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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第二十一話 あゝ いもうとよ

 放課後に煤竹さんの話を聞いたあの日から、吉田さんがふと何かを考え込むことが多い。話の切れ間に、何かを思い出すような、遠い目をするのだ。それは時に愛おしげな色を宿していたり、悲しげなものであったり、隠しきれない憎悪の炎が垣間見えることもあった。

 何を思い悩んでいるのか、聞きたい。必要とされるのなら寄り添い、支えたかった。おそらくあの私を襲った鬼の身の上を自身に照らし合わせているのだろう。けれど、偽物の恋人である私に、そこまで踏み込む資格はない。デートの日に立ち入ってはいけない部分に足をあげてしまった恐怖が、心にこびりついていた。

 流れる時を止めることは、誰であろうとできない。時間は立ち止まることを知らず、突き進んでいく。冬休みが、目の前へと迫ってきていた。


「もういっそ、私のことを忘れてたりしませんかね。煤竹さんに恐れをなして逃げたとか」

「そうだといいね」


 吐き出した真っ白な息を、手のひらに当てる。はらりはらりと雪の舞う中、少しだけ散歩したいとねだった私に、吉田さんはあの何かを懐かしむような顔で頷いた。

 二人して並んで歩けば、自分が危険な輩に狙われていることなんて忘れて、本当に恋人と散歩をしているような気分になる。

 私のことなんて、忘れていればいい。それは本心だ。吉田さんや他のみんなが私を守るために傷つくようなことになったら嫌だし、もちろん私自身も痛い目には遭いたくない。

 忘れていて欲しい。そう思っていることは事実だ。けれどその願いの裏側には、下手に私に手を出すことで鴉天狗警察に捕まえられて、決着がついたりしないで欲しいという私の汚い願いが込められている。だってあいつが捕まって一件落着してしまえば、この偽装恋人関係は終わりを迎えてしまうのだ。

 これ以上進展しないでくれ。そんな醜い願いを隠すように、私は無理に明るい顔を作った。未だどこかぼんやりと遠くを見つめる吉田さんから離れ、空に向かって手を突き出す。


「吉田さん! 雪の結晶です!」


 手のひらに舞い降りた雪の花びらは、体温ですぐに溶けてしまう。それでも「見てくれ」と目の前に差し出せば、彼はキョトリと目を瞬かせた後、肩を震わせて笑い出した。


「わ、笑わないでくださいよ! 子供っぽいことしたって、今ちょっと恥ずかしかったんですから……!」


 ひぃひぃと喉を鳴らす吉田さんに、抗議の意図を持って拳を握って見せる。熱くなる頬を隠すように首をマフラーに埋め、ふいとそっぽを向いた。ふてくされたような態度をとったが、その実和らいだ空気に安堵する。

 一頻り笑った吉田さんは、目尻に滲む涙を指で払うと、空を仰いだ。


「いや、うん、そうだね。妹も同じことをしていたと思い出したんだ」

「イモウト……」


 笑いの余韻か、吉田さんが白い息を大きく吐き出す。立ち昇り瞬く間に消えるそれを目で追いかけ、私も空を見上げた。

 曇天から、雪が舞い落ちる。ひらりひらりと踊り、地面につくと溶けて消える。積もらない。私の想いのように。

 風が吹いて、その冷たさにふるりと震えた。鬼が寒さに耐性があるのかは知らないが、それほど暖かそうには見えないお洒落なコートを羽織った吉田さんは、躊躇うように視線を彷徨わせてから、徐に口を開く。


「……火事で亡くしたんだ」

「それは、妹さんを?」

「そう。僕たちは三兄妹で、薬屋の子として生まれた。今の日本橋のあたりにね」

「江戸本町ですか。確か、日本美術史の授業で少し触れた気がします。商店が多かったとか」

「正解だよ。……火事と喧嘩は江戸の華って言うだろう? ある日、例に漏れずうちも火事に巻き込まれた」


 仲のいい家族だった。時代柄、父と母は想い合って結ばれたわけではない。家のためにと親の決めた婚姻。それでも二人の相性が良かったのか、結婚生活は順調で、三人もの子宝に恵まれた。一人目と二人目は年が近いが三人目は少し離れていて、それがまた兄妹の仲を近づけた。

