銘の異端児である。
ラナ王女は従軍を理由に独身を貫いており、現王がルウの従軍に反対し結婚を急ぐのも無理からぬことと言える。
「このままじゃそこらの侯爵のボンボンと見合いさせられるかもわからないもの、それに比べれば今回の従軍は大チャンスよ!」
《そうかのう……この前のナントカいう侯爵の長子は中々のガタイじゃったが、そこまでダメか?》
「たしかに王国貴族として嗜み程度の鍛錬や彫金なんかはしてるのかもしれないけど……あんな中途半端な労働筋肉じゃ満足できないの! やっぱり男の人なら立派な戦闘筋肉を備えてなきゃ!」
《それで黒鉄戦士団に目を付けたわけか……》
黒鉄戦士団は鉄よりも頑丈だがはるかに重い黒鉄装甲を装備に採用している防衛戦の猛者たちだ。
団員には黒鉄の重さに耐える筋力と体力、辛く長い戦闘を続ける精神力が要求され、主に防御戦や殿軍を任される。
団長である百戦錬磨の"老将"ゲールマンをはじめ、屈強な者たちぞろいであるから筋肉には事欠くまい。
《で、狙いは誰なんじゃ?》
「もちろん、あの"重壁"ローガンさまよ! あれほど見事な三角筋は見たことないもの!」
ローガンは黒鉄戦士団随一の豪傑、他者には真似できない超重量の黒鉄の全身鎧と戦鎚の使い手である。
その身体はまさに戦士団の装備である黒鉄の如くであり、王城に礼服で訪れた際も、服を下から引き裂かんばかりの筋肉は侍女たちの噂にもなっていた。
《そうは言っても、ファグズニィ要塞に着けば大発生した黒鱗大蜥蜴の討伐任務にかかりきりじゃ。あの"北の護り"が援軍を呼んだんじゃから、並の忙しさではないぞ》
「それでも何とかしてみせるわ! 戦鍛冶だから最前線には出ないし、帰還までにお近づきになってやるんだから!」
《ハァ……心配じゃのう……》
こうして戦士団の豪傑の背筋を寒くさせながら王都を旅立ったルウ王女。
彼女がこの後、北の大樹海からあふれた魔物たちに深手を負わされた"老将"ゲールマンに代わり、『神祖バルドの如き』策略と指揮で要塞を守り抜き、"北の守護女神"と呼ばれるまでになるのは歴史が語る通りである。