智と小さな怪
智は、小さなコウモリの怪が眠ったのを見ると、安心して自分の部屋に戻った。そろそろ夕方で、夕飯の準備をしなければならない。
「こうして一人で暮らすのも、随分慣れたな…」
今日の夕飯は、買ってきたパンと、野菜のスープと、肉が一切れだった。本当は、食後に幻影花の果実を食べる予定だったが、無いので諦める。
無言でせっせと夕飯を食べる、楽しくも何ともない、ただただ無機質な時間だった。
夕飯が終わると、智は戸棚を開けた。そこには、札がついた小瓶が並んでいる。札には名前が書かれていて、それぞれ色とりどりの液体が入っている。智はその中から血のように赤い液体が入った小瓶を取り出した。札には『Reina』と書いてある。智の妻の玲奈の霊力が込められた小瓶だった。
智はその小瓶の中身を飲んだ。そして、空の瓶を棚に戻した後、風呂に入って、自分の部屋に戻って眠った。
智が眠りについた後、小さなコウモリの怪が目を覚ました。コウモリは辺りを見渡して、ゆっくりと飛び上がると、智の部屋にやって来た。扉を開け、ベッドに降りると、這うように寝ている智に近づいた。そして、首筋に鼻を付けると、噛み付き、血を啜った。
その後、コウモリは智の部屋から出て、大広間に来た。そして、身体に力を入れる。
すると、コウモリの身体は煙に包まれ、次の瞬間に人間のような姿になっていたのだ。
「うわぁ…、やった!」
人間になったコウモリは、嬉しさのあまりぴょんぴょん飛び回る。そして、洗面所にある鏡を見に行った。
鏡に映ったコウモリは、ショートカットの黒髪に、紫色の目をしていた。
服装は、サスペンダー付きのショートパンツに、小さなネクタイ、足元はショートブーツにニーハイソックスを履いている。背中には、マントもあった。
姿はほとんど人間だったが、耳の部分だけはコウモリのままだった。一応、右耳は帽子で隠れていたが、左耳は剥き出しだ。
コウモリは落ち込んだが、人間の姿になれた事は確かなので、素直に喜ぶ事にした。
「人の霊力を取り込むと人間の姿になれるってホントだったんだ!でも…、何で人間の姿になりたいって思ったんだろ…」
コウモリは、自分の行為に疑問を持った。
すると、下が騒がしい事に気づいた智が、目を覚まし、コウモリが居る大広間に降りてきた。
「騒がしいな、一体誰だよ?!」
「ひぃっ!」
コウモリは、慌てて隠れたが、すぐに見つかってしまった。
「お前は…?」
「ひゃあ!ご、ごめんなさい!あなたの血を、少し頂いてしまって…」
「俺の血を?」
智が首筋に触れてみると、確かに噛まれた痕がある。
「お腹空いてたのか?」
「いや、この姿になりたくて…」
コウモリはもじもじして、智から目を反らした。
「この姿…、ってまさか、お前はあの小さなコウモリ?!」
「はい…」
「そうだったのか…俺は剣崎智、死神だ。お前は?」
「名前、ですか?考えてなかった…」
怪は余程のものでない限り、名前を付ける事はない。突然名を聞かれたコウモリは、驚き、戸惑った。
「じゃあ…、今付けるか。でも難しいな…、真由みたいに変な名前付ける訳にもいかないし」
「チル…」
「えっ?」
コウモリは少し鳴いただけだが、智はそれに反応した。
「チル…、いい名前だな」
「チル…、可愛らしい名前ですね!」
「今日からお前は、チルだ」
チルと名付けられたコウモリは、また嬉しそうにぴょんぴょん飛び回った。
すると、チルのお腹の虫がくうっと鳴った。
「お腹空きました…」
「さっき血吸ったろ?また吸いたいのか?」
「いや、血はいいんです…、花の蜜とか果実とか、そういうのが食べたいんです…」
チルは、そう言ってぐったりした。
「そうだったのか…」
智は眠い目を擦った。
「幻影花の花畑に行くか?」
すると、チルはわあっと喜んだ。
「はい!行きます!」
智は、チルを連れて近くの幻影花の花畑に向かった。
幻影花は月明かりを受けて輝いている。夜になると、多くの怪が蜜を求めて集まっていた。
その中に、智がよく知っている怪が居た。昴の下僕である冥府神霊のテラとメガだった。テラは蛾の怪で、メガは蝿の怪、二人とも幻影花の蜜を好物にしていた。
「あら智さん、そして…、この子は?」
「コウモリの怪のチルです」
「ふうん、そうなんだ」
チルはすぐ近くにあった幻影花の蜜を吸った。
「私はテラ、こっちはメガ、私達だって人間の姿になれるわよ」
テラとメガは、チルの目の前で人間の姿になってみせた。ところが、身長はチルの方が高い。
「テラさんよりも大きい…?」
「何でこうなるのよ?!」
「あれ?私幻影花から産まれたばかりなのに…」
「年齢は圧倒的に私達の方が上なのに〜!」
テラは怒ってジタバタした。チルは、テラのおでこに触れてそれを止める。まるで小さな子をたしなめるお姉さんのようだった。
「怪が人間になった時の年齢って、単純に生きた年数じゃないんだな」
「何よ!この若造が!」
テラはまた怒ってチルに飛び掛かる。
「まぁまぁ、テラさん落ち着いて下さい」
チルは優しい笑顔でテラを止めた。
「チルの方が大人だな」
智はやれやれと肩を下ろした。
智達はテラとメガと別れて、屋敷に戻って行った。
「そうか、チルは幻影花から産まれたんだな?」
「そうですよ?」
チルは笑っていたが、足が、ふらついていた。
「眠い…」
チルはコウモリの姿になって智のフードの中に入ると、そのまま眠ってしまった。
そして、朝になった。智はチルを置いて死神の仕事に向かう。智は、夕方になって屋敷に戻って来た。チルは、眠りながらも帰ってきた智に気づき、フードの中に入った。
智は、怪の事に詳しいウォルの所に行こうと、三途の川の小屋に向かった。
ウォルは、仕事を終えて小屋で休んでいる。智がチルを連れてウォルに近づくと、ウォルは真っ先にチルに気づいた。
「智、その怪は?」
「コウモリの怪のチルだよ、襲われた所を助けたんだ」
「そうか…」
智は、ウォルの隣に座った。
「怪っていうのはな、霊力を糧にして生きるんだ」
「それじゃあチルも、霊力を糧にして生きてるって事か」
「それと、コウモリって哺乳類だよな?」
「そうだが?」
智がチルの口に指を入れると、それに吸い付いた。
「そうだ」
智は急に立ち上がった。
「俺、ちょっと現世に行ってくる」
そして、チルをウォルに預けて、走り去ってしまった。
しばらく経って、智が袋を抱えて帰ってきた。中には、哺乳瓶と、牛乳と、霊水晶の小瓶が入っている。
智は、霊水晶の小瓶に自分の霊力を蓄えた。
「智、急にどうしたんだよ?」
「これをチルにあげようと思ってな」
智は、牛乳を薄めて、霊力を混ぜたものをチルに与えた。
チルはそれを勢いよく飲み干すと、またすぐに眠ってしまった。
智は、今まで怪を敵だと思い、倒してきていたが、友好的に近づいてくる怪も居るんだなと思った。智は、これからチルと一緒に暮らそうと考えた。
そして、ウォルと別れた智は、眠ったままのチルを連れて、屋敷に帰って行った。