第二十話 正体
珍しく顔を出している太陽の光を浴びて、バスのステップを降りる。一本早いものに乗っていたのか、停留所にはすでに到着していた素子がベンチに座って待ち構えていた。
冬らしく風は冷たいが、太陽光は暖かい。自宅から駅まで歩いた時は、うっすら額に汗をかいたほどだ。それでもマフラーやコートを手放す気には全くなれないが。
ブーツのかかとを鳴らしながら、素子に近づく。人混みから私を見つけた彼女は、ひらひらと手を振った。私もコートの袖に仕舞い込んでいた手を出して、小さく振り返す。
お互いがお互いを認識して、素子は寒さに険しくしていた顔を綻ばせた。口元を覆っていたマフラーを引き下げ、私の頭の天辺から足の先までを舐めるようにして視線を滑らせる。
「おはよ、澪。デートは……よかったみたいね」
少々呆れたような顔で、素子がこぼした。そんなに顔が緩んでいただろうかと、挨拶を返しながら頬に触れる。
どうやら相当締まりのない顔をしていたらしい。口角はふにゃふにゃと上がり、頬の肉が盛り上がっている。ペチペチと顔を叩いて引き締めようにも、効果はなかった。冷たい指先に一瞬頬に力が篭るも、すぐに弛緩してしまう。
「すっごく、最高だった。かっこよかったです……」
昨日のデートを思い出せば、自然と顔がゆるゆるになってしまうのだ。もうどうしようもない。
あの後、私たちは少々ぎこちなさは残ったものの水族館を堪能した。元から昼過ぎの待ち合わせだったために、外へ出た時にはすでに夕暮れ。水族館と隣接している商業施設で少しばかりウィンドウショッピングに興じた後、二人で屋上庭園のイルミネーションを楽しんだ。
夕食は堅苦しすぎないレストラン。年上──約百歳──の威厳のために奢りたい吉田さんと、ご迷惑をおかけしている以上自分の分は払いたい私で熾烈な争いが繰り広げられたが、結局割り勘で落ち着いた。デザートを頼んだ分私の方が値段は高かった筈なのに当分されてしまい納得は行かなかったが、吉田さんが癌として譲らなかったのだ。
最高だった。それはもう。完璧なデートだった。偽装交際であると言うことを思わず失念するくらいには。
「ね、そのストラップもしかして、」
コートのポケットからはみ出たストラップを素子が指差す。スマートフォンのケースに結びつけられたそれは、白状しよう、意図的だった。自分の幸福を見せびらかしたかったのだ。たとえ本物ではなくとも。
「お揃いなの」
顔の前にスマートフォンを翳す。揺れるイルカと目が合った。色違いのこれが、吉田さんのバックパックについている筈だ。
「イルミネーションは? 見た?」
「見た。もう最高」
顔と共に語彙力も解けた私は、そのあと「最高」を連発し、放課後まで惚気倒したのだった。
その二日後に、煤竹さんから呼び出しがかかった。念のためにと交換していた連絡先に、伝えておきたいことがあるとメッセージが送られてきたのだ。
上級生である煤竹さんは時間割にゆとりがあるが、一年生の私は上限いっぱいまで詰め込んでいる。それ故に全休も午後休もないので、妥協して三限までの日に予定をとりつけたらしい。本来ならば月曜が良かったが日の短い冬に遅くまで拘束するのは忍びなかったと言っていた。
放課後にサークル活動がある素子と別れ、バスに乗る。大学の最寄駅にある喫茶店が待ち合わせの場所だ。
ちらりと店内を見回せば、先に入っていた先輩たちは一瞬で見つかった。一画だけ、異様にオーラを放つ集団がいるのだ。人目でわかる。そこには待ち合わせ相手の煤竹さんだけでなく、吉田さんと藤原くんが揃っていた。
「お待たせしました」
