第十五話 理由
午後、それも夕方に近い時間になると、十一月の半ばともなれば流石に冷えてくる。建物の内と外を隔てるドアを開けた瞬間、冷たい風が吹き込んできて思わず身体に震えが走った。パーカーの上に羽織ったデニムジャケットの前をかき合わせ、一歩踏み出す。
茜色の空は端から群青に染められつつあり、日が短くなっていることを見に染みて感じた。夏場ならまだもう少し明るいだろう。
それ故に、申し訳ないが素子には先に帰ってもらっている。話がどれくらいで終わるか分からない以上あまり待たせるのも悪いだろうし、話の内容的に巻き込むことは気が引けた。まぁ心配をかけさせてはしまうのだろうが。
一号館の中庭は冬の空気を纏いつつあり、どこか物悲しげだった。先に到着していた吉田先輩が、ベンチに座ったまま軽く手を上げる。会釈を返しながら近寄れば、バックパックを退かした左隣の空白を示された。座れという意味だろうか。控えめに腰を下ろして様子を伺えば、おもむろに先輩が唇を開いた。
「なるべくサクッと話を終えられるように、考えていたんだ」
「まとまりましたか?」
「考えれば考えるほど、君に伝えておくべきことが多すぎてまとまらない」
困ったように眉を下げて、吉田先輩が肩を竦める。緩く握った拳で組んだ足の膝を軽く叩き、言葉を探るように口を開閉した。ややあって、意を決したように話し始める。
「鬼は魂を食べる。それは真実だ。“そう”人々に想像されたからね」
辺りが薄闇に染まる中、静かに吉田先輩の声が紡がれた。語り部は私が疑問に足止めされていないかを確認しつつ、話を進める。
「でも妖怪は“信じる力”があれば存在し続けることができるんだよ。つまり鬼だからといって必ずしも魂を食らう必要があるわけではない。勿論、食べることはできるけどね」
語られた言葉は、少しお千代さんから聞いたものとは異なった。彼女の口ぶりでは人の魂が鬼の主食という風だったが、その実どうやら存在の存続のためには他の妖怪と同じように人に信じられることが重要らしい。
サプリメントのような扱いだろうか。もしくは嗜好品。
相槌を打ちながら、横に座る吉田先輩を盗み見る。どこか遠くを見つめる眼差しが、ゆらゆらと揺れた。何かを思い出すように焦点がぶれて、それを堪えるかの如く固く目を閉じる。
「けど僕みたいに、人間から鬼に変化した場合は異なる。ベースが人なんだよ。“信じる力”で生まれたわけじゃない。だから、本当に魂を食べなければならない」
感情を押し殺すような低い声だ。何かを後悔するような。人が鬼に変化する過程でなにが起こるのかは私の預かり知らぬところだが、吉田先輩は望んでそうなったわけではないのかもしれない。
だとしたら、自分の命を人の魂で食いつなぐことは、彼にとって苦しいことなのではなかろうか。そんなデリケートな部分を話すような間柄ではないので聞くことは憚られるが、苦々しさの滲む横顔は見ているだけでも辛い。
「ここからがややこしいんだけど……」
口元に手をやった吉田先輩が、考え込むように言い淀む。口の端から言葉にならないただの母音が漏れた。ややあって、探るように口を開く。
「霊力の話を覚えてる?」
「ええと、魂から漏れ出る生命力みたいなもの、でしたっけ?」
仕切り直すような問いに、首を傾げながら答えた。本当は昼休みの話を三限と四限の間に何度も思い返していたから、悩むまでもなく出てくる。けれどそれがバレることはなんとなく嫌で、誤魔化すようにわざと考え込んで見せた。
そうして出された私の返答に、吉田先輩が深く頷く。そうして紡がれたのは、たしかにややこしい、昼休みの説明を詳しくした内容だった。