 家族全員が小さな妹を可愛がり、愛していた。兄と姉は遊び相手になり、父は仕事で出かけるたびにお土産を買ってきた。当時からしてみれば高齢出産であった母は産後体調を崩しがちになったものの、生まれてきた子を猫かわいがった。

 仲睦まじい一家は、幸せだった。どこまでも、どこまでも。あの日、紅蓮の炎が大切なものを焼き尽くすまでは。

 火元は隣家。季節は冬。乾燥した空気と、家の大部分を占める木に、火は瞬く間に燃え広がった。星の輝く夜空を背景に、炎が乱舞していた。火消しの声をどこか遠くに聞きながら、一人逃げ遅れた小さな妹を助けに、父親が単身で家に飛び込んだ。半鐘の音が、頭蓋の中を反響するように走り回っていた。


「それで、吉田さんは鬼に……?」

「いや、その時じゃない」


 愛する夫と末の娘を一度に亡くし、吉田さんの御母堂は心を病んだ。療養のためにと実家に戻り、彼と妹は父方の家に跡取りとして引き取られた。

 時は流れ、母は回復することなく彼岸へと旅立つ。葬儀に顔を出した青年は、残酷な母の死の真相を知ることとなる。


「母は人の悪意に殺されたんだ。妹が、お梅が生きていると甘言で母を惑わせた男がいて、母はお梅を探すために彷徨い、川に落ちて、そのまま……」

「ひどい……」

「母の葬儀でそいつが小声で文句を垂れているのを聞いたんだ。僕は生まれつき耳が良かった」


 せっかくの上玉。年増が生意気に。死んだ夫に操なんて立てて。死にかけてやがるから、希望を持たせてやったっていうのに。

 下卑た男が愚痴るように、連れ合いの男に吐き出していた。母のことだと、すぐにわかった。

 もう何も考えられなかった。あんなにも優しい人なのに、どうして踏みにじることができるのだ。


「目の前が真っ赤になった。悲しみと、苦しみと、なによりも憎しみが迸って、拷問のようだったよ」


 焦点の合わない、ともすれば虚な瞳が揺れる。時を超えて何もない空間に犯人を見据えているような、そんな目。

 何処かへ行ってしまうような気がして、コートの裾を掴んだ。言葉が出ない。幾度か引っ張ってようやく私の存在を思い出した吉田さんが、視線を揺らめかせながら振り向いた。


「君をつけ狙うことは許せないことだ。でも、僕はまだ、折り合いがつけきれていないようだね。まだまだだ……」


 自重するような笑みに、胸が締め付けられる。気がつけば、口が勝手に動いていた。


「折り合いなんて、無理につけなくていいです。そんなことがあって、似た境遇のあの鬼にシンパシーを抱かない方がおかしい」


 二人の身を変じたきっかけは厳密に言えば異なるが、吉田さんは“愛する人を理不尽に奪われる痛み”を知っている。その上あの鬼の愛する人は“タバコの火の不始末”という他人の巻いた種に巻き込まれ、奪われたのだ。襲われた本人である私でさえ多少なりとも同情的な思いを抱くのに、吉田さんは如何程だろう。

 無理はしないで欲しい。そんな気持ちを込めて見つめる。愚かにもいつまでもこの関係が終わらなければいいと考えた自分が恥ずかしかった。

 終わらなければならない。私と関わっていればいるだけ、彼は辛い記憶と隣り合わせだ。


「安心して。あの鬼に同情する気は多少あれど、手心は決して加えない」


 緩く穏やかに笑む吉田さんに見つめられ、その痛々しさに私は言葉を無くし、何も答えることができなかった。

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