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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
3/30

第三話 友人

 わらわらとひしめき合う学生の群れをかき分けて、目的地であるテーブル席を目指す。すでに弁当を広げてスマートフォンを見ていた友人の(ふじ)素子(もとこ)が、私に向けてひらりと手を振った。


「おかえり。生協混んでた?」

「あり得ないくらいに混んでた」


 昼休みの食堂は、やや声を張らないと隣の席との会話すらままならないほど喧騒に塗れている。素子は傾けた体を戻すと、眉間にシワを寄せて椅子にもたれかかった。


「おつかい頼めばよかった」

「何欲しかったの?」

「ルーズリーフ。さっき切らしちゃって」

「それくらいなら私があげるよ」


 話しながら、生協で買ってきたサラダのパックと、家から持参したおにぎりを並べる。

 かたじけないと芝居がかった風に手を合わせて頭を下げる友人に苦笑して、私も手のひらを合わせた。いただきますの声が重なり、素子は箸を、私はラップに包まれたおにぎりを手に取る。

 別に持ってきていた海苔を巻いて、一口かぶりつこうとした瞬間、向かいの席の椅子が引かれて誰かが腰を下ろした。


「おはよう。藤、舛花(ますはな)


 眼鏡の奥の瞳を弓形にしならせて笑みを浮かべたのは、柳木(やなぎ)(らい)だ。私は一度も明言してはいないのだが、彼はどうやら私の体質に気がついているようで、何かと探りを入れてくる。

 いつかに父親だか母親の実家が寺だか神社だかと言っていたので、その関係で何か感づいているのかもしれない。もしくは彼自身も、私と同じように見えてはいけないものが見えてしまうタイプなのか。

 正直踏み越えてこないで欲しい一線をズケズケと踏み荒らしてくるので、あまり得意ではない。けれどやたらと関わりにくるのである。

 素子も私が嫌がる様を隣で見ているからか、あまり良くは思っていないようだった。

 とは言え、私ももう十九歳。大人に片足を引っ掛けた年齢である。円滑に人間関係を回せるよう、愛想笑いの一つや二つ、当然習得している。本当は顔中にシワを寄せたいのを我慢して、笑顔で挨拶を返した。


「お、それ生協のサラダ? 珍しいな。舛花が昼前に生協行くなんて。混むのが嫌でいつも朝寄るだろ?」


 我が物顔で昼食を広げながら柳木くんが口にした言葉で、自分のこめかみにピクリと力が入ったのがわかった。

 今まで黙殺することで不快感を表に出さない努力をしていた素子の口が、パカリと開く。ぱっちりとした瞳から、目玉がこぼれ落ちそうになっていた。

 百歩譲って、これを言うのが素子なら理解できる。彼女とは学生生活アドバイザーの教授が同じであるため、取っている授業のほとんどが被っているのだ。つまりほぼ毎日、「おはよう」から「また明日」まで一緒にいる。

 それほど近い関係であれば、日常のルーティンを知られていてもおかしくないだろう。

 けれど彼は違う。彼との会話でそんな話題を出したこともないはずだし、もちろん学部が一緒であるから重なっている講義があることにはあるが、素子ほどではない。

 観察されているのか。私は。

 昼食前に生協に行くのことが珍しいと断じられるほどに。私が「混雑している店内が嫌」と考えると推察できるほどに。

 気持ち悪い。

 滲み出る不快感に、手のひらに爪を立てる。薄くつながった傷口がプツリと切れ、新たに血が滲んだ。


「ん、まぁ、ちょっと色々あって」


 あまり大きな声で言うような話ではないし、何より柳木くんに聞かれたくなかったために濁して伝える。


「……また何か嫌なことがあったの?」

「あー、電車で、ちょっと、ね」


 心配そうな表情で問うてきた素子には、耳打ちで少しだけ内容を滲ませた。痛ましそうな表情で逃げ切れた?と問われ、首を横に振る。途端に素子が表情をなくしたので、慌てて付け加えた。


「それが、助けてもらって……」

「本当? よかった……。その、えぇと……」

「大きな被害はなかったよ。すぐ助けてもらえたから。それでその人、滝野の学生らしくて」


 自分に伝わらないよう小声で交わされる会話に、柳木くんがつまらなそうな表情を浮かべているのを目の端に捉える。あとで何か言われるのも嫌なので、これくらいならいいかと彼にも話題を振った。


「学生手帳を見せてバスに乗ったってことは、ここの学生でしょう? 二年か一年。すごく顔立ちの整った人だった。背も高くて、モデルみたいだったんだけど、心当たりある?」

「んー、私はないかなぁ。サークルも女ばっかりだし」


 首をひねる素子に対して、柳木くんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 二、三度ためらうように唇を歪めて、私と目が合うと観念したように口を開いた。


