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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第二十三話 地獄耳

 ことが大きく動いたのは、その次の日だ。

 週の最後の日を乗り越えた私は、とぼとぼと大学の敷地内を歩いていた。

 大事をとってもう一日休んだ素子は当然ながら不在。加えて吉田さんからは所用があるから友人と先に帰っていで欲しいと連絡が来た。残念ながらその友人がいないわけだが、まぁ一人で帰っても鴉天狗警察の誰かが私の周辺を見張っているだろう。

 ロータリーをぐるりと周り、バス待機列の最後尾に着く。授業後に教諭と雑談していたからか、既に列は形成されていた。何を考えるでもなく列が進むのを待っていれば、今まさに到着したバスに乗り込もうとしていた人がくるりと振り返る。

 藤原くんだった。彼はほんの少し瞳を動かして私の周囲に誰もいないことを確認すると、列を外れる。困惑する後続に曖昧な笑みで手を振ると、そのまま私のところにやってきた。


「こんにちは、舛花さん。今帰り? 一人なの?」

「こんにちは。友達が風邪で休んでて……。吉田さんも杜若先生のところに用事があるとかで」


 どことなくナンパの匂いを感じる文言に、苦笑しながら答える。断じてナンパではないのだが、彼の溌剌として明るい容姿と組み合わさると都会の雑踏が背景に見えるようだった。


「じゃあ一緒に帰ろうか」


 やはり彼ら的には私が一人でいることは心配なのだろう。もしくは私の気が抜けすぎていたか。後者だろうなと自戒しつつ、スマートフォンに視線を落とす隣の藤原くんを横目で見る。

 もっと“守られる側”“無力な人間”として自覚を持てとお叱りを受けそうだが、やはり平穏が続くとなんとなく大丈夫なのではないかと気が抜けてしまうのは、人間のサガだ。加えて四六時中警戒し続けることも、一人間の私の身には重たすぎた。とは言え、やはり気を抜いていた自覚はあるので、緩んだ意識をどうにかこうにか叱咤する。

 ひゅうと吹き荒れた風が冷たくて、これ幸いと戒め代わりにマフラーに埋めていた顔を出した。鼻の奥がツンとして、じわじわと鼻水が垂れてくる。目頭に涙が滲んだ。慌てて鼻を押さえ、ティッシュで拭う。ついでに目元に浮かぶ涙も払い、再びマフラーに顔を埋めた。

 私が一人静かに自爆していると、バスの待機列が動く。スマートフォンを取り出して時刻を確認した。この進み具合だと、次の次のバスには乗り込めそうだ。五分おきに来るはずだから、十分後か。


「それ、松太とお揃い?」

「そ、そうなんです」

「嬉しそう」


 そんなことを考えていれば、藤原くんがスマートフォンについたイルカのストラップを指差して問うてきた。思わず口角が緩む。

 だらしなくなった表情を指摘され、引き締めようと唇に力を入れていると、藤原くんはおかしそうに声を上げて笑った。


「松太も嬉しそうだったよ」

「はっ? あ、え……」

「人に紛れて生活する中で容姿を褒められたことは腐るほどあるけど、内面を褒めてもらえたのは初めてかもだって」


 そんなことを、言っていたのか。うっかり踏み抜いてはいけない地雷に足をかけたため、あまりいい思い出にはならなかっただろうなと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。


