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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第二十九話 顛末

 しっとりとした空気が、和室の中に立ち込める。吉田さんの少し乾燥した指の腹が頬に添えられ、産毛を逆立てるように撫でた。ガチガチに体を固める私に、吉田さんの微笑が降りかかる。行燈に照らされ、二人の影が今まさに重なり合おうとした瞬間、吉田さんは勢いよく私から身を離した。

 スパンと小気味良い音を立てて、ふすまが開く。廊下の明かりを受けて、ニヤリと口角を上げた烏羽さんと、両腕で顔を覆う煤竹さんが姿を見せた。


「よォ、お二人さん。お話は終わったかい?」

「か、烏羽さん」

「烏羽……」


 軽い調子で言った烏羽さんが敷居を跨ぐと、空気が入れ替わるように部屋の甘い空気が霧散する。吉田さんから小さな舌打ちが聞こえた。それと共に、低い声の悪態が響く。

 着流姿の吉田さんの後ろには、最後に見た血塗れとは打って変わって清潔そうなシャツを見にまとった煤竹さんが続いた。

 吉田さんが頭を抱える。唸るような声が、腕の隙間から漏れていた。明らかに嫌そうだ。まぁ、あのタイミングで入ってこられたら当然だろう。声かけなしに襖を開けたことに思うところがないわけではないが、不愉快そうな彼を横目に私は二人に頭を下げた。

 煤竹さんは言わずもがな、烏羽さんもあの場に龍雲さんを連れてきてくださった今回の事件の功労者だ。それだけではない。私が鬼に目をつけられる前から、彼ら鴉天狗警察は私の周辺に気を配っていてくれていた。襲われてからも襲撃者の身辺調査や、さらなる被害の抑止のために努力してくださった。私にとっては命の恩人も同然だ。


「お世話になりました」

「いやいや、元はと言えばこちらの不手際だ。謝るべきは我々鴉天狗警察」


 万感の思いを込めて絞り出した声を遮るように、烏羽さんの声が響く。下げた視線に映る二人の右足が半歩引かれた。足を折り、深々と頭を下げられてようやく、謝罪を返されていることに気づく。


「あ、頭上げてください!」

「いや、けじめはつけないとな」


 居た堪れなくなり烏羽さんと煤竹さんの肩に手を置くが、一層頭が下がるばかりで、上げてはくれなかった。

 確かに危険な目には遭った。無事だったので楽観視している面もあるが、命の危険に直面したのだ。けれど、悪いことばかりでもなかった。

 私がノーガードポンコツ魂でなければ吉田さんに気にかけともらうことすらなかっただろうし、つけ狙われなければ助けてもらうことすらできなかった。こんなことを言ってはいけないのだろうが、今回襲われなければ吉田さんと想いを打ち明け会うこともなかっただろう。

 先ほどから一声も発しない吉田さんを、ちらりと横目で見る。何か思案顔をしている様子に、嫌な予感がピリリと首筋を走った。


「僕も君に──」

「謝らないでくださいったら! その、悪いことばかりでもなかったですし……」


 こちらも頭を下げようとしたのか、姿勢を正した吉田さんを押し留める。思わず口から飛び出た本音に、畳と睨めっこしている烏羽さんは堪えきれないといった風にカラカラと笑い声を上げた。

 ボッと爆発するように吉田さんが赤面する。視線は彷徨い、口は慌ただしく開いたり閉じたりを繰り返した。先ほどまであんなにも「齢百歳。酸いも甘いも噛み分けたましたよ」といった様子でアダルトな空気を醸し出していたというのに、人前で改めて言われると恥ずかしいらしい。かわいいなとあらぬ方向に思考が飛びかけたのを、どうにかこうにか引き留めた。

 顔を上げた煤竹さんは能面のような無表情で、畳の目を数えている。


「こりゃ一本取られたなァ。なるほど……。おめでとうと言ったほうがいいかな?」

「やめてくれ……」


 揶揄うような烏羽さんを、吉田さんが睨み付ける。けれど真っ赤になり、かつ少し潤んだ瞳では、鋭さも何もなかった。一頻り肩を揺らした烏羽さんは、ややあってようやく残り香のような笑い声を吐き出すと、居住まいを正して私に向き直る。


