四つ葉のクローバー
「あれ? ナツヒサさん?!」
カプセルの原型はナツヒサの協力で完成し、すでに量産体制に入っている。ハルとヨシアキはカプセルを乗せる宇宙船の下見のために、かつてその発着に使われていた地下施設にやってきていた。近くには輸送物資の一時貯蔵スペースもある。ふたりが担当者に案内されて入った部屋で見たのはナツヒサの姿だった。
「ナツヒサ、お前この仕事断らなかったのか」
ユキトがここの責任者として指揮をとっていたが、依然行方はわからず、しかも最近は技術者も不足しているため、内部には代理になるような適任者はいなかった。広く一般からも探すこととなり、これまでの経験を買われたナツヒサに声がかかったところまではヨシアキも知っていたが、当然断るものだろうと思っていた。
「カプセルの件で片足を突っ込んだから、とことんまでやってみようかという気になったんだ。最近はあんまり面白い仕事もないしな」
ナツヒサは軽く咳払いをし、ハルをちらりと見ながらこう答えた。
「そうか。まぁとにかく、お前がやってくれるんなら安心だ。さっそく宇宙船を見てみたいんだが」
「案内しよう、こっちだ」
ナツヒサを先頭に3人は狭い通路を歩いていく。薄暗く時間も距離感も感じない。やがて大きな扉の横にひょっこりと出てきた。どうやらこの通路は、事務室兼管制室と発射場とを直接つなぐ裏道のようだった。
見上げるほどの大きな扉が開くと、真正面に一隻の宇宙船の巨体があった。船体の周囲ではヒトが動き回り、溶接作業の光が見えている。
こうやって残されていた宇宙船がいくつかあり、今回の計画ではそのうち数隻使用することになっている。船体には傷などはほとんど見られないが、全体的にホコリを被ってところどころひどく錆びている。
「う、これは…。なんだか、いっちゃ悪いけど、ボロだな」
「はっきりいうわね。今はもう宇宙船は作られていないんだから仕方ないでしょ。ユキトさんもいってたじゃない」
「おいナツヒサ。飛ぶのか? これ」
「見た目は多少悪いけど、手を入れてやればカプセルを乗せて飛ばすには十分だ。性能と耐久性は問題ない」
「ほらね? ナツヒサさんも同じこといってる」
「それにしてももう少しましなのはなかったのか?」
「旅客用の宇宙船もあるにはあったけど、船体の整備に加えて座席を取り払ったり内部を改造するのに時間とコストがかかりすぎるんだ。その点、貨物用なら内部はほぼがらんどうだから改造するのも簡単だ」
「性能は問題ない、ね…。これだから、効率重視のヒトたちは困るんだよな。もうちょっと見た目にもこだわれないかなあ」
「まあいいじゃない。名前でもつけてあげれば、愛着がわくかもしれないわよ」
「名前? 名前か。そうだな………〈突撃1号〉なんてどうだ?」
「なによそれ」
「じゃあ機体番号の〈M9-8R4V〉を短くして…」
「はい却下。ナツヒサさぁ、おまえ相変わらずセンスないなぁ。ハルはどうだ?」
「うーん、そうね。それじゃあ、3人の名前から1文字ずつとって、ヨ、ツ、ハ…ヨツバ…四つ葉……そうだ、〈クローバー号〉っていうのはどう?」
「クローバー号か。なかなかいいんじゃないか。宇宙船を後ろから見ると、ロケットエンジンの形が四つ葉のクローバーみたいに見えるしな」
「なんだか縁起がよさそうですね、クローバー号」
「じゃあ決まり。今日からクローバー号ね。ほら、愛着が湧いてきたでしょ」
「まあ、な。それより、改修作業は順調そうで安心した。このまま頼んだぞ」
「了解。船の内部はほぼ完成してるから、あとはロケットエンジンと外側の整備を進めれば大丈夫だ。せっかくだから、ひと通りこの施設の案内をしとこうか」
「まだ時間があるから聞いておくとするか。ハルもいいよな」
「ええ、お願いします」
「じゃあみなさん、こちらへどうぞ」