「ひ、百年も生きていて?」

「まぁ、僕たちみたいなタイプはあんまり人と馴れ合わないからね。そもそも関わりが薄いんだ」


 羞恥と歓喜を誤魔化すように、捻くれたことを言ってしまう。

 藤原くんはそれに気がついているのか、小さく笑った。吉田さんが嬉しがっていることが心底喜ばしいことであるかのように、優しい声音で語る。

 年長であるがゆえ、彼にはどうにも年下の鬼が我が子のように思えてしまうらしい。子が嬉しそうにしていると自分も嬉しいと、親心を炸裂させていた。

 それと同時に、自分の失言の重さを思い知る。その関わりのある数少ない人も美貌に惑わされているのなら、私ならもうハシビロコウのような顔で日々を送ることになりそうだ。


「花が芳しい香りを漂わせるように、僕たちが美しいのは当然だもの。まぁ、彼は鬼になったことを悔いてるフシがあるから」

「藤原くんも?」

「僕もそうだねぇ。多少は後悔があるよ」


 人として生きた平安の世を思い出したのか、藤原くんの目に哀愁が滲む。彼らは悲しみや憎しみを背負って身を鬼へと変えた。やはり総じて自分の見目に思うところはあるようだ。これからは今以上に気をつけなければならない。

 改めて心に決意を刻み込んでいれば、ピクリと肩を跳ねさせた藤原くんが顔を上げた。同時に私の項にもビリビリと痺れが走る。何かが来る。脳内を警鐘が反響した。藤原くんが周囲に注意深く視線を走らせ、眉間にシワを寄せる。


「イヤな予感がする……」

「こっち」


 ぐいと手を引かれて、待機列から引き剥がされた。そのままロータリーを抜け、図書館や二号館のある方面へと並木道を歩く。

 藤原くんの険しい横顔にこれは危機だと確信した私は、バックパックに結ばれた鈴を鳴らした。これで鴉天狗警察が気付いてくれるはずだ。


「教授のところに行こう。君を完全な場所に連れて行くことが先決だ」


 藤原くんが、歯の隙間から押し殺したような唸り声を漏らす。手を引かれながら小走りに足を動かす私の前に、ひらりと低空飛行するカラスが現れた。先導するように翼を動かす。


「あぁ、なるほどね。屋内で追いつかれないようにってわけ?」


 図書館の前を通り過ぎたあたりで速度を増したカラスに、藤原くんが独りごちた。そのまま二号館の前を早足で通り過ぎると、学校の敷地の端に向かう。

 聳え立つフェンスの向こう側に、雑木林が見えた。二号館は授業で使うこともそう多くないし、他にそれほど大学の敷地奥に行く用事もない。それ故にあのあたりものすごく緑が多いなとは感じていたのだが、雑木林があるとは知らなかった。


「ごめんよ!」


 鋭い声とともに、体が浮遊感を覚える。いつのまにか藤原くんに背負われる形になっていた私は、体にのしかかる重力を感じながら彼が跳躍していることを悟った。

 擦れるような音とともに、さして衝撃もなく藤原くんが着地する。そのまま間髪入れずに駆け出した。振り返った視線の先に、今しがた飛び越えたフェンスと見覚えのある男が映る。


「ここまでか」


 吐き捨てるような声とともに、両足が地面に着いた。木々に囲まれ、追いついた鬼と対峙する藤原くんが見える。上空を飛来するカラスが鳴いた。心臓が早鐘を打つ。

 藤原くんの口角が上がる。鬼が、口をだらしなく上げて笑った。風が動く。

 恐ろしく早い動きで近づいてきた男が、右腕を振りかぶった。思わず藤原くんを引き寄せようとすれば、逆にぐいと腕を引っ張られて藤原くんの背後に庇われる。非力な私は目を瞑ることしかできなかった。

 しかし、いつまで経っても衝撃は襲ってこない。


「なぁんて、ね?」


 何か硬質なものが二つぶつかり合うような音が幾度か繰り返され、獣の咆哮が響いた。恐る恐る目を開けば、透明な壁に阻まれた男が地団駄を踏む姿が肩越しに見える。

 鬼の特殊能力。ふと浮かんだ考えに、藤原くんを見上げた。ニヒルに笑んだ彼は、流れるように言葉を紡いだ。


「ほらほら、そんな叫び声をあげたら気がついてしまうよ? 地獄耳に。まぁ、もう気がついていただろうけどね」

「えっ……」


 煽るような声音に、彼の視線の先を辿る。

 額から二本の角を生やした吉田さんが、まさしく悪鬼といった形相でこちらを見据えていた。

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