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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第二十五話 庇われる

(しまっ──)


 狙われている。本命は私だった。

 そう気がついた時には、既に五指が振り下ろされていた。最初からそうだったじゃないか。鬼が狙っているのは私だったのに、フェイントであると気づくべきだったのだ。

 特に運動神経が秀でているわけではない私は、眼前に迫る爪をただただ見つめることしかできない。動体視力は良い方だと自負しているが、頭と体が追い付かないのなら逃げることすらできないのだ。

 それでも、コンマ何秒といった短さでも、目蓋を下ろす暇はあった。固く目を閉じて両肩に力を入れる。それが死に瀕した私にできる最大限の防御だった。


「ぐっ、ぅあ」


 衝撃は想像していたものと違った。引き裂かれるのではなく、何呻き声と共に重たいものがのし掛かってきて、巻き込まれて地面に倒れこむ。鉄臭さの中に、かすかに香の匂いが漂っていた。


「よ、しだ、さん……?」


 耳元で荒い呼吸が繰り返される。倒れ込んできた吉田さんはなんとか体勢を立て直そうと地面に腕をつき、再び頽れた。

 その肩越しに、葉が散り初めて寂しくなった木々に縁取られ、端から茜色に染められつつある空が見える。重たい身体を抱き締めるようにして触れると、ぬるりと手が滑った。

 あぁ、彼に庇われてしまった。身を挺して。

 これが何かなんて考えたくない。こんな体験、フィクションの中の話だけであるべきだ。現実で体感するようなことではない。

 時間が、酷くゆっくり流れていた。遠くで怒号が響く。刻々と重みを増して行く身体を受け止めながら、耳の奥で鳴り響く心音を聞く。

 いつのまにか傍から姿を消していた藤原くんが戻ってきてようやく、私は我に返った。身体の上から重量が取り払われ、身を起こす。吉田さんは土の上にうつ伏せで寝かされていた。横向きにされた顔の、焦点の合わない瞳が揺れている。その血の気の失せた頬に手を伸ばした瞬間、強く肩を掴まれて引き戻された。


「舛花さん! 離れて!」


 杜若教授だ。筋張った血塗れの手が、肉に食い込む強さで私の肩を掴んでいる。痛みに呻けばすぐに力は緩められたが、それでも決してその場から動かさないとばかりにしっかりと掴まれていた。

 吉田さんの傍に膝をついた藤原くんが、傷の数々を見て眉を顰める。


「酷い傷だ」

「し、し、死んじゃ……。よ、吉田さんが死んじゃう……」

「落ち着いて! すぐに死ぬことはないよ」


 言い募り少しでも近づこうとにじり寄る私を、肩に乗った手が引き留める。

 落ち着いていられるわけがない。だって血だらけだ。妖怪ならすぐに傷が塞がるのかと思いきや、袈裟懸けに切り裂かれた傷も、なんなら先ほどの肩口の傷も塞がる気配はなかった。パニックになるなと言う方が無理だ。

 混乱を極める脳内に、ふと吉田さんの話が蘇ってくる。彼は、元人間の鬼は人から霊力をもらって妖力へと変えると言っていた。それが妖怪の存続に必要不可欠である人間の“信じる力”の代わりになるのだと。ならば、今たくさん霊力を彼に送り込めば、傷口を修復することもできるのではなかろうか。

 相変わらず傷口からは血が流れ出している。一刻も猶予はない。


「わたし……、私に何か出来ることはっ! わ、ワイヤレス充電みたいなのできないんですか!」

「それって、君の霊力を譲渡するってこと?」


 下手くそな説明でも意図を汲んでくれた彼は、傷口に再度視線を落として「確かにそれが最良だろうね」と呟いた。それならと息巻く私を、杜若教授が抑える。


「危険すぎる。特に君の魂はノーガードなんだよ。意識のない松太に、魂ごと吸い尽くされてしまう」

「でも何もしないなんて!」


 確かに危険だろう。でも吉田さんは危険を冒して私を庇った。そして大怪我を負った。傷口からはいまだに血が溢れ出ている。それなのに、私のせいで怪我をしたのに、何もしないなんてできない。

 死んで欲しくない。死なれてしまったら困る。

 噛み締めた唇から、血が滲み出た。口内が鉄臭さに占拠される。


「龍雲はまだなわけ?」

「こんな昼日中に鬼の速度では来られないよ。人間の交通機関を使ってるんだ。こちらから連れて行くのも一つの手だが……」


 苛立ったような声で、藤原くんが杜若教授を仰ぎ見た。龍雲さんが誰だか知らないが、こんな危機に人間の理がどうたらこうたらとゆったりしていられる神経がわからなかった。きっとロクでもない人だ。空でも飛んでこい。

 腹が立って、気が急く。固く握り締めた手に食い込む爪が痛かった。


「嫌なんです! ここで見過ごして、彼がい、居なくなっちゃったら、私死んでも死に切れない!」


 喉奥から引き絞るような悲鳴が出た。藤原くんも教授も、思案げな顔をするばかりで何も言ってはくれない。無視してでも吉田さんの元に寄ろうとするも、相変わらず肩を掴む手は痛いほどに肩を掴んでいた。拘束を振り払おうと身をよじる。


「やらせてやれ」


 膠着したその場を、鶴の一声が切り裂いた。


「俺が危険と判断したら引き剥がす」


 煤竹さんだ。頬にべったりと付着した血を手の甲で拭い、近づいてくる。いつのまにか両翼はしまわれていた。腕には汚れたコートがかけられている。

 鴉天狗警察は人に危害を加える妖怪を取り締まるが、それはひいては妖怪世界の安寧のためだ。彼らは基本的に妖怪のために存在している。だから私に味方をしてくれるのだろう。

 肩を握る手の力が緩み、私はふらふらと膝立ちで吉田さんに近づく。タイツ越しに感じる土は冷たかった。

 先ほどより色のない肌。ぼんやりとした瞳が宙を彷徨って、私の方を向く。吐き出された息が安堵の色を滲ませていたのは、私の自惚れだろうか。

 言い出しておいて申し訳ないが、これからどうするべきか分からず、ちらりと藤原くんの顔色を窺う。彼は私の視線を受けて唇を噛むと、逡巡するように目を動かし、ややあって唇を開いた。


「なるべく近くに寄ってやって」


 示されたすぐ脇に腰を下ろす。血塗れて湿った髪の毛を梳くように触れると、這うように吉田さんの手が動いた。血に滑る手のひらが、私の手首を掴んで引き寄せる。


「吉田さっ──」


 ぐらりと体が揺れた。体勢を崩した私は、吉田さんと額が触れ合うか触れ合わないかの距離まで接近する。か細い呼吸がすぐ近くで聞こえた。ぐっと近づいた距離に、対して私の息は詰まる。

 しばらくその状態で耐え忍んでいると、徐々に体から力が抜けていくような感覚が指先から広がり始めた。これが霊力を抜き取られているということだろうか。額が触れ合ったことを感じた瞬間、バツンと電気が切れたように視界が真っ暗に染まった。

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