第二十二話 いらない
一夜明けて、その次の日。
曇天に見下ろされながら、私はバスに揺られていた。吐き出した息が、窓を白く染め上げている。
昨日はらりはらりと舞っていた雪は、日暮れ過ぎに止んでしまった。もちろん降り積もることもないままに。依然空はどんよりと雲が覆いつくし、凍てついた風が吹き荒れている。雪やら霰やら雹やらが降り注ぎそうな空模様ではあるが、一応天気予報では終日曇りだった。
(……素子から?)
ふるりと震えたスマートフォンに視線を落とせば、素子からメッセージがあったことがわかる。ロックを解除してアプリを開けば、端的な「かぜ」「やすむ」とだけ送られてきていた。
どうやら昨日の寒さに敗北を喫したらしい。取り立てて身体の弱いというような印象はなかったが、さすがに雪の降る寒さには勝てなかったようだ。
友人が一人いないだけで、急に日々が無味乾燥なものになる。私の日常が素子に寄りかかりすぎだということを、まざまざと思い知った。
いつもより丁寧に板書をルーズリーフに書き込み、一日の授業を終える。本日最後の授業である四限は、情報リテラシーだ。デスクの上に出していたプリントと筆記具をまとめて片付けていれば、必修科目の弊害か、柳木くんと目が合った。
ものの見事にバチリと合致した視線に、嫌な予感がふつふつと湧き上がってくる。彼が吉田さんの正体を私に漏らしてからあからさまに避けられていたが、そろそろ頃合いだと思っていた。彼ならきっと、私の交際を聞きつけたら何かしら噛みついてくると危惧していたのだ。
「吉田松太と付き合ってるって?」
「……あなたに関係ないでしょう?」
不躾になされた質問に、隠せないトゲが滲み出る。来ると分かって待ち構えてはいたが、もう声のトーンからして腹が立つ。直接言ったこともあるが、そもそも私と彼は友人でもなんでもないのだ。知人程度の親しくもない間柄で問うにはあまりにも単刀直入すぎる切り出し方である。
「アイツはお前に相応しくないだろ」
私の態度に苛立ったのか、柳木くんはデスクに手をついて体重をかけた。一歩引き、その脇をすり抜ける。
あまりな言いように話をするに値しないとアピールしたつもりだったが、どうやら通じなかったようだ。柳木くんは私に追いすがるように隣に並ぶと、ひたすらに捲し立てた。
「知らないだろうから教えてやるけど! 鬼ってのは人の身に余る憎悪を抱いた奴がなるもんだ!」
「だから?」
「アイツは危険なんだよ! 憎しみが、いつお前に向かうか分からない!」
聞き流すには口汚すぎる文言を聞きながら、足を動かし続ける。立ち止まってしまえば、思わず拳が出そうだった。いや足かもしれない。とにかく吉田さんのことを何も知らないくせに好き勝手のべつまくなしにこき下ろし続ける彼には、今後一生好意的な感情は芽生えないなと思った。
今まで授業で使っていたコンピュータールームのある四号館を出て、裏手に回る。屋内と違って冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、思考を落ち着けた。
天を仰ぐ。のっぺりと広がる雲が、青空を覆い尽くしている。もう笑いすら漏れそうだった。
「大きなお世話」
「いいか? 今すぐ別れろ。もしお前が鬼から守られるためにアイツと付き合ってるとかなんだとか言うなら、俺が守ってやるから」
ぽつりと漏らした声に気がつかなかったのか、相変わらず上から目線でものを言う男である。この呼吸をするように人を“なんとなく”見下した態度が嫌なのだ。初対面から。
おそらく本人に自覚はないのだろう。けれど彼は初めて顔を合わせた時から「こいつは俺の得意な分野で困っているな。救ってやろう」という態度を隠し切れていなかった。
「要らない。必要ない」
守ってやる、ね。
そう思いながら、切り捨てる。吉田さんは彼が発端であるということもあるだろうが、一度だって「してやる」と言ったことはない。
「なんでだよ!」
「言ったでしょ。付き合う人間くらい自分で選べる。あなたに口を出す権利はないって」