曰く、魂は霊力の塊である。そして一般に人間は魂の残滓──つまり塊から解けた霊力を常に放出している。世に言う霊能力者はそれの扱いに長けた者で、霊力を自在に操ることによって人知を超えた力を発揮するのだとか。そういった人は、私のようにノーガードの魂ではなくても幽霊や妖怪を認識できたりするらしい。実に羨ましいことだ。
「だから僕たちは魂を食べなきゃいけないけど、生活する中ですれ違う人がこぼした霊力を拾い集めて取り込むだけで、十分生きていけるんだよ」
「なるほど?」
頷きながら、これがどう私を守りたがる理由に繋がるのかと首を捻った。先輩は私を守る理由としてそばに置くことで存在の安定化を図ると言っていたが、霊力を糧とすると分かった今、わざわざ私が必要とも思えない。
いや、わざわざ集めずとも、守るためにそばに置いた私が垂れ流している霊力を摂取した方が効率がいいのだろうか。話の前後を鑑みて、私を丸め込むための方便という可能性もある。
そんな私の疑問を感じ取ったのか、吉田先輩が重々しく口を開いた。
「あいつが君に目をつけたのは、僕が君を図書館で庇ったからだ。最初はただ単に霊力目当てで後をつけただけだと思う」
けれど、追跡中に私が吉田先輩に助けられた。鬼であるあの変質者は、先輩が自分だと瞬時に見抜いたらしい。そして、こう思った。
「君が、鬼が囲うほどの魂の持ち主だ、ってね」
どんなに美味しいパンも一欠片だけではたいして味がしないのと同じように、魂も残滓のみでは味の如何は判別できないらしい。その中で、本来は道行く人の霊力を掬い取るだけで事足りる鬼が、わざわざ囲う魂の持ち主を見つけたらどう思うか。
吉田先輩は先ほど魂をご馳走に喩えたが、それは私の魂そのものではなく、“吉田先輩が助けた”という付加価値があってこそご馳走だと思われたわけだ。
実際は偶然助けていただいただけの関係だが、そうは見えなかったのだろう。
「罪の意識ってことですか……?」
「半分は」
「はんぶん……」
ならばもう半分は。問うように吉田先輩の目を見つめれば、視線から逃れるようにそっぽを向いて押し黙る。たっぷり時間を置いて、やがて観念したようにため息をついた。
「初めて会った時から、どうにも放っておけない気がして……」
「っ! そ、それって……」
ほんのりと頬を染めながらされた告白に、思わず息が止まる。夕陽のせいではないだろう。四方を囲む建物のせいで空は四角く切り取られているし、なんなら沈んでいる。
途端に力強いビートを刻み始める心臓に、すっかり頭から抜け落ちていた淡い恋心を思い出した。吉田先輩の鬼疑惑やなにやらの怒涛の流れに思い起こす隙すらなかったが、私はこの人に淡い恋情を抱いているのだ。
現金なもので、思い出した途端に吉田先輩がやけに煌めいて見える。中庭の中腹にぽつねんと立つ街灯に照らされた横顔が、長く伸びた睫毛の先まで輝くようだった。
生唾を飲み込んで、続く言葉を待つ。
「妹に似てるんだよ」
「イモウトニニテルンダヨ?」
中庭を、冷たい風が駆け巡った。思わず文章ではなく文字を繋げただけのような、合成音声のような辿々しさでおうむ返ししてしまった。
妹に、似てる。
「僕には二人妹がいるんだ。君はどこか、下の子に似てて……」
よりにもよって下の妹。
どこか懐かしむような表情の吉田先輩に、絶句する。打ち砕かれた期待に涙さえ出そうだった。
「妹って、私は先輩と一つしか違いませんけど……」
ぽつりと漏らしたふてくされたような声に、先輩は目を丸くして吹き出す。一頻り笑うと、ひぃひぃと乱れた呼吸で、息も絶え絶えになりながら爆弾を落とした。
「僕、多分君より百歳くらい年上だよ」




