第十四話 申し出
「過度な守護はお前の責ではない」
突き放すような低音が、私の鼓膜を刺した。どこか晴れ晴れとした表情の吉田先輩と異なり、ご友人はいまだに険しい顔をしている。純黒の瞳は刃のように鋭く、私を切り刻まんばかりに睨み付けていた。
「こんなにも純真なんだよ? 疑うことを知りもしない!」
「う、疑ってますよ! 私も!」
その鋭利な視線から庇うように私とご友人の間に移動した吉田先輩が、声を上げる。あまりにもな言い草に反射的に抗議の声を発したが、ご友人の冷たい視線を前にしては後を続けられず、押し黙ることしかできなかった。
吉田先輩と行動を共にしている以上、彼も人ならざるものなのであろう。焦げ付かせるような視線は、彼の妖怪の力的なものの作用なのか、それとも生まれ持っての眼力が鋭すぎるのか。
突き刺さる視線を避けるように、吉田先輩の背中に隠れて縮こまる。
「何故会って三度ばかりの人間に執着する。いつも通り我らに任せればいいだろう」
「彼女を狙う鬼は僕の気配を嗅ぎつけたんだ。僕が責任持って守る必要があるだろう?」
淡々と、冷たい声が吉田先輩を問いただした。
話を聞く限り、どうやら私があの変質者に目をつけられた理由の一端が吉田先輩なのだとか。私を鬼である吉田先輩の寵愛を受けた人間──つまりペットと勘違いして、襲ってきたのだそうだ。
「ペット」
説明を受けて思わず神妙な顔をしてしまった私に、吉田先輩が「まぁ、存在の安定化の為に人間をそばに置く妖怪はいるからね」と変な慰め方をする。
でも、仮に私が吉田先輩のペットだとして、何故わざわざ襲うのだろう。鬼が人の魂を食らうということはお千代さんから聞いた。であるならば、普通に考えて他人、いや他鬼のお手つきではない人間を狙う方が理に適ってるのではなかろうか。
考え込む私の思考を遮るように、吉田先輩が私を呼んだ。
「君はね、霊力が強すぎるんだ」
「霊力……?」
「厳密に言えば、漏れてる」
困ったような顔をした先輩が、言葉を探すように視線を彷徨わせる。
曰く、霊力とは魂から滲み出る生命力のようなものらしい。人は生まれた瞬間は魂の防御力がゼロに等しく、成長するにつれて防御壁のようなものができていく。喩えるならフィルターだ。世界にはそのまま受け止めるにはあまりにも衝撃的なものが溢れており、いちいち真に受けてしまえば心がボロボロになってしまう。それを「ちょうどよく」「話半分に」聞くことができるようにするのがフィルターの役目だ。
よく「何もないところに向かって微笑みかける赤ん坊は幽霊が見えている」というような俗説を聞くが、あながち間違いではないのである。彼らはありのままにその存在を受け止めている為、実際に見えているのだ。成長と共に親や友人から否定されたりして、だんだん疑心が芽生えることで見えなくなってしまうだけで。
そして私はそのフィルターが異様に脆いらしい。吉田先輩が感じ取った限りでは、構築されはするのだが、肝心なところで瓦解する。
「もしかして私が変なところで警戒心をなくすのも……?」
「それが原因だと思う」
生まれつきフィルターがうまく構築できない人は、いつの世も少なからず存在するらしい。そういった人は存在を疑う心が芽生えてもふとしたところで認めてしまう為、いつまで経っても見えてしまうのだとか。
おそらくお千代さんも私と同じようにフィルターが作れなかった、もしくは脆かった人なのだろう。
「それで、私はほぼノーフィルターで魂剥き出し霊力だだ漏れだから、狙われてる?」
聞いた話を整理するように呟く。
「簡単に言えばご馳走を目の前にちらつかせられてるようなものだね」と、吉田先輩が深く頷いた。
ぱちりと、目が合う。今がまさしく“そう”だった。私が鬼にとってご馳走なら、吉田先輩の前にいることはあまりよろしくないのではなかろうか。
反射的に身が硬くなる。構える、と言うほどでもないが、右足が下がった。明確に恐怖を感じたわけではないが、相手が私を「食べることもできる」存在だと思うと自然と四肢に力が入ってしまう。
重心が移動してズレた視界。吉田先輩の肩越しに、氷の槍のようなご友人の視線が飛んでくる。思わず口の端から小さく悲鳴をこぼせば、それに気がついた吉田先輩が振り返って「奏」と窘めるような声を上げた。
「鬼が全て魂を食い散らかす不行儀な存在だと思うなよ」
苛立ちを滲ませたご友人が、それを振り切って言い募る。確かに三度──そのうち一度は正確に言えば保護だが、もしかしたら変質者から助けてくれたのも先輩かもしれない──も助けてもらっておきながら、あからさまな警戒を見せるのは失礼だったかもしれない。
「仕方がない。今のは僕の失言だ。あまりいい喩えではなかった。舛花さん、すまない」
「いえ、こちらこそ、過剰な反応でした……」
だが先程おそらくポーズだったとは言え食べてしまうぞと脅され、直前の文脈的にも彼が私を「食べることもできる」と発言した後であるならば、おかしい反応ではないのでは?