「そもそもアイツは人間じゃないだろ。なぁ、わかってくれよ。妖怪は危険なんだ」
彼からしてみればさぞ私は扱いづらいのだろうなと、どこか他人事のように思った。彼は善意のつもりなのだろう。ヒーローが、ピンチに陥るヒロインを助けようとしている。そんな感じなのかもしれない。
そしてその頑固なヒロインが私だ。ヒーローの忠告を聞かず、悪役に肩入れしている。さながら敵に洗脳されてしまったような感覚なのだろうか。
だがそれは、あくまでも彼の認識での話だ。私は彼のヒロインではないし、そもそも知人とも言い難い。挨拶も自己紹介もそこそこに人の触れて欲しくない部分に踏み込み、これ以上立ち入るなと示してもズカズカ乗り上げるような男は、ヒーローでもなんでもない。
「私にとってはあなたの方が危険よ。ねぇ、一度でも私の意思を尊重した? 無遠慮に立ち入ってきてこっちの事情を勝手に探ってばかりじゃない。出発点からして好印象じゃないってわからない?」
はっきりと壁を打ち立てるように、固い声を紡ぐ。これまでもさして取り繕えてはいなかったが、それ以上に私を包む殻が崩れ落ちていくような気がした。
「善意でしょうよ。私が心配なんでしょ。でもね、何度も言うけど、私たちはそんな間柄じゃないし、あなたは私に信用されるための誠意を一度だって見せなかった」
「誠意って……」
「いつも高圧的で、私がまるで何も知らない馬鹿みたいにご高説を垂れていたじゃない」
訳がわからないというような顔を、柳木くんがする。
その瞬間、もうこれ以上何を話しても意味がないことを悟った。私の言葉は彼には届かないだろう。彼が何かをきっかけにして、自分は人に対する誠実さが欠けていると気づかない限りは。
自分が完璧だとは思わないが、あれだけあからさまに態度で示され、これだけはっきり言われてもわからないのは、ある意味すごいと思う。と同時にどうやっても分かり合えないことがわかった。
「最初から間違ってたの。私を軽んじる人間の言うことを信じられるわけないじゃない。だってあなたが私を信じてないんだもの。何を言っても響いて来ない」
「じゃあどうしろって言うんだよ」
「最初から私が嫌がることをしなければ良かったのよ。踏み込んで欲しくない空気を感じ取ったら身を引いて、誠意を持って再度近づいてきて警告してくれたら、私だって無碍にはしなかった」
これ以上話すことはない。最初から合わなかったのだ。
その善意だけは受け取っておくけど、私は私で信じる人も人生も選べる。そう締めくくって、その場を後にする。
バス停があるロータリーに出たあたりで、建物の外壁に身を預ける煤竹さんが目に入った。その表情に、聞かれていたことを悟る。
「すまない」
「いえ、守っていただく以上仕方ないとは思っています」
四限の後なのだから、辺りはもう暗い。いつもなら素子と一緒ではない時は吉田さんが待っていてくれるが、今日は用事でもあったのだろうか。
申し訳なさそうに眉を寄せる煤竹さんに、気にしないで欲しいと伝える。特に聞かれて困る内容でもないし、悪意のもとにやっているわけでもない。同情的な視線に苦笑いが溢れる。
「マツを呼ぶことも考えたのだが──」
「やめてくださいよ。それより、気になってたんですけど、マツって吉田さんのあだ名かなんかですか?」
少々強引な気もするが、かねてより気になっていた疑問を投げかけて話題転換を図った。
「そうだな。今でこそ吉田松太と名乗っているが、あいつの本名は吉田松太郎と言う」
「えっ」
思いがけない言葉に、問いかけておきながら疑いの目で見てしまう。視線を受けて、煤竹さんは珍しく戯けたように片眉を上げた。
だが、よく考えなくても当然のことだ。彼は百年程前の人だから、それだけ名前も古風なものになるはず。というよりその申告も正しいか定かではない。百を目処に二十ほど前後することも考慮した方がいいだろう。
「日本人の名前は流行り廃りが激しいからな。時代に合わせて名を変えるんだ。藤原はすごいぞ……」
思いを馳せたのか遠い目をする煤竹さんを見て、妖怪の意外な裏話にため息が漏れ出た。




