第五話 対峙
「俺、吉田松太には気をつけろって言ったよね?」
ヘラヘラと人を小馬鹿にしたような笑みで、私の正面に陣取った柳木くんが首を傾げた。何かわがままを言う幼い子を見るような目が、私を射抜く。
本人としてはあまり重い空気にならないようにと、わざと茶化すように言っているのかもしれないけれど、私にとっては完全に逆効果だ。彼は今、人の交友関係に外野から口を出しているのである。にも関わらずの軽々しい態度に、苛立ちが募った。
彼の「あれ? 君忘れちゃった?」と言いたげな表情も、非常に癪に障る。彼の私に対する無意識の見下しを感じ、眉間に力が入りそうになるのを必死に堪えた。
そもそも、柳木くんには私の友人関係に口を出す権利なんてない。そして私がそれを大人しく聞き入れなければならないような謂れもないのだ。
「……言ったね」
どう答えようか迷いながらも、とりあえず肯定を示す。
柳木くんはそれを聞いて右眉を跳ね上げると、大袈裟に頷いた。芝居がかったその仕草にも、真剣に会話しようという意思を感じられずに不快感が広がる。
彼の話の内容的には、どうやってもシリアスにならざるを得ないはずだ。特に、構築されていない人間関係の前では、事実善意による忠告だったとしても気を払わねばならない話題である。
そもそも柳木雷は私の親友でもなければ、ましてや友人ですらない。個人的には知人にもカウントしたくないような人物だ。初対面の時から常々思っているが、人の引いた境界を踏み荒らす無神経さが許せない。
私は自分の“見えてはいけないものが見える”体質を好ましく思っていないし、他人に知られることは極力避けたいと思っている。それはおそらく素子にすら言わないだろう私のシークレットな部分だ。
にも関わらず、彼はそこを暴こうとする。
それが好奇心ゆえなのか、それとも彼が私の同類だとして、共感を覚えて近づこうとしているのかは知らないものの、私は一度として許容した覚えはない。いつもどうにかこうにかはぐらかしていた筈だ。
濁して煙に巻いていたのがいけなかったのだろうか。けれど、直接やめろと言ってしまえば、下手すれば彼が探っている私の体質について認めることになる。
ここまでしつこい人は過去にいなかったため、どう対処すれば良いかわからない。もはや習得したはずの愛想笑いでさえも出てこない始末だ。今の私はきっと、ひどく感情の失せた顔をしているのだろう。
「あのさ、俺も舛花のことを思って言ってるわけ。詳しくは言えないけど、アイツには近づかないほうがいい」
「でも、吉田先輩は私の恩人なの」
理不尽なことを言っている自覚があるのかないのか、柳木くんは一転険しい顔をして言う。先日の個人的な嫉みの混じった忠告とは違う、どこか含みのある台詞が少し気になった。
それでも、私は先刻も彼に助けられている。学内で誰かにつけまわされたことを説明し、彼は二度も私を助けてくれたと説明した。
「……この臭いはソイツか」風の音にかき消されるかどうかといった大きさの声で、柳木くんが呟く。
「なら、俺が舛花を守れば吉田松太には関わらないで済むよな?」
次いで彼の口から吐き出された言葉に、私は開いた口が塞がらなかった。一体彼はどの立場でものを言っているのだ。交際中の恋人が言ったとしても、このご時世相手の交友関係を制限するなんて許されない。
そもそも、“守る”とは。彼は一体何から私を守ると言うのだろうか。生身の人間からだろうか、はたまた私の“半透明のオトモダチ”からだろうか。
けれど、まずなによりも、彼に“守る”という行為ができるとは思えなかった。
「柳木くん、一昨日私になんて言った?」
「……え?」
「ミス・トラブルって言ったんだよ」
『ミス・トラブル』彼が私につけたあだ名だ。春学期の最初から、連続してさまざまな厄介ごとに見舞われる私を揶揄したあだ名。
あの時、私は内容を明言することこそしなかったものの、目の前で“誰かに助けられる”レベルの被害を受けた人ことを告白した。そしてその“誰か”の心当たりを問うたのだ。
“誰か”がどんな為人であれ、私にとって救いとなったことは話の流れから明白である。
それなのに、柳木くんはその相手を侮辱し、あまつさえ私が見舞われる災厄と同列扱いをした。
それだけではない。
そもそもその屈辱的な呼称に対して、私は度々苦情を入れていた。私にとってトラブルに巻き込まれることは本意ではないのだ。
だと言うのに、彼は懲りずに幾度も「トラブルコンテストがあれば優勝できる」だのなんだのと揶揄するのである。
未だ臆病風に吹かれて口を閉じそうになる私の背中を、日暮れの冷えた風が後押しした。
まっすぐ柳木くんの目を見据え、口を開く。普段は角が立たないように曖昧に濁していたが、それももう限界だった。
「人の嫌がる呼び名を積極的に使って傷つけるような人が、一体どうやって守るって言うの」
「っ! それは……」
「何から守るって言うの。どうせ守ってもらうなら、私はあなたから守ってもらいたいんだけど」
柳木くんの顔が強張る。
ここまで私がはっきり言うのは、初めてだからだろう。それでもすぐに気を取り直した彼は、懲りずに口角を上げて言葉を紡いだ。
「ごめんごめん。悪気はなかったんだよ? ただの冗談だって」
「……へぇ、悪気なくあんな酷いこと言えるんだ」
未だ自分の発言を重く捉えずにいる柳木くんに、思った以上に低い声が出る。
冗談であれば何を言ってもいいわけではないし、そもそも私たちは冗談を言い合うような間柄でもない。
そりゃあ、人間関係は人の組み合わせだけ様々なパターンがあるだろう。中には側から見れば失礼に思うようなことを言い合っていても、本人同士ではただの戯れの一種という場合もある。当然だ。
でも私たちの関係は、彼はともかく私はそう言った関係だと思ってはいない。
「舛花は繊細だな」
仕方がないな。大人な自分が折れてやろう。
そんなことを言わんばかりの態度に、噛み締めた奥歯が鳴った。
この期に及んでまだ私に責任転嫁をするのか。私が繊細だから、普通はそう思わなくてもいいような言葉がカンに触ると。自分は悪くないが、重箱の隅をつつくお前が悪いと。
暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏。何を言ってもまともに取り合ってはもらえないのだ。私の言葉など取るに足らないものと思っているのだろう。
知らず知らずのうちに、大きな溜め息が口から飛び出る。真面目に相手にしてくれない相手に、これ以上私も付き合ってはいられなかった。
「話にならない。私たちは冗談を言い合うような仲でもないし、守ってもらう仲でもないでしょ。もちろん交友関係に口出すような権利もあなたにはない。付き合う人間くらい自分で選べるから」
もうこれ以上、私に関わらないで。
堪えきれなかった嫌悪感を滲ませて言い放つ。立ち去ろうと柳木くんの脇をすり抜けようとした瞬間、無遠慮にも腕を掴まれた。
非難するように視線を送れば、打って変わって神妙な顔つきの柳木くんが口を開く。
「これだけは聞いてくれ。駅向こうには行かないほうがいい」
「それで私が、はいそうですかって言うと思う?」
正直なところ、今回の彼の言葉に普段と違う気配を感じたことは否定できない。いつになく真面目な声音に、たらりと冷や汗が背筋を垂れたことは事実だ。
それでも、今までの彼の所業から、大人しく話を聞く気にはなれなかった。
背後から、苛立ちを抑えきれない舌打ちが追いかけてくる。バスの停留所へと足を動かす私が彼の言葉の真意を知るのは、もう少し後の話。




