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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第十六話 恋人

 好きになった人が百歳年上だった。なかなか体験できない状況だろう。とても貴重だ。ある意味ラッキーと言える。

 そうやって思考を無理やりポジティブにねじ曲げた私は、眠れない夜を過ごして次の日を迎えた。当然だ。眠れるわけがなかった。考え方をどれだけ変えようと、片想いの相手が百歳年上だった事実は変わらない。年の差恋愛どころの騒ぎじゃないのだ。妹どころか、彼から見た私は玄孫──曽孫の子供──くらい年下なのである。おまけにあの後もう一つ爆弾を落とされた。

 それでもここ数日の悩みの種であった吉田先輩の鬼疑惑に整理がつき、恋する乙女へと立ち戻った私は、眠い目をこすりながら朝の電車に揺られていた。

 一限から出席である本日は、通勤ラッシュに直撃している時間帯に電車に乗らねばならない。いくら都心から離れた地域の下り方面電車といえど、この時間帯は否応なしに混雑する。

 後ろに立つ人の前に回したリュックで押され、背骨がくの字を描くように曲がってはいけない方に曲がっているが、致し方ない。涙を堪えて、ドアに張り付きながら外を流れ行く景色に視線を向けた。

 次第に電車がスピードを落とし、駅のホームへと入っていく。ゆっくりと停車した瞬間、私はドアのガラス越しに後光が射さんばかりの美男子と目を合わせてしまった。

 言わずもがな、吉田先輩だ。

 この駅では降車人数も少なければ乗車人数も少ない。パラパラと人が吐き出される中軽い足取りで乗り込んだ先輩は、私の前に立つとくるりと立ち位置を入れ替えた。アナウンスと共に、背後でドアが閉まる。


「おはよう。舛花さん」

「ぉ、おはようございます。吉田先輩」


 まるで宝飾店のパンフレットだ。さながら生ける輝石。芸術品。

 これが高校なら密かなファンクラブができているだろう。幸い学生の数の多い大学ゆえ、なんとか注目を集めずに済んでいるのだろうが。いや、私が知らないだけで既にファンクラブの一つや二つあるのかもしれない。

 にっこりと完璧な笑みを浮かべた先輩は、体を支えるようにドアに腕をついた。


(アッ、壁ドン……)


 恋愛方面の世俗に疎い私でもわかる。これは数多の女子をときめかせた壁ドンだ。好感のない相手にされたらハラスメント以外の何者でもないが、そうでなければ閉塞感と圧迫感のドキドキで心臓が熱いビートを刻む壁ドンだ。

 内側から肋骨を圧迫し始めた主張の激しい臓器をどうにかこうにか宥め透かし、そろそろと顔を上げる。至近距離で目に入ったご尊顔に、口から小さく悲鳴が漏れた。


「ぁ、あの! 吉田先輩も、一限からですか? 二年で一限もあるって、珍しいですね」


 それを誤魔化すように、緊張のせいかやや上擦り気味の声で問いかける。想定外に早口になってしまい、頬が熱くなった。微笑ましげな先輩の視線が痛い。完全に孫に向ける視線だった。


「その先輩ってやつ、やめない?」

「え……」

「僕たち、恋人だろう?」


 話題がアクロバティックな転換される。提案の形で切り出されたのは呼び名の変更だった。理由は、恋人だから。

 そう、恋人。私と吉田先輩が、である。これこそが、昨日投下された二つ目の爆弾である。初撃で四散した私は、時間を気遣ってくれた吉田先輩と共に帰路についていた。帰路と言っても、駅までは大学バスが走っている。中途半端な時間の、ガラガラの車内で、彼はある提案をしたのだ。

 それが、私たちが恋人同士になること。しかしその実態は偽装交際である。私がいつ狙われるともわからない身である以上、極力そばにいた方が効率がいいからだ。

 おまけに、あの日私を襲った変質者の鬼は、今もどこかに潜伏しているらしい。一度妖怪の世界における警察組織に捕まったのだが、拘束を抜け出して脱走したのだ。吉田先輩が頑なに私の護衛を望むのは、それも理由の一つ。自分が原因になって私が目をつけられた上、一度襲われた挙句犯人は野放し。私が彼の立場だったら意地でも自分でなんとかしたいだろうなと思った。

