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夜明けの来ない世界で君と笑う  作者: 相川あきら
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第十二話 鬼

 人間じゃない。

 柳木くんの言葉が、頭の中をぐるぐると回る。数時間前の会話は、鮮明に反芻することができた。

 噛み締めた歯の隙間から絞り出すような声も、言ってしまった後悔を滲ませた表情も。看過出来ない衝撃に白くなる思考までも。

 あれから、私はどうやって一日を過ごしたのだろうか。一限から四限までみっちり時間割は詰まっていたはずだが、全く思い出せなかった。流石に叱責されたりしたら記憶に残るはずなので、粗相はしていなかったはずだが。

 それでも素子には心配をかけただろうから、明日にでも謝らなくてはなるまい。本当は今すぐにでもメッセージを送るべきなのだろうが、文面を考える余裕は今の私にはなかった。


(あ、もう、家か……)


 どうやら私は、上出来とは言えないまでもなんとか家に帰ってくることはできたらしい。鞄からやっとこさ鍵を探し当て、もたつきながらドアを開ける。

 おざなりに靴を脱ぎ捨て、ふらふらと洗面所に入った。蛇口をひねり、勢いよく出てきた水を手のひらに溜める。そのまま顔に水を掛けようやく、化粧の存在を思い出した。

 やってしまった。項垂れてながら手探りでタオルを引き寄せ、適当に拭ってメイクを落としてから、もう一度顔を洗う。


「はぁ、」


 顔を上げて見た鏡に写る私は、死んだような目をしていた。顔の血の気も薄く、チークを落とした今では蒼白と言っても差し支えない。

 柳木くんの今までの態度と、直前の彼の発言を鑑みて、おそらく彼にも普通は感じ取れないものを感じる力があるのだろう。これは確定だ。

 おそらく、彼は嗅覚で見分けているのだろう。たびたび口にする“におい”という言葉からして、人とそれ以外のにおいを嗅ぎ分けることができるのだ。

 本人は雰囲気やオーラを喩えていると言っていたが、真偽の程は定かではない。それは私が彼に信を置いていないということもあるが、素子がいた手前誤魔化していた可能性もある。

 その彼が、吉田先輩を「人間ではない」と言った。


(信じられない……)


 幽霊や妖怪といった“人ならざるモノ”を見分ける力は、私にもある。あの変態も、吉田先輩もついでに吉田先輩のお世話になっている杜若教授の家にいる人も、人間だった。

 あくまでも、私の目が確かなら──。

 鏡に映った自分の顔の、側頭部を撫でる。たんこぶがあった部分だ。ここに血痕があった。乾いた血が、こびりついていた。

 考えないようにしていたが、あまりにも不自然だ。“出ていないはずの血”の痕なんて。状況から考えて、他人の血がかかったとも思えない。

 けれど、一度出血して、その傷が人知の及ばぬ力で瞬時に治療されたのだとしたら辻褄が合う。

 私を変態から助けた影が、そのまま傷も治して立ち去った。そのあと吉田先輩が私を見つけたという可能性も捨てきれない。けれど、それならかかりつけのお医者が気がついて、吉田先輩が伝えてくれるだろう。

 頭の中に思考が乱立する。どこから手をつけたら整理できるのかも分からなくなり、意味もなくタオルで顔を拭き回した。


「推理得意じゃないんだよなぁ!」

 

 家に誰もいないことをこれ幸いと、しゃがみ込んで洗面台の縁に額を押し当てて叫ぶ。

 推理小説を読むことは嫌いではないが、現実世界で自分の頭を使って考えることは大の苦手だ。人は突拍子もないことを考える生き物だし、吉田先輩がアクロバティックな思考方法をした瞬間、私が考えたことは全て無駄になる。

 心理学を専攻していれば違うのかもしれないが、私は人文学の道を歩んでいる。少しばかり畑違いだった。


『お前が悪いんだ。んな美味そうな魂晒して。食ってくれって言ってるようなもんだろ!』


 ふと、変態男の言葉がフラッシュバックした。血走った目と下卑た笑みが蘇る。あの裏道で、私の首を締め上げた男はそう言っていた。

 魂を食う。人間には馴染みのない言葉だろう。


(なら、あいつも人間じゃない……?)