「それ、二年の吉田松太(しょうた)だと思う」

「ヨシダショウタ……?」


 「おっそろしく顔が整ってて、それで、気に食わないやつだよ」柳木くんは、心底嫌そうに眉を寄せる。

 曰く、生まれ持っての顔の良さで女性を食い荒らしている貞操観念の薄い軽薄な男なのだとか。彼女が途切れることがなく取っ替え引っ替えしているだの、日本美術史の教授と遠縁の親戚だから汚いやり方で入学しただの、ひどい言いようだった。

 今朝の出来事を思い出すに、誠実で人を慮ることのできる優しい人だと思うのだが、彼が言うには違うらしい。


「とにかく、胡散臭くて怪しいやつだよ。気をつけたほうがいい」

「ご忠告どうも。でも、ハンカチ借りたから返さなきゃ」


 名前を知ることができたという点では感謝するが、吐き捨てるように言う柳木くんの様子を見るに、どうにも個人的な感情が混じっているように見える。

 これが素子ならまだしも好感の少ない柳くんゆえに、話半分にしか聞くことができなかった。一応恩人である彼を貶されて、反発する思いもあったと思う。

 これ以上この場にいることが嫌で、会話しながらもつついていたサラダを完食し、おにぎりのゴミをまとめて入れ蓋を閉めた。ちらりと素子を確認すると、こちらも食事は終えているようで、少し早いけれど次の授業の教室に向かうかと目配せをする。

 ゴミをまとめて袋を縛り、荷物をまとめた。

 柳木くんは勝手に同席してきただけなので、置いて行ってもいいだろう。次に同じ授業を受けるわけでもないし。

 そう思って退席の準備を整えれば、惣菜パンを口に詰め込んだ柳木くんが顔を上げてニヤリと笑みを向けてきた。笑い掛けられる心当たりが全く思い当たらず、困惑して動きを止めてしまう。


「会いにこさせる口実に決まってるだろ。あーあ、吉田松太に目をつけられるなんて、ミス・トラブルの名は伊達じゃないな。でも、まぁそれだけ魅力的なんだよ。舛花は」


 自分の動きだけでなく、時間までも止まったようだった。グルグルと視界が回る気がして、思わず椅子の背もたれに手をつく。衝撃で震える体を、必死で支えた。

 その言い方はないんじゃないかと食ってかかる素子の声が、何処か遠くに聞こえる。


『諦めろ。舛花がそれだけ魅力的なんだよ』

『痴漢に狙われるくらい自分が魅力的って言いたいわけ?』


 今まで散々言われてきたことが、頭の中を飛び交った。頭蓋の中を反響するように、声が幾重にも重なっていく。何かトラブルに巻き込まれるたびに、嘆く私に周囲はそう投げかけた。まるで私が原因があるみたいに。私が、悪いみたいに。

 俯いて、下唇を噛み締める。手のひらの傷口がまた痛んだ。滲む血が、爪を汚す。

 その時、暗闇を切り裂く一条の光のように素子の声が耳に入り込んできた。


(みお)は確かに魅力的だけど、それが原因でクソに目をつけられるわけじゃないでしょ。クソがクソだから目をつけんの。そんなこともわからないわけ?」

「別に舛花が悪いなんて言ってないだろ」

「クソが澪に目をつける原因を澪に見出してる時点で、澪に問題があるって言ってるようなもんだから。あんたも同罪」


 テーブルに手をついた素子が、柳木くんを睨め付ける。出会ってまだ半年も経たないというのに私のために怒ってくれる友人の姿が、そこにはあった。

 今までは友人でさえも私を責めたのだ。私と一緒にいると厄介ごとに巻き込まれると、彼女らはみんな私の元を去っていった。

 仕方のないことだとはわかっている。確かに私と一緒にいることは身の危険につながりかねない。

 それでもいつも悲しかったし、寂しかったし、私だって好きでトラブルに好かれているわけではないと悔しい思いをしていた。

 だから、素子が私のために声を荒げる姿が、たまらなく嬉しかった。

 彼女に言い返そうと口を開く柳木くんを遮るように、素子を呼ぶ。


「いいよ素子。行こう」

「でも──」

「素子がそう言ってくれただけで嬉しいから」

「……澪がそう言うなら」


 気勢を殺がれた様子の柳木くんを尻目に、素子が荷物を肩に背負った。私は彼に一瞥もくれず、素子と揃ってテーブルを後にする。

 トラウマを穿り返されたというのに、私の気分は晴れていた。隣を歩く友人が誇らしい。

 彼女はとても友達思いの素敵な人です。そして私はそんな彼女と仲がいいんですと、大声で触れ回りたい気分だ。

 次の授業の教室にたどり着く頃、私の頭からは、柳木くんのことなんてスッポリ消えていた。

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