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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第十九話 デート

 交際が始まったからといって、何かが大きく変わるわけではない。そもそもが偽装交際であるし、テスト期間前だ。

 それからの毎日は雑巾を絞るように脳味噌を酷使してレポートを書く日々だった。興味を持って受けている講義ならまだしも、必修科目の間の空きコマを埋めるために取った授業のレポートは、本当に遅々として進まない。百字書いては悩み、二百字書いては五十字消し。ついには通学の電車内でスマートフォンを使って文字を綴る始末だった。

 問題の私に目をつけた鬼の方だが、こちらも特にこれといった何かはない。鴉天狗警察の警戒のおかげか、静かなものだった。時折視線が気にはなったが、身の安全には代えられない。

 その中でも、一応恋人らしいことはしていた。はずだ。素子だけ帰りが遅い日に一緒に帰ったり、素子が気を遣って私を吉田さんのところ追いやった日にお昼を一緒に食べたり。恋愛ごとに疎い私ですら高校生レベルではと思っていたが、概ね順調と言えるだろう。


「あー、終わったぁ!」


 日本美術史の中間レポートの提出が終わり、教室を飛び出した素子が大きく伸びをした。杜若教授の「しっかり読ませてもらうよ」というコメントにビクビクしながら後を追いかけ、冷えた廊下を歩く。

 窓の外に見える木々は、すっかり寂しげな様相を呈していた。枝から離れた葉っぱが、はらりと螺旋を描いて落下する。

 その先にある食堂の入り口に、吉田さんと藤原くん、煤竹さんの集団が見えた。こちらに気づかずに、三人は自動ドアの先に消える。


「ね、吉田さんとデートとか行った?」


 唐突に耳元で声がした。興味の隠しきれない弾んだ声に、思わずジロリとその主を睨め付ける。

 からかわないでと軽く肩を叩けば、笑顔の素子が大袈裟によろめいた。小突かれた肩を押さえてわざとらしく悲鳴を上げる。見事なまでの棒読みだった。


「でも、テスト期間終わったし、そろそろイルミネーションとかの季節じゃない?」


 階段を降りながら、立ち直った素子が言う。

 確かにそうだけれど、もとより彼は私を守るために側にいる理由づけとして交際しているのだ。わざわざ無用な外出をして、仕事を増やすというのも申し訳ない。彼だけではなく鴉天狗警察も絡んでくるのだ。

 そんな私の葛藤を知らない素子は、食堂の入り口でサークル仲間に呼び止められたのをこれ幸いと、私に吉田さんがいるテーブルを示す。

 声が聞こえたのか、吉田さんがこちらを見た。ひらひらと手を振られて、控えめに返す。気を遣ってくださったのか、一緒にいた煤竹さんと藤原くんが吉田さんを小突いて席を立った。


「澪! ファイト!」


 拳を握り鼻息の荒い素子がガッツポーズを見せる。相変わらずだなと思いながら、曖昧に頷いて背を向けた。

 案の定、吉田さんは開口一番に素子の発言の真意を問うてくる。この距離なら、聞こえていてもおかしくはない。

 テーブルの上に昼食のパンを広げながら、なんと言ったらいいものか迷う。正直に話して気を使わせてしまうのも悪いし、嘘を吐くのは後ろめたい。


「素子、私の恋バナを期待してて……」


 苦笑しながら濁して伝えれば、吉田先輩はひょいと眉を上げた。

 口元に指をあてがい、思案するように視線をテーブルの上に落とす。気を使わせてしまうことは避けられなかったようだ。なんとか誤魔化してみる旨を伝えるも、心ここに在らずといった様子で頷くだけ。