ナツヒサはふたりを伴って、宇宙船を中心に時計回りに回りながらそれぞれの設備を紹介していった。
「この階段は地上に繋がっています。あの扉を開ければ地上に出られるけど、防護服を着るのを忘れないように。ハルさんは地上の様子を見たことありますか? もしなければ見てみますか?」
「見れるの? 見てみたいわ」
「じゃあいってみましょうか」
3人は宇宙船を横に見ながら階段を上っていく。下から見上げたときよりも少し小さく見えた。
「あれで宇宙にいくのね」
「そうですね。近くで見ると大きいけど、少し離れて見ると小さいでしょ。これが宇宙に出たら、ほんとに点でしかないんじゃないかと思うんですよ…」
ナツヒサはそれ以上話さず、黙々と階段を上がっていった。
「ほらここです、着きましたよ。このガラス窓から外の様子が見れます。今日も星が出てるな」
「どれどれ。おれもこの目で地上の景色を見るのは久しぶりだな」
「これが生の地上の風景なのね。映像ではよく見るけど、実際に見たのは初めて。へーえ。あ、すごい! ねぇ見て、星が輝いてるわ。映像よりよく見える。きれいね」
ハルは全身がほてるのを感じた。何だろう、この感覚は。
「昼間なのにこんなに星がきれいに見えるっていうのは、宇宙線が遮るものなく降り注いでいるということでもあるので、このまま飛び出したらかなり危険です。ここにいても普段よりずいぶん宇宙線が強くなっています。もし地上に出る時は、必ず防護服を着てヘルメットをかぶってください」
「わかったわ」
「地下にいるときは何も感じないんですが、ここにくると体内の葉緑体が活性化されるらしく、体が熱くなるのを感じませんか?」
「やっぱり。そういうことだったのね」
「あ?ぁ。どうにかして地上にヒトが住めるようにならないものかねぇ。ナツヒサ何か考えてくれよ」
「ヨシアキさん、何いってるのよ。それができないから今回の計画を進めてるんじゃない」
「希望だよ、き、ぼ、う。少しは夢を見させてくれてもいいんじゃないか? あ、そうだ、大事なことを忘れてた。ユキトさんの居場所がわかったらしい」
「本当? 大事なことは早くいってよ。それで大丈夫なの?」
「おれも似たようなうわさ話を聞いたけど、本当なのか?」
「詳しいことはわからないが、たぶん間違いないだろう。けど大丈夫かどうかは不明だ」
「でもひとまずよかったわ。無事でいることを祈りましょう」
「あのヒトなら大丈夫だろう。さーて、そろそろいくか?」
「そうだな。ハルさんももういいですか?」
「十分地上の景色を堪能させてもらったわ、ありがとう」
ガラス窓の外ではラ・プリム銀河がひときわ明るく強く輝いていた。その薄黄緑色の輝きはハルの瞳にも映っていたが、この時のハルには、多くの星のひとつとして見えていたにすぎなかった。
階段を下りながら、ハルはナツヒサにたずねた。
「ナツヒサさん。さっき、船の中はほぼ完成してるっていってたでしょ? 中を見ることってできるの?」
「まだ片付いていなくて見せられたものじゃないけど、見るだけならできますよ。ちょっと待ってください、聞いてみます」
ナツヒサは階段を下りおえると、宇宙船の脇にいる作業員のところへ小走りにかけていった。
「ハル、やけに興味津々だな」
「だって気にならない? 選ばれたみんながどうやって宇宙にいくのか、できるかぎり知っておきたいもの」
「気にはなるけど、あいつに任せておけばいいんじゃないのか?」
ふたりの視線の先では、ナツヒサが手招きをしている。
「いきましょ」
ハルは宇宙船の左側にあるタラップへ向かって、小走りにかけていった。
「こっちです。足元に気をつけてくださいね」
三人は手すりにつかまりながら、カツン、カツンと音を立て鉄の階段を上がっていく。一段上るごとに、目の前の船体が近づいてくる。金属と油のにおいが鼻の中にまとわりつく。開け放たれた扉を入ると、薄暗く広い空間が広がり、左の先頭方向にはこれといった仕切りもなくコクピットが丸見えになっている。窓から明かりが差し込んでいる。