ホットココアを注文してテーブルに着けば、挨拶もそこそこに話が始まる。煤竹さんが、スマートフォンをタップしながら口を開いた。
「烏羽さんの調査が終わった。時間がかかってすまない。隣町の火災を覚えているか?」
ネットニュースの記事と共に切り出された話に、記憶を探る。日付を見る限り、夏休み前だ。記憶を浚えば心当たりがあった。
あれは期末テストの直前。午後の講義が連続して休講になり、昼食をとったにも関わらず帰宅しなければならなくなった日のことだ。素子と共に電車に揺られている最中、住宅街から黒煙が立ち昇っているのが見えたのだ。
「確か、女性が一人亡くなったとか」
「後日監視カメラの映像からタバコの火の不始末が原因だと判明したものの、容疑者は警察が動く前に突然死したってネットで騒ぎになってた話かい?」
「それだ。その被害者の恋人が鬼になったらしい。舛花さんに目をつけた男だ。特に生前我々が目を掛けるような特徴がなく、見逃していた。鬼に変じる者の多くは、霊力の強い人間だからな。不覚をとった」
くしゃりと、煤竹さんの手の内で空になった紙製のカップが潰れる。
恋人を亡くした悲しみで、鬼に身を堕とした。彼らの世界では度々あることらしい。私には馴染みがないが、吉田さんも藤原くんも共感を示すように頷いている。
鴉天狗警察の調査したところによると、男は鬼になったことで手に入れた特殊能力を用い、警察より先に犯人を見つけ、タバコを捨てた人間を殺害したとのことだ。
「てことは新入りか。厄介だね」
「新入り?」
湯気の立ちのぼるコーヒーに口をつけた藤原くんが呟く。言葉こそ聞いたことはあれど、私の知るものとは別のニュアンスを感じて問いかけた。
三人は一瞬キョトンとした表情を浮かべ、一拍置いて合点のいった吉田さんが口を開く。
「人から身を転じたばかりの鬼だよ。魂と霊力の話はしただろう?」
曰く、人間から妖怪へと身を変じると、魂が解けて霊力の全てが妖力へと変貌を遂げる。これは妖怪の力の源で、純粋な妖怪は人々の畏れなどの“信じる力”を妖力に変換するが、そうではない妖は周囲の人間から集めた霊力を妖力に変換する。それ故に、変じたばかりの元人間の鬼は魂の名残である妖力の保有量が膨大で、力が強いらしい。
「それに、後天的な鬼は往々にして凶暴なんだ」
「……吉田さんは、確か元人間では?」
「そう。僕みたいな鬼は例外だよ。人間が鬼に身を転じるには、強い感情がきっかけになる。大体が怨みや悲しみ、憎しみによって変貌を遂げるから……」
今回私を襲った鬼も、恋人を亡くした強い悲しみから身を堕とした。おそらく急死した容疑者も、鬼の仕業であろう。
そして往々にして凶暴な鬼は妖怪の世界の決まりに抵触する。そうなれば鴉天狗警察の粛正対象となるのだ。そのせいで、元人間の鬼は数が少ないらしい。
「僕は陣さんに拾われたから、こうして人の世に溶け込む道を見つけたけどね」
「杜若の一派は特殊だ」
「そもそも長生きする後天的な鬼が少ないからねぇ。でもいないわけじゃないよ? 僕らみたいなのは効率のために群れを作るから、固まってるだけで。花緑青の一族や、石竹一家とか」
私の知らない鬼事情を、ココアに口を付けながら整理する。ちらりと見た吉田さんは、コーヒーのカップを両手で握りしめて、水面を一心に見つめていた。彼には何が見えているのだろうか。
「まぁ、どんな理由であれ無関係の人間に危害を加えるのは鬼の面汚しだ。到底許される所業じゃないね」
藤原くんが、コーヒーの入っている紙カップを音を立ててテーブルに置く。殺しきれなかった憤りが、言葉の節々から滲み出ていた。
屋外に面した窓から射し込む夕日に目を細め、吉田さんも何かを決意するように拳を握りしめた。