 ややあって顔を上げた吉田さんは、口から話した指をパチンと鳴らした。


「じゃあ、行こうか。デート。あー、水族館とかテッパン過ぎるかな?」


 放たれた言葉に、思わずむせてしまう。飲み込みかけたお茶がおかしなところに入り、咳き込んだ。

 まさか避けようとしたルートに進んで入ってくるとは。その上護衛しやすいとはお世辞にも言い難い場所だ。人混みに鬼が紛れて近づいてきたりしたら、ひとたまりもない。


「いや、わざわざそこまでしなくても……」


 慌てて手を振りながら必要ないと申告するものの、逆に悲しそうな顔をされてしまった。

 垂れた眉が、あまりにも悲哀を誘う。意図しているのかしていないのか、藤原くんにも通じるが少々子犬っぽさを感じさせる顔が悲しみに歪んでいると、罪悪感が凄まじかった。

 その二日後──。


「本日は、よろしくお願いいたします」

「いっぱい楽しもうね」


 都内にある水族館の前で、私は吉田さんと向き合っていた。見渡す限りの人、人、人。当然だ。日曜日なのだから。

 隣を歩く澄ました顔を見上げる。見た目も整っていれば性格や行動も出来たもので、私が待ち合わせ場所に着いた──到着は十分前だった──時にはすでにそこにいたし、なんならチケットも持っていた。さりげなく背に添えられた手。入館してからすぐの階段での気遣い。全てが完璧である。至近距離でクラゲの水槽から動きたくないと駄々をこねる子が号泣していても、苛立つそぶり一つ見せない。


「泣いてる子供とか、平気なんですか?」

「人の子の一生なんてただでさえ短いのに、ああして泣ける期間はさらに短いからね。君は苦手?」

「少し」


 何か欠点の一つでもないものかと問い掛ければ、次元の異なる返答が返ってくる。

 人並みの頭越しに大水槽を眺める彼は水に反射する照明の青い光を浴びて、まさしく人外の美しさを持っていた。


「手を繋ごうか」

「え」

「嫌かい?」


 不意に提案されて、思考が止まる。デートである以上手を繋ぐことは不自然ではないが、少々恐れ多かった。私はどうも吉田さんを神聖視しすぎているきらいがある。まぁこの人並外れた美貌はある種の畏怖を抱かせるものであるし、本人も正しく人間ではないのだが。

 イワシの群れが水槽で渦巻いて、影ができた。仄暗さで染まる頬が見られないといいなと思う。


「嫌、じゃないです、けど……。ご自分の見目が麗しいことは自覚してらっしゃいますか?」


 緊張ゆえか、やたらと丁寧な言葉が口から飛び出た。吉田先輩は目を丸くして驚くと少し悲しそうな、寂しそうな顔をした。


「この顔も、声も、匂いも、触れた感覚も、君たち人間を釣る餌だ」

「エサ……」

「だから、まぁ、美しいんだろうね」


 私を向いていた視線が、水槽に向く。悠々と泳ぐサメが、視界を横切った。水族館のサメは飢えていないから他の魚を襲わないという豆知識が脳裏に浮かぶ。

 そうだ。彼はこのサメなのだ。比較的気性が穏やかで、人とすれ違うだけで腹を満たすことができるだけで、捕食者なのだ。

 物悲しそうな顔に、吉田さんがその美しさを望んで得たわけではないことが伝わってくる。吉田さんは人から鬼になった。つまり、この美しさはある程度は人であった頃から引き継いでいるだろうが、鬼になったことにより手に入れたものだということだ。

 踏み込んではいけない部分に踏み込んでしまった。申し訳なさから、自然と視線が下を向く。


「その優しさと、誠実さは、餌じゃないでしょう?」

「え……」


 目を合わせずにした問いかけに、吉田さんがこちらを見た。横顔に突き刺さる視線を感じながら、水槽で行き交う魚たちを眺める。

 彼の魅力的な部分は何も顔だけではない。フォローするには今更遅いかもしれないが、ポツリと溢すように呟いた言葉は彼に届いたようで、小さな声で感謝の言葉が帰ってきた。

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