「ここがカプセルを収納する貨物室です。どうぞご覧ください」
ハルとヨシアキのふたりは、暗がりに目がなれてくると、がらんとした薄暗い空間に敷かれたレール、そして天井から何本も垂れ下がっているアームを見た。
「ずいぶん広いな」
「すごいわね」
「このレールにカプセルを乗せてロックし、アームも使ってしっかり固定します。宇宙に出たら向こうにある扉を開け、レールを動かしカプセルを順番に宇宙空間へ送り出します。無重力なので少しの力で押してやるだけで大丈夫です。放出されたカプセルはあとは自動的にそれぞれの目的地に向かって飛んでいく、というわけです」
「ずいぶんシンプルなんだな」
「カプセルを打ち上げるだけだから、必要最低限の設備で進めてる。それに、燃料を節約するため、少しでも重量を軽くしたいしな」
ハルは中の様子を熱心に見ていたが、やがて振り向きナツヒサへたずねた。
「コクピットも見ていいですか?」
「もちろんです。足元に気をつけて、こちらへどうぞ」
宇宙船の先頭部分は、モニターや計器類がびっしりと詰め込まれている。
「テストを兼ねて、ちょっと電気を入れてみましょう」
ナツヒサがスイッチを入れると、ブーンという音とともに、モニターが光りだした。中心にあるモニターはレーダーになっていて、宇宙船を取り囲むように白い壁が描かれ、船のまわりにいる作業員は濃い緑の点になって動いているのがわかる。建物や構造物などは白、生物は緑で表示されるようだ。赤の表示もあるようだがそれが何を示すのかはナツヒサにもわからないようだった。レーダーの横のモニターには、船の内部や外部の映像が映し出されている。管制室の映像も映し出された。
「今回はすべて自動制御なので、基本的にはここでは何もすることはありません。作業のために必要なのでそのままにしてありますが、いっそのことなくてもいいくらいです。でも宇宙船のコクピットなんてなかなか見る機会はないので、記念と思って見ておいて損はないですよ」
「いろんなボタンがあるのね。これは何?」
「通信機です。このスイッチを押すと外部と音声でのやり取りができます。試しにオンにすると……テスト、テスト。ほら、外の作業員に繋がりました」
「まだちゃんと使えるのね」
「正直、もっとボロいのかと思ってた」
「おいおい、だからいっただろ、性能は問題ないって」
「これで安心したわ。ナツヒサさんありがとう。もういきましょうか」
「どういたしまして。階段気をつけてくださいね」
三人はクローバー号の脇に降り立つと、もう一度その大きな船体を見上げた。
「これ、前に話をしたカプセルの殻のイラストなんですけど、こんなのはできますか?」
ハルがスケッチブックを広げると、ヨシアキが覗き込んだ。
「どれどれ。なかなかいいじゃないか」
そこに描かれたカプセルは、前方は乳白色で、後方に向かって淡い赤紫色のグラデーションになり、末端は濃い赤紫色で縁取られている。
「わたし花が好きだから、花びらをイメージしたんだけど、どうかしら」
ハルの言葉のとおり、花びらに包まれたカプセルは、まるで丸い小さな花のつぼみのようだ。
『ああ、きれいだ。あのステンドグラスから感じた暖かいイメージそのままだ…』
ナツヒサは博物館の白い建物でのハルとのひと時を思い出していた。しかし、そんな感想を口にすることはなく、ただハルの目を見て答えた。
「問題ないですよ。できるだけきれいに仕上げます」
ハルの澄んだ瞳を見つめていると、その中に吸い込まれてしまいそうだった。
「ありがとう。よろしくお願いします」
ハルはほほえみ返したが、その瞳にわずかに影がさしたのをナツヒサは気がつかなかった。