五年生、それは波乱の年
それから平穏な日々がしばらく続いた。桜が散り、梅雨の足跡が聞こえた頃、照彦はいつものようにランドセルを鳴らして走っていた。
その日の通学路は、やけに静かだった。普段話し掛けてくる真由達も、今日は見ていない。照彦は不思議に思った。
教室に入ると、普段先に来ているはずのペグルが来ていなかった。
「(そういえば…、今日お父さんのお葬式だったよな…)」
照彦は、昨日の夜にペグルから電話が掛ってきた事を思い出した。原因こそは聞いていないが、急死したらしい。
「ペグル、大丈夫かな…」
その後、他のクラスメイト達もやって来たが、話を聞いているのかペグルの事には誰も触れない。
話し相手が居ない照彦は、黒板を見つめた。黒板には、表が貼られていて、よく見ると、自分やクラスメイトの名前か書いてある。
「あれ?席替えあるんだ?」
照彦は、その表の椅子に座った。照彦の隣の席は、空白だった。
「なんか…、いつもと違うな…」
手持ち無沙汰の照彦は、机の落書きを見ながら、先生が来るのを待った。
そして、教室の扉が開いて、中から先生が現れた。五年二組の担任は平泉愛美という女の先生で、子供達から人気がある。
先生は、教壇に手を置いて、みんなに分かるように大きな声で言った。
「皆さん、今日からこの教室に新しい仲間が増えます」
平泉先生に促されて、教室に入って来たのは、小柄な少女だった。
身長だけなら、低学年と思われるが、態度はしっかりしていて、しゃんとしている。
「日岡絢音と言います。宜しくお願いします。」
絢音は、くりくりとした目をしている。髪の毛は緩く巻いていて、両サイドをクリップで留めてあった。クラスメイト達は突然の転校生に驚き、ざわついていた。
絢音は黄緑色のチュニックの下に黄色いシャツを着て、ショートパンツを履いている。そして、絢音は照彦の横の席に座った。
「宜しくね」
絢音は照彦に向かって笑ってみせた。照彦は、その笑顔に心の何かを付かれた。絢音と顔を合わせたいはずなのに、恥ずかしくて、中々合わせられない。
一目惚れだった。照彦は恋に落ちたのは初めてだった。側に居たいのに、居づらくて、ジレンマに陥る自分が辛い。
絢音は、照彦の横で授業を受けている。照彦は、授業中何度も絢音の顔を見た。絢音の方は、照彦の事には気づいていないようだった。
初日は、顔を合わせるのに精一杯で、言葉一つも掛けられなかった。掛けようとしても、他の友達が邪魔で、話せない。
転校生が珍しいのか、最初の方は絢音は人気者だった。ところが、一週間経つと、絢音の周囲に寄ってくる人は居なくなり、照彦の横で寂しそうに過ごしていた。
「どうしたんだ?」
絢音に声を掛けたのは、これが初めてだった。
「だって…、誰も信じてくれないんだもん…」
「何をだ?」
「照彦君、だったよね…?」
「そ、そうだけど…」
「ごめんね、隣の席なのに全然話し掛けられなくて…」
照彦に対して申し訳なさそうに接する綾音を見て、照彦の方が申し訳なくなった。
「いや、俺の事はいいって…」
「実はね…」
絢音は、その話を照彦に話すべきか迷っていたが、口を開いた。
「照彦君って、お化けとか、得体のしれないものって信じる…?」
「えっ…?」
「そ、そうだよね…、信じる訳ないよね…」
突然の事で上手く返事が返せなかっただけなのに、否定されていると捉えられてしまったらしい。
「俺は信じるよ、というか視えるし」
「本当に?!」
自分と同じように、お化けの存在を信じる人が居て、絢音は感激した。
「そういうのが視えるんだ…、凄いなぁ…」
「というか、目の前に居るのが全員人間だ、なんて呑気な事考えてないか?」
照彦は悪巧みを考えているようにフッと笑った。
「えっ…?」
「もしかして俺も、お前が言うお化けかもな…、あんまり悪く言うと、化けて出るぞ…?」
照彦は、幽霊のような仕草をして、薄気味悪い笑顔を見せた。
「えっ…、ええっ…?!」
「なんてな!冗談に決まってるだろ?」
照彦は、絢音の肩を勢いよく叩いて、先程の事を誤魔化した。
「そ、そうだよね…」
そして、照彦は絢音から立ち去った。その時、絢音は、照彦から何かの気配を感じた。
「(あれ…?今、照彦君から得体のしれない何かを感じた…?)」
絢音は、照彦の方を見たが、照彦自体には、異変はなく、他の人と変わらないように見える。
照彦は、ペグルの席に座った。
「あれ?あの子はずっと休みなの?」
「ペグルか?父さんのお葬式があって休んでるけど…。もう来てもおかしくないんだけどな」
「お父さんが…?何か可哀そう…、ごめんね、こんなタイミングで転校して来て…」
「いや、それとこれとは関係ないから…」
照彦は椅子から立ち上がって、机に触れた。
「ペグルと俺は視えるもの同士仲良くしてるんだ」
「私もその中に入っていい?」
「ああ、いいぜ」
照彦は、絢音と仲良くなるのを快く了解した。
自分から誘うのは恥ずかしかった事もあり、絢音の方から言ってくれたのが、嬉しかったのだ。
一方、絢音は照彦から感じた気配の事を気にしていた。
「(さっきのあれ、気のせいだよね…?照彦君がお化けな訳、ないよね…?)」
絢音は、先程の言葉の真相を確かめたかったが、変な子であると思われたくなかった為、聞けなかった。
そしてその帰り道、方向が一緒との事なので、照彦と絢音は一緒に帰った。
「絢音ってどうして転校して来たんだ?」
「お父さんの仕事かな…」
「そうだったのか…」
絢音は、照彦の顔を合わせる見てほっとすると、急に顔を曇らせた。
「私、変な子って思われてないかな…」
「さあ?俺はそうでもないと思うけど?」
「(話してみると面白い子だな…、それに可愛いし)」
照彦は絢音の方を見て、顔を赤く染めた。
「私、ずっと変な子だって思われてたの。私の事、誰も信じてくれなかった…」
「確かに…、そういうものの話はあまりしない方がいいかもしれないな…」
「そんな…」
絢音は、照彦に正論を言われて落ち込んだ。
「でも、俺の、俺達の前だったらしてもいいぜ?俺は絢音の事を信じるよ」
「本当に?!ありがとう!」
そして、絢音の家が近づいた。絢音は、照彦に向かって手を振る。
「それじゃあ明日ね、照彦君!」
絢音は照彦に向かって笑顔を見せた。
「(まさかこんなに喋れたなんて…)」
照彦は、絢音に手を振り返したかったが、恥ずかしくて出来なかった。
そして、絢音の家に背を向けて、自分の家に向かって走り去って行った。
照彦と絢音の出会い。だが、これがこの後の波乱の引き金になるとは、誰が予想したのだろう。照彦が今まで大切にしていた日常は、この日を境にして、崩れ去っていったのだった。