 でも私が人間の魂を食らうような存在を見分けられないなんて、そんなことあるのだろうか。吉田先輩を人間ではないと仮定して、それを見抜けなかった私が言うことではないのかもしれないが。

 今日も通学中に道端で立ち尽くす血塗れの男性だとか、明らかにコスプレじゃない着物姿の女性を見た。力が衰えているとか、消えたということはない。

 私が“人ならざるモノ”と見分けられない幽霊、もしくは妖怪が存在しているのだろうか。


「わっかんない。無理」


 ゴチゴチと額をぶつけ、苛立ちを紛れさせるように洗面台にあたる。こうなると何もかもが腹立たしくて、やたらに音を立てて家中を練り歩き回り、ダイニングテーブルの自分の席に落ち着いた。


(柳木くんは私とは別のアプローチで、人と人ならざるモノを見分けられる。その柳木くんは、吉田先輩を人間じゃないと言っている)

 

 情報を整理するように、頭の中ので今わかっていることを並べる。


(出血したであろう傷が塞がっていた。治療は吉田先輩側がしたのかな? それとも、助けてくれた誰かとか。いや、助けてくれた誰かが吉田先輩と関わりある人って可能性もあるのか)


 ゆっくりと思考を動かしながら、台所に立ってお茶をいれた。ズズッと一息に啜り、気持ちを落ち着ける。

 まさか全員グルなんてことは流石にないだろうが、吉田先輩の為人(ひととなり)すら把握していない今、断言もできないだろう。

 完全に暗中模索。何を信じればいいのか、どうしたらいいのかもわからない。


(とりあえず治癒系の力を使える妖怪を探すべきか……)


 心当たりを思い浮かべながら、とりあえず夕食の準備に取り掛かった。

 夜が明けて、次の日。私はいつもより早くに家を出て、駅とは反対方向へと足を向けていた。目的地は、川沿いの小さな公園の隅にある祠。

 大昔に、川の氾濫を鎮めるためと人柱にされた「お千代」という女性を祀った祠だ。死後に信仰を得て土地神となった彼女は、生前私と同じように“見える人”だったらしい。当時は今よりも幽霊や妖怪の類が身近だったようで、死してそちらの仲間入りした彼女は、さながらその方面の生き字引だ。死んでいるが。


「そりゃあんた、鬼だねぇ」

「鬼?」

「あんたがわからなかったんなら、半分人の鬼なんだろうよ」


 祠にちょこんと腰掛け、のんびりと陽光を浴びた半透明のお千代さんが言葉を紡ぐ。

 なんでも、鬼とは恐ろしいほどに美しい容姿を持ち、人の魂を食らう妖らしい。皆何かしらの人知を超えた力を持つという。


「鬼にもね、鬼として生まれたやつと、人が鬼になったやつがいる。あたしが生きてた頃も、人から鬼になったやつは見分けられなかった」


 妖怪は、人間の“信じる力”が形を取った存在だ。その妖怪を信じる人が増えれば増えるほど、存在は濃くなり力を増す。

 けれど鬼に限っては、人間が己の中の強すぎる感情に負けることで転身する場合がある。


「吉田先輩が、その、後天的な鬼なわけ?」

「そいつだけじゃないよ。あんたを襲ったって男もだ。鼻の効く坊やが妖臭いって言ったんだろう? 気をつけなね」


 案ずるようなお千代さんに頷くことで返した。気をつけるも何も、私には争う手立てなどないのに、どうしろと言うのか。

 踵を返して駅までの道を行く私の頭の中は、それよりも吉田先輩が鬼であるということでいっぱいだった。

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