人間じゃない二人
絢音は、しばらく笑った後、乱れた息を整えて二人と一匹を見つめた。
「絢音は、そういうのは怖くないのか?」
「照彦君やペグル君、寒月君は怖くないよ?まぁ、照彦君に会った時、得体のしれない何かを感じたけど…」
絢音がそう言うと、寒月は照彦に向かって顔をしかめた。
「気配を消す事は出来ないのか?」
「気配って…、普通は分からないもんだからつい…」
照彦は、自分の気配が他人に知られる事を全く考えていなかった。
「でも、邪悪だとは思わなかったよ?温かくて…、胸がポカポカするような感じなの」
照彦は、自分の気配がそういうふうに感じる事を初めて知った。
「それで、どうして嬉しそうだったの?」
「死神や妖に出会ったの、初めてじゃないから…また会えて嬉しい」
「前にも死神に会った事があるの?」
絢音は頷いた。
「もしかしたら俺の知り合いかもしれない、誰だったか覚えてないか?」
絢音はしばらく考えていたが、首を振った。
「ごめん、昔は覚えてたんだけど…、だんだん記憶が薄れてきて…」
「もしかして…、記憶を無くす術をかけられたとか?」
「そういう術は死神でも余程強い奴しかかけられないぞ?」
人の記憶を無くす術というのは高度な技だ。それに、強い霊力も求められる。照彦はそういう技は今の所使えない。
それに、絢音は急に記憶を失ったのではなく、だんだん記憶が薄れてきたと言っていた。突然記憶を失わせるよりも、だんだんと記憶を薄らせる方が、高度な技なのだ。
照彦は、自分よりも強い死神が、絢音に関わったのだろうと考えた。
照彦は、二人の前に立った。
「まぁ、ここで立ち話もあれだから、俺がこの町で一番気に入ってる場所に連れて行ってやるよ」
「照彦君が気に入ってる場所?」
照彦は、二人と一匹を連れて、走っていった。
住宅街を抜け、賑わう駅前を通り過ぎて、照彦達は海辺に辿り着く。海岸は人が少なく、辺りはしんとしていた。
照彦は、海辺の大きな木がある丘を登った。その木は『光の樹』と呼ばれ、魂が昇る場所として知られている。照彦が産まれるよりもずっと前から、この木は青波台を見守っていた。
照彦達は、その脇に座った。
「この場所が照彦君が好きな場所?」
「この木に色んな人が立ち寄ったんだ、真由姉ちゃんもそうだし、風見のご先祖様達や、青波台に住んでた怪奇小説家だったり…、それに、昔は自殺スポットだったんだって」
「詳しいね、照彦君」
「そう…、かな」
照彦は、『光の樹』を抱き締め、耳を当てた。
『風』、魂の流れがこの木の中に吹き込んでいる。照彦はその音を聞く事が出来た。照彦は、『光の樹』の元を訪れる度、そうしていた。
今日も照彦の中にその音が響いていた。こうしていると、自分が『光の樹』の一部になったように感じるのだ。
そして、聞き終わって耳を離そうとした時、何処かから、声が聞こえた。
「(私はずっと汝を見守っていた)」
「えっ?」
照彦は振り向いたが、目の前には、絢音達が居るだけだった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない…」
照彦は、先程の声に覚えがあった。だが、その主が誰だったのか、何処で聞いていたかは分からない。
照彦は、一旦その事を忘れて、絢音とペグルと話す事にした。
「そういえば、ペグルも人間じゃないって言ってたよな?」
「うん、半仙って言って、人間だけど仙術を使える存在。だけど…、今の僕は身体も仙人みたいになってる」
「じゃあ、今のペグル君は仙人って事?」
「地上に留まっているから、仙人とは呼べないけどね…」
仙人の話を聞いて、照彦は曾祖母にあたる真莉奈の事を思い出していた。
「仙人…、俺のひい祖母さんは冥府仙女って言って仙人を模した姿になれるんだ」
「へぇ…、そうなんだ。もしかしたら父さんに聞いたら分かるかもね」
ペグルはいつか神界に行った父親や、真莉奈と会ってみたいと考えていた。
人間じゃない自分達の話をしていて、照彦は、夢の中に出てきたあの男の事を急に思い出した。
「夢に出てきたあいつも…、人間じゃないと思うんだ」
「あいつって?」
「夢前蒼汰、本人はそう名乗ってた」
「夢前…」
ペグルは、そう呟いて何か考える素振りを見せた。
「ペグル、知ってるのか?」
「いや…、やっぱり何でもない。それで、どうしたの?」
「夢前について、祖父ちゃんに聞いてみよう」
「お祖父さんって、何処に居るの?」
「あの世…、俺達は冥界って呼んでる場所にいるんだよ」
「冥界に…行くの?」
「行こう…、冥界へ」
照彦は絢音とペグルの方を見つめた。
「でも、絢音ちゃんはどうするの?生きた人間が冥界に行っていいものなの?」
「それについては…、俺が責任を取る。絢音、くれぐれも冥界ではぐれるなよ?」
「うん…」
照彦以外は冥界に行くのは初めてだ。それに、照彦もまだ不慣れなところがある。
照彦は、絢音を連れて行く事に責任を取ったのはいいが、果たして自分の力で無事に連れて戻って来れるかどうか、不安だった。
そう話している様子を、夢前と獏が真上から見下ろしていた。
「良いのですか?三人をこのまま冥界に行かせて」
「そうやすやすと行かせる訳ないだろ、俺にだって策はある。お前は何も言わずに見とけばいい」
夢前は白い袋を獏に手渡した。
「獏、今日の飯だ」
白い袋の中には、黒くてドロドロしたものが入っている。
それは、悪夢を夢前の力で具現化したものだった。夢前の横に居る紫色の獏は、夢喰獏という妖だ。夢前は、獏に悪夢を食わせている。
獏は、悪夢を見て吐き気がしたが、それを食べるしかないので、仕方なく受け取った。
それから、金曜日の夕暮れに、照彦達はリュックサックを背負って、白部山の登山口にやって来た。
「宿題はやって来たか?それと、ご両親にはちゃんと伝えたか?」
照彦が、絢音とペグルにそう聞くと、二人は頷いた。
「なんか…、遠足みたいだね」
「遊びに行く訳じゃないんだ、それに、一歩間違えれば命を落とすぞ?」
予め二人に念押ししておいたが、冥界というのは危険な場所も多い。死神の照彦だって、予想出来ないものだってある。
何か起こったら全て照彦の責任だ。他に背負わせる訳にもいかない。
照彦はポケットの中から鍵を取り出して、強く握りしめた。靄の前に立ち、扉を出現させようとした時、背後から物音が聞こえる。
照彦が振り向くと、そこには巨大な蠍の怪が居て、三人を睨みつけていた。