 だからといって片想いの相手と偽装交際を素直に受け入れられるかと言われれば、答えは否だ。


「じゃあ、吉田さん……」

「んー、まぁいいか」


 蚊の鳴くような細い声で返せば、吉田先輩──もとい吉田さんは少し不満そうながらも頷く。お兄ちゃんとでも呼んで欲しかったのだろうか。流石に恐れ多くて「松太(しょうた)さん」なんて口が裂けても呼べやしない。


「あ、さっきの質問だけど、一限はないよ。君に会えるかなって思って」


 不意を突かれ、思考が止まった。頭半分高い位置にある顔を、ぼんやりと眺める。まつ毛が長い。髪と同色の深みのある瞳に吸い込まれそうになって、ようやく我に返った。

 この人は自分の顔立ちの美麗さを自覚していないのだろうか?

 あまりにも発言が、軽率だ。うっかり私が惚れてしまったらどうするつもりなのだ。もう手遅れだが。


「アー、なるほど?」

「そう言えば、ポータル見た?」

「……家出る前に見てきましたけど」

「ついさっき西洋古典文学の休講のお知らせ出てたよ」


 混乱を引きずる私をしってか知らずか、何食わぬ顔で会話が続けられる。こちらも動揺が表に出ないように気を払いながら、なんとか頭を急に空きコマになってしまった三限に向けた。

 丁度いい。十一月末から十二月頭にかけては中間レポートとテスト祭りだ。素子と情報教室でレポートと取っ組み合うのもいいだろう。


「よかったらさ、お昼一緒に食べない? 三限の時間も、一緒に過ごしたいなって思うんだけど」

「はい?」


 どうにかこうにか通常運転に戻した思考を、唐突な提案が乱した。もういっそこのまま混乱し続けていた方が安泰なのではなかろうか。どうせ乱されることはわかっているのだから。


「え、一緒に食べる子がいるんで、聞いてみます」


 先輩の肩越しに反対側のドアのガラスから見える景色を眺める。この大層好意を集めそうな顔にこんな返しをするのもなかなかいないだろうなと思いながら、なるべく落ち着いているように聞こえることを願って答えを返した。


「いつの間にそんなことになったわけ? 昨日のうちにメールしてよ! もう、もう私のことは気にしないで! 行ってきなよ!」


 目を輝かせた素子が、興奮を抑えきれないと言った様子で捲し立てる。

 ところ変わって一限のライフプラン・キャリアプランの講義が行われるホール。学科混合でいっぱいになっているせいで声量は抑え気味だったが、その分溢れるパッションが瞳に滲み出ていた。


「いやぁ、どっちが告白したの? あ、待って! 言わなくていいよ個人的なことだから! でもなんか吉田先輩に避けられてるってなった時は心配したけど、よかったよかった。あ、おめでとう!」

「あり、がとう」

「えー、あの吉田先輩が澪のこと避けてたのって、なんか照れてたりとかそんなん? 意外と可愛いとこあるんだねぇ!」


 立て板に水の勢いで、素子の口から言葉が紡がれる。恋に敏感な乙女はすごいなと、自分のことを棚に上げて感じた。

 おそらくその避けられていた理由は照れていたわけではなく、私が下手に執着されないようにと彼が距離を置いたからだ。効果はなかったが。そもそも私たちは偽装交際関係なのだ。

 あまりにも我が事のように喜んでくれる素子に、多少の罪悪感を感じる。講義が開始しても定期的に喜びを噛み締める様子を見せる素子に、後ろめたさが募った。

 お昼休みの始まりと同時に、笑顔の素子に吉田さんとの待ち合わせ場所に送り出される。肌寒い風を浴びて歩きながら、ほんの少し沈んだ気分を持て余した。

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