「ここら一帯の責任者として、顛末の説明をしておこうか」


 烏羽さんの耳に心地いい低音が、歌うように言葉を紡いだ。

 曰く、あの鬼は我々鴉天狗警察が責任を持って滅した。もう二度と君の前に現れることはない。しかし一度あったことは必ず次がある。また別の鬼に目をつけられることも、十二分にあり得るだろう。妖怪と人との必要以上の接触を避けるために見えるだけの者や狙われやすい者は陰から守るのが鉄則だが、大いに巻き込んでしまった以上鴉天狗警察から一人専任の護衛を任せるつもりである。しかし。


「まァ、松太が居るなら松太に任せりゃいいな」


 再びニヤリと口角を上げて揶揄した烏羽さんを、煤竹さんが咳払いで窘めた。ひょこりと眉を上げて、烏羽さんは引き下がる。どうにも彼らには上下関係があるようだから、部下に諌められるのは居心地が悪かったのだろう。


「何か、聞きたいことはあるか? お嬢ちゃん」


 肩を竦めてこちらに問いを投げかける烏羽さんに、私は少し迷ってから戦いの最中に鬼が吉田さんに異様な執着を見せていたわけを問うた。現場にいなかった烏羽さんに代わり、煤竹さんが目を伏せて唇を開く。

 あの鬼は、追跡に特化した能力を有していた。過去視──つまり他人の過去やその場でかつて起こった出来事を読み取る能力──を用いて私を守護する吉田さんを探り、その過去を追ったのだ。

 そして彼は、吉田さんが百年前に母親の死のきっかけとなった男を殺そうとしていたことを知った。


「でも僕は──」

「野犬に、邪魔をされて……」


 遮るように言葉を紡ぎ、それでも口籠ってしまった吉田さんの後を私が引き継ぐ。私が見た記憶で彼ははあの時、幸か不幸か野犬に襲われて男にとどめを刺すことができなかった。憎き仇の喉笛を切り裂いたのは吉田さんの爪ではなく、野犬の牙だ。

 私は吉田さんに引き留められてその先を見てはいないが、彼はその直後に杜若教授に見つかって保護されたのだという。復讐を遂げられなかったことに一時的に荒れはしたが、最終的に彼は鬼として生きることを受け入れた。


「松太の過去を探るうちに、自分が魂のない存在になったことを知ったのだろうな。あの世でも、来世でも、恋人と再会できない存在に」

「きっかけはともかく、本当に僕への八つ当たりとして舛花さんを襲ったんだな……」


 魂のない存在は転生も、あの世へ逝くこともできない。死んだらそこで終わり。消滅して、その先は存在しない。だから、同じ境遇の男を道連れにしたかった。どうせ自分の行先に希望は見出せないのだ。恋人とも再会できない。妖怪としても守るべき法を犯したから死しか待ち受けてはいない。それならば冥土の土産に旨そうな魂の女を手に入れて、その魂に執着するラッキーで踏みとどまった男と共に消えよう。そう考えたのだろう。

 締め括った煤竹さんから視線を移せば、鎮痛な面持ちの吉田さんが目に入った。責任を感じているのだろう。どう声をかけようか悩む私の耳に、煤竹さんの声が入ってきた。


「ならばお前が彼女のこれからの生で矢除けの役割を果たせばいい」


 いっそのこと怖いくらいの無表情。まるで能面のような顔だった。いや、完全な無表情ではない。うっすらと何か気まずいような、居心地が悪いような、微妙な顔をしている。


「寄り添っていたいのだろう?」


 その顔から飛び出した言葉に、吉田さんの喉から何かが詰まったような音がした。私も一拍ほど置いて彼が何を言わんとしているのか理解して、顔が熱くなる。


「奏!」

「聞こえたのはそのくだりだけだ。お前ほどではないが鴉天狗である俺も聴覚が優れているのでな」


 咎めるような吉田さんの声に、無表情のまま意趣返しのように煤竹さんが答えた。いつかの会話を思い出し、私も頭を抱える。腕の隙間から目が合った煤竹さんは、パチンとこちらにウインクした。

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