表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
9/30

第九話 選択

 甘い香りが漂う店内。ポツンと空いていた席に腰掛ければ、トレイに乗せたココアが甘い香りを立てた。生クリームの上にこれでもかとチョコチップやチョコソースのトッピングされたそれは、もはやカロリーの塊と言えるだろう。おまけに期間限定の焼きメレンゲのかけらが降りかかっている。

 手でカップを握り、冷えた指先を温める。まだ下旬とはいえ十月だが、例年より気温が低いようで、マフラーが欲しいと独りごちた。

 約束をして二日後の今日、大学の最寄駅近くにあるショッピングモールにて、「スタダ」の略称で愛される大手喫茶チェーン店で、私たちは放課後デートを楽しんでいた。


「明日走らなきゃ……」


 隣から聞こえてくる声に視線を向ければ、神妙な顔つきの素子がトレイの上を睨んでいる。そこには私と同じ期間限定のココアに、チョコレートケーキが鎮座していた。


「わざとじゃないの。知らないうちに頼んでて……」

「誘惑に負けちゃったのか」

「気がついたら……」


 自責の念に駆られて犯罪を告白する犯人のような、鎮痛な面持ち。もしくは健康的な食生活を司る神に懺悔しているのかもしれない。

 堪えきれない笑いを隠すようにカップに口をつければ、素子は大きくため息をついてフォークで切り取ったケーキのかけらを口に放り込んだ。次の瞬間、花開くような笑みを浮かべる。

 この世の全ての幸福を手に入れましたと言わんばかりの顔で、フォークを差し出してきた。


「くれるの?」

「ん!」

「いいの? 食べちゃって」

「ん! ん!」


 咀嚼中ゆえ声を出せない素子は、キラキラとした笑みで大きく頷く。赤べこのように激しく振られる頭に、首痛くするよと注意して一口いただいた。

 ほんのり苦味を秘めた甘さが、口の中に広がる。下層のクッキー生地が、サクサクと音を立てた。舌触りの良いクリームと混ざり合い、大変美味である。


「おいひい」

「でしょ!」


 多少のもったいなさを感じながらも、飲み下して感想を伝える。再び上下に激しく首を振った素子を押しとどめて、ココアに口をつけた。

 流れ込む甘さの奔流が、ここ数日の懸念を押し流していく。不思議な食感を伝える焼きメレンゲを舌で転がしながら、穏やかなひと時を味わった。

 楽しい時は飛ぶように過ぎ去り、ココアもケーキも残り半分といったあたりで、素子のスマートフォンが震える。何気なく画面に視線を落とした彼女の目の色が、変わった。


「どうしたの?」

「いや、なんか、弟が熱出して早退してたみたい。今から母親がパートだから、なるべく早めに帰って来いって」


 問いかけに応えた素子が、表情を曇らせる。

 彼女の弟は、まだ中学生のはずだ。健康な時ならいざ知らず、熱を出して寝込んでいる時に家に一人は心細かろう。

 早く帰ってやれるようにとココアに口をつけて飲み干そうとすれば、早くもバッグを肩に担いだ素子に留められた。


「私行くけど、澪はゆっくりしていってよ」

「でも……」

「私の都合だから、澪は気分転換! ね?」


 思い出したようにケーキを大雑把に崩し、口に放り込む。素子は後片付けだけお願いねと早口で捲し立てると、嵐のように去っていった。私は口を挟むことすらできず、ぽかんと見送るのみ。

 友人の消えた隣の席を横目に、ココアに口をつける。気を使われたな、と思った。それと同時に、素子がいるから気が紛れていたのに、とも。

 一人で飲んでいると余計なことを考え始めてしまいそうで、一思いに飲み干して席を立つ。追い付いてしまうのも気まずいから、やたらとゆっくり店舗の入ったショッピングモールを出た。

 もとより四限終わりに寄り道していたので、周囲は薄暗い。この頃季節の移り変わりとともにどんどん日が短くなっているから、モールで時間を潰した方が良かったかなと少し後悔した。

 瞬間、ピリリと項に痺れが走る。危険信号だ。

 頭で考える前に、足が動いた。その場で回れ右をし、とりあえず先ほど出てきたモールに避難しようと、足を踏み出す。その瞬間、進行方向が塞がれた。


(後ろにいたんですねぇ〜)