吉田先輩の謝罪に頭を下げ返し、心中首をひねる。まぁそれでも、あんな反応を返されたら無作法だったかなと思い直した。
(とどのつまり私は人よりも魂が丸出しだから、他の鬼の怒りを買うとしても手を出さずにいられない、と?)
これが人間相手だったら理性でどうにかしろと拳を叩き込んでやりたいところだが、相手は妖怪である。人間の理が果たして通じるかどうか。今までの人生で対妖怪の危機に陥ったことがないのは、非常に幸運だったということだろう。
これからのことを思うと、かすかに指が震える。人生は常にラッキーではない。あの変質者がどうなったかもわからないし、次から次へと襲われるようになる可能性も、なきにしもあらずだ。恐怖を堪えるように手を握りしめ、体の後ろに隠す。
「だから、僕は君を守りたい」
そんな私の緊張を解くように、柔らかな声が耳を撫でた。何か、鬼固有の特殊能力のようなものを使っているのだろうか。温かい湯をかけられたように、身体から力が抜けていった。
「マツ!」とご友人が咎めるような声を上げる。それは、吉田先輩の発言に対してか、それともこの不思議な声音についてか。
「守り、たい……。どうしてですか?」
「どうして。さっきも言ったように、責任を感じるからだよ」
「それだけですか?」
「それ以外に、理由が必要かな?」
投げかけた疑問は、答えにならない答えで返された。はぐらかすような笑顔を向けられるが、今度はごまかされないぞと足を踏ん張る。
当然だ。だって彼らにあまりにも利がなさすぎる。それどころかリスクの方が大きい。私は彼らにとってご馳走なのだ。いくら自分の非を感じていたとしても、食べられないご馳走をそばに置き、あまつさえ守るなんて。
責任を感じているとしても、“他人を守る”ということは簡単なことではないのだ。危機に瀕する人を危機から遠ざけるには、リスクが伴う。
「必要です」
「なら、君をそばに置くことで存在の安定化を計るとか?」
お千代さん曰く、妖怪は人の存在を信じる力が形を取ったものである。それを鑑みれば、私に存在を認知させ続け“信じる力”を得ることで存在を安定させることは、理に適っているだろう。
それでも、そう言う先輩の表情が理由はそれだけではないと物語っていた。先ほどから天を仰いで首を振るご友人も、乾いた笑いを浮かべている。
絶対嘘を吐かれている。嘘までいかなくとも、何かごまかされている。そもそも、理由を聞いているのに疑問形で返ってくることがおかしいのだ。
「……話すと長くなるから。放課後にもう一度時間はあるかい?」
無言の見つめ合いに先に折れたのは吉田先輩だった。降参だと言うように首を振る。
四限の後に約束を取り付けて、とりあえずその場はお開きになった。先輩二人に頭を下げて、教室を後にする。二人と別れて素子の待つ三限の教室に向かいながらも、吉田先輩の申し出のことは頭から離れなかった。