 異常発達した割には、危険がどの方向から迫ってくるか教えてくれない自分の第六感に八つ当たりし、止まりかけた足を無理やり動かす。

 宗教勧誘も、アンケートも、ナンパも、キャッチも、因縁をふっかけてくるクソ野郎も、足を止めたら負けだ。話は聞かないに限る。取りつく島を見せたが最後、オナモミのようにひっついてくるものだ。


「ねぇねぇ、一人? ちょっと時間ある?」


 時間はあるが、お前に使う時間はない。そんなこと口が裂けても言えないが、心の中で悪態をついて見ず知らずの男を一瞥する。明るく染めた髪に、締まりのない口元。ひょろりとした貧弱な体格は、風が吹けば倒れてしまいそうだ。

 反応を見せることなく、ついさっき出たばかりのショッピングモールに逆戻りする。入り口近くの店員に話しかける私を見てすぐにすごすごと引き下がるあたり、今までの厄介ごとの中ではマシな方か。


「ありがとうございます〜」


 笑顔で店員に頭を下げて、案内されたトイレに入った。別に助けを求めたわけではない。ああいうのは、助けを求めたフリをすればいい。

 急を要してはいないものの、とりあえず用を足して時間をかけて身嗜みを整える。差して必要もないが、時間稼ぎだ。


「こっちから出たら、鉢合わせしないかな……」


 大通り側を使って待ち構えられると嫌なので、裏道に面した出入り口から出る。時間をかけすぎたのか、あたりは暗闇に染め上げられていた。大通りと違って街灯の数も少ないので、暗さが二割増になっている。

 戦々恐々としながらも、一歩を踏み出す。絡みつく不安を振り切るように足を動かし、駅の方面を目指した。

 すぐそこのはずだ。なんなら、一本先の道で大通りに戻ればいい。

 大して高くもないパンプスの踵が、アスファルトを打つ音が道に響く。

 それだけだったはずだ。私以外の足音はなかった。そのはずなのに。


「な、に……!」


 唐突に、目の前を誰かに塞がれた。先ほどのナンパかと思いきや、それよりもはるかにガタイがいい。

 見覚えのない男。のはずだが、既視感を覚えた。見たことがある気がする。

 大急ぎで記憶を浚う。どこで見たのか。いつ見たのか。


(この前、後つけてきた変態!)


 校内で追いかけられたので、吉田先輩の協力を経て図書館で撒いた男だ。柳木くんと別れてからも特に見つかることはなかったし、次の日からも再会するようなことはなかったから、完全に失念していたのだ。ここ最近感じる視線の主という可能性も考えたことがないわけではないものの、尾行というアクションを起こした後にただ見ているだけになるのも不自然で、候補から除いていたのだ。

 頭半個分ほど高い位置にある顔を睨みつけ、ジリジリと後退する。

 三歩ほど退いた時、何やら男がブツブツと言葉を漏らしていることに気がついた。それに気を取られた一瞬を狙い澄ましたように、男の腕が伸びて胸ぐらをわし掴まれる。

 首が締まり、足が浮いた。レディースのヒラヒラした服に耐久性なんて見込めない。ブラウスの胸元のギチギチいう音と、パニックと気道を狭められたことへの息苦しさ、足の浮いた不安定感が、恐怖を煽った。


「お前が悪いんだ。んな美味そうな魂晒して」

(魂……⁉︎)

「食ってくれって言ってるようなもんだろ! 恨むなら自分の無防備さを恨め!」


 男の反対側の腕が伸び、首を直に締め上げた。息が詰まる。目の前が真っ暗になる。

 もうだめだ。あきらめかけた時、何かに吹き飛ばされたように男の体が私から離れた。支えを失い、私はその場に崩れ落ちる。ろくに受け身も取れず、頭を地面に打ち付けてしまった。

 痛みが逆に薄れかけた意識をはっきりとさせ、いつの間にか閉じていた目を開く。

 一陣の風が、すぐ目の前を通り過ぎていった。獣のような荒々しさで、私を締め上げていた男と、それに組み付く別の人影の塊に突っ込んでいく。

 限界を迎えて狭まっていく視界の中で、見たこともないご先祖様の姿が見